熊問題と陰謀論――白黒を欲しがる人々
人々の意識をある方向へ導こうとする時、二元論ほど扱いやすい構造はない。
白か黒か。 敵か味方か。 善か悪か。 損か得か。
複雑な現実を単純な二択へ圧縮することで、人は「理解した気」になれる。
本来、社会問題や時代の変化とは、多層的で矛盾に満ちたものだ。だが、多くの人は日々の生活に追われ、複雑な情報を咀嚼し続ける余力を持たない。深く考える訓練や耐性を持たないまま、即座に答えを求められる社会に生きている。
だからこそ二元論は強い。
「こちら側」に立てば安心できる。
「悪」を設定すれば、自分は正義になれる。
しかもそこには、“社会問題について考えた”という小さな達成感まで伴う。
為政者も、メディアも、商売人も、その構造をよく知っている。
仮想敵を作り、恐怖や怒りを煽り、世界を単純化することで、人々の視線を一定方向へ誘導していく。
そして今、熊問題の背後にも、そうした構造が入り込み始めているように感じる。
以下は、昨年11月14日の制作日記に記した内容だが現在、あの時の違和感は消えるどころか、
むしろ輪郭を強めつつある――
最近、熊出没をめぐって、妙に現実味を帯びた話を耳にした。
もちろん、陰謀論として聞いてほしい。
だが、一笑に付せない不気味さもある。
その人物はこう語った。
「環境省は20年以上前から、クマの個体数増加を把握していた。
しかし、保護政策や予算、利害関係の問題もあり、有効な対策はほとんど打たれなかった。いや、“打たなかった”とも言える。
その結果、クマは人里へ降り始め、人々は山へ入らなくなった。
山は危険な場所となり、価値を失っていく。
すると、放置された山林が安く市場へ流れる。
そこを外資や再エネ企業が買収し、メガソーラーや風力発電へ転用していく――」
もちろん、現実はこんな単純ではない。
事実と憶測、構造的問題と偶然は複雑に絡み合っている。
だが一方で、日本各地で山林管理の放棄が進み、外資による森林取得が増加しているのも事実だ。
そうした現実を見ると、“陰謀論”という言葉だけで片づけるには、どこか引っかかるものが残る。
ただ、僕が本当に気になっているのは、陰謀の真偽そのものではない。
熊だけの問題ではない。
山だけの問題でもない。
この国の深部で、何かが静かに変質している気がするのだ。
複雑なものを複雑なまま受け止める力。
白黒を急がず、矛盾を抱えたまま考え続ける力。
そして、かつて山と人とのあいだに存在していた、畏れや祈りの感覚。
そうしたものが、急速に失われつつある。
熊は確かに山から降りてきている。
だが、本当にこちらへ戻ってきているのは、僕たちが長い時間をかけて切り離してきた
自然との距離感そのものなのかもしれない。
▼このテーマに関連する記事
いいなと思ったら応援しよう!
『ヒグマカルマ』は現在も北海道・東北で取材と撮影を続けています。
もし活動を応援していただける方がいましたら、サポートいただけると制作継続の力になります。
いただいた支援は、移動費・撮影費として大切に使わせていただきます。