箱罠について改めて考える
一昨日、僕は熊被害が起きた地域で、設置された箱罠の扉が、何者かによって勝手に下ろされていることについて書いた。
適法に設置された箱罠を、無断で閉じることは明らかな加害行為である。
たとえその行為に「熊を守りたい」という理念があったとしても、それは行政や関係者の活動を妨害する違法行為であり、同じ理念を共有する人々にも迷惑をかけることになる。
この点について、僕の考えは変わらない。
しかし一方で、「箱罠そのものは、人間にとっても熊にとっても本当に最善の方法なのか」という問いには、一考の余地があるように思う。
箱罠には誘引物が置かれる。
熊は数キロメートル先からでも匂いを感知するといわれており、その誘引物によって、本来なら人里へ近づかなかった熊まで引き寄せてしまう可能性がある。
つまり、熊害を起こした個体だけではなく、そうではない熊まで人里へ誘導してしまうという見方である。
さらに、箱罠で捕獲した熊をそのまま駆除してしまえば、その熊は「人間や人里は危険な場所だ」ということを学ぶ機会を失う。もし熊同士に経験が何らかの形で受け継がれるのであれば、人と熊との境界を形成するという意味でも疑問が残る。
要するに、箱罠は人と熊との根本的な境界を築く仕組みではなく、熊を誘引し、捕獲し、駆除する仕組みである、という考え方である。
もし、この方法だけに依存し、駆除が増え続ければ、やがて地域の熊個体群に大きな影響を及ぼすのではないか──そうした懸念にも、耳を傾ける必要はあるだろう。
僕は、この論理を簡単には否定できない。
人間にとって危険だから、熊は絶滅してもよいという考え方にはもちろん賛同できない。
例えば、日本では熊による死亡事故よりも、スズメバチによる死亡事故の方が多い年もある。
だからといって、「ハチはいなくなってもいい」という話にはならない。
もしハチがいなくなれば、多くの植物の受粉は滞り、生態系だけでなく、僕たちの食料にも大きな影響が及ぶ。
熊もまた、生態系を支える重要な存在である。
だからといって、箱罠の扉を勝手に閉じるという違法行為が正当化されるわけではない。
しかし、その行為の背景にある「箱罠という仕組みそのものへの疑問」まで無効になるわけでもない。
違法行為は違法行為として批判されるべきである。
しかし、その人たちが投げかけている問いまで感情的に切り捨ててしまえば、僕たちは熊と人間の関係について考える機会まで失ってしまうのではないだろうか。
『HIGUMA KARMA』の撮影を続ける中で、僕は熊をめぐる問題には、簡単に白黒をつけられない問いが数多く存在することを実感している。
この問題も、その一つなのである。
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