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映画「ヒグマ!」を観た感想――笑えない違和感と消費される思考について

【2026年1月31日の日記より】

先週、家人と映画『ヒグマ!!』を観た。
例によって、ほとんど予備知識のないまま劇場へ向かった。

向かう途中、家人がふと言った。

「ヒグマって、着ぐるみなのかな?」

僕は笑いながら、

「さすがに今の時代、着ぐるみはないだろ」

もちろん、頭に浮かんでいたのは、AI生成によるリアルなヒグマだった。
だが、結果的に家人の予感は当たっていた。

スクリーンに現れたヒグマは、どこか1960年代の怪獣映画を思わせる造形だった。
もちろん、それは意図的なのだと思う。

かつての怪獣映画には、技術的な粗さを超える“熱量”があった。
ミニチュアの街を破壊する怪獣には、時代の不安や興奮、社会の空気そのものが宿っていた。だが、今のヒグマは違う。

現実の北海道では、人間の生活圏が脅かされ、被害も起きている。
「野生との境界」が崩れ始めていることを、多くの人が肌で感じている時代だ。

だからこそ、この作品は“リアル”を選ばなかったのかもしれない。
あえてレトロな着ぐるみ感を残し、コメディへと振り切ることで、現実との距離を保とうとした。

さらに本作は、「闇バイト」と「ヒグマ」という異質な要素を組み合わせ、社会不安そのものをエンターテインメントへ変換しようとしているようにも見えた。

その試み自体は理解できる。
ただ、自分の中では最後まで整理しきれない違和感が残った。

笑えない現実を笑いへ変換すること。
そして、“ある存在”を…
それはヒグマでありハンターであるのだが…不敬に扱っているように感じられる描写。

ネタバレになるので詳しくは触れないが、僕自身はそこをコメディとして受け取ることができなかった。

観終わったあと、作品の出来以上に、「いま日本人はヒグマをどう見ているのか」を考えさせられた。

ヒグマを単なる“怖い存在”として切り出す視線。
人間と自然、こちら側とあちら側を、わかりやすく分離しようとする思考。

その単純化こそが、現代の「消費されるための思考」なのかもしれない。

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「虚空門GATE」監督 小路谷秀樹 Hideki Koujitani 『ヒグマカルマ』は現在も北海道・東北で取材と撮影を続けています。 もし活動を応援していただける方がいましたら、サポートいただけると制作継続の力になります。 いただいた支援は、移動費・撮影費として大切に使わせていただきます。