ヒグマカルマ――物語論を語らなくなる時、物語は始まる
「物語を創る、創らせて頂く僕にはスイッチは入った。けれど、まだ物語自体にはスイッチは入ってはいない。静かなる胎動は感じている」
これは昨年10月12日の制作日記、僕の物語論そのものだった。
物語とは何か。
物語は世界の側にあるものであり、既に在る物語自体が物語を記述し始める。
どうすれば始まるのか。
どのように立ち上がるのか。
まだ外側から、それを捉えようとしていた。
いま思えば、あの時はまだ、
物語の外にいたのだと思う。
そして、ひとつ気づいたことがある。
物語が本当に起動しているとき、
人は、物語について語らなくなるのではないか。
語る必要がなくなる。
なぜなら、すでにその中にいるからだ。
説明しようとする距離が消え、
言葉にする余白がなくなる。
代わりに起きているのは、
関与であり、遭遇であり、巻き込まれることだ。
もがき、あがき、懊悩しながら、
それでも離れられない。
その状態そのものが、
すでに物語なのだと思う。
そして今は——
語れるところと、語れないところの境界にいる。
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