100年前の熊送り映像が、未来の映画を待っている気がした
昨年の10月1日、家で家人が仕入れてきたBAEREN BEERを飲んだ。BAERENはドイツ語で「熊たち」という意味らしい。熊の名を持つビールを飲みながら、僕はYouTubeで見た、ある古い記録映像の話をした。
それは、約100年前に北海道・平取町二風谷で撮影された、アイヌのイオマンテ(熊送り)の儀式映像だった。撮影したのはイギリスの撮影隊。現在はイギリスの王立機関に所蔵され、著作権管理もされているという。
イオマンテ――
熊は山の神の化身とされ、子グマを育て、成獣になる前に村人たちの前へ出し、祈りとともにその命をいただき、霊を山へ返す儀式。
映像の中で、熊を育ててきた女性は地に伏して号泣していた。
それは我が子を失うような慟哭に見えた。
一方で、長老たちの顔には穏やかな喜びのような表情があった。
悲しみと歓喜。
死と祈り。
感謝と別れ。
それらが矛盾せず、一つの儀式の中に同居していた。
現代の僕たちは、死をできるだけ見えない場所へ追いやる。
肉はパック詰めされ、命だった痕跡を消され、効率よく流通する。
そこに祈りはあるだろうか。
感謝は残っているだろうか。
死を「見てはならないもの」として覆い隠す視線は、実は僕たちから何か大切な感覚を奪っているのではないか。
そんな話をしながら、熊の名を持つビールを飲み干した。
もう一本頼んだら、もうないよ、と家人に言われた。
貴重なBAEREN BEERだった。
実はこの100年前の映像について、僕は試しに問い合わせをしてみたことがある。
もし、自分が制作しているドキュメンタリー映画『ヒグマカルマ』に挿入できる可能性があるのか、と。
返事は「可能です」だった。
少し驚いた。
100年前の熊送りの記録映像が、今つくろうとしている一本の映画と接続するかもしれない。
けれど、その時点では映画の方向性もまだ霧の中だった。ライセンス料も即決できる段階ではない。正直にそう伝え、いったん留保してもらった。
そして、もう一つ考えたことがある。
その映像が撮られたのは大正10年。1921年だ。
もしかすると、その時点でイオマンテはすでに、かつてのような日常的・共同体的儀礼ではなくなり始めていたのではないか。
もしそうなら、あのフィルムは単に「伝統文化の記録」ではない。
消えゆくもの。
変質していくもの。
外部のまなざしによって保存されるもの。
そうした複雑な時間そのものを写している映像なのかもしれない。
僕がつくろうとしている『ヒグマカルマ』もまた、熊そのものだけを撮る映画ではない。
熊が現れた後に、人間の側に何が露わになるのか。
恐れ、怒り、祈り、合理、沈黙。
その境界線を見つめる映画になる気がしている。
100年前の熊送り映像は、過去の資料ではなく、まだ終わっていない問いなのかもしれない。
そしてその問いは、今の時代にこそ、もう一度開かれる必要があるのだと思う。
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