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【読書記録】山椒大夫・高瀬舟/森鴎外

森鷗外の本をちゃんと読んだことがなかった。
『高瀬舟』だけ電子書籍で読んでとても面白かったので、改めて書籍で読もうと思い購入したこの本。
短編集だが、通貫した森鷗外の生き方が込められていて、そこが良かった。
今回はこの『山椒大夫・高瀬舟』について書いていきたい。




カバー無しで読む派。

本のこと

武士道・殉死・安楽死――。鷗外が、その是々非々を問いかける。
鷗外、48歳~53歳。表題作のほか、活発な文筆活動期の名品を集めた。

人買いのために引離された母と姉弟の受難を通して、犠牲の意味を問う『山椒大夫』、弟殺しの罪で島流しにされてゆく男とそれを護送する同心との会話から安楽死の問題をみつめた『高瀬舟』。
滞欧生活で学んだことを振返りつつ、思想的な立場を静かに語って鷗外の世界観、人生観をうかがうのに不可欠な『妄想』、ほかに『興津弥五右衛門の遺書』『最後の一句』など全十二編を収録する。 巻末に用語、時代背景などについての詳細な注解、解説、年譜を付す。

【目次】

普請中
カズイスチカ
妄想
百物語
興津弥五右衛門の遺書
護持院原の敵討
山椒大夫
二人の友
最後の一句
高瀬舟
高瀬舟縁起

注解
森鴎外 人と作品(山崎正和)
『山椒太夫・高瀬舟』について(高橋義孝)

著者の言葉(本書「高瀬舟縁起」より)
私はこれ(神沢貞幹の随筆集「翁草」)を読んで、その中に二つの大きい問題が含まれていると思った。一つは財産と云うものの観念である。(略)
今一つは死に掛かっていて死なれずに苦んでいる人を、死なせて遣ると云う事である。人を死なせて遣れば、即ち殺すと云うことになる。どんな場合にも人を殺してはならない。翁草にも、教(おしえ)のない民だから、悪意がないのに人殺しになったと云うような、批評の詞(ことば)があったように記憶する。しかしこれはそう容易に杓子定木(しゃくしじょうぎ)で決してしまわれる問題ではない。ここに病人があって死に瀕して苦んでいる。……

森鷗外(1862-1922)
本名・森林太郎。石見国鹿足郡津和野町に生れる。東大医学部卒業後、陸軍軍医に。1884(明治17)年から4年間ドイツへ留学。帰国後、留学中に交際していたドイツ女性との悲恋を基に処女小説『舞姫』を執筆。以後、軍人としては軍医総監へと昇進するが、内面では伝統的な家父長制と自我との矛盾に悩み、多数の小説・随想を発表する。近代日本文学を代表する作家の一人。主な作品に『青年』『雁』『阿部一族』『山椒大夫』『高瀬舟』『ヰタ・セクスアリス』など。

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感想

『高瀬舟』を読みたくて買ったが、他の短編も面白かった。

特に、『妄想』が良かった。
「自分が何かを成さないといけない気がするが、それが何かは分からない」というモヤモヤを「或物」と表現していた。
「或物」は、多くの人が特に思春期に通過する感覚ではないかと思う。
少なくとも私はあった。そして今もある。
ただ、ネガティブな印象ではない。
「自分が何者かであって、世の中に何かを残していきたい」という気持ちは大切なものだ。
私はその気持ちをもとに、新事業を提案し、日々あくせくしている。

森鷗外はこの本の短編を通して、「足るを知るという言葉があるが、そんな風に満足なんてできないだろ?人の欲は際限無く、みんな何者かになりたいんだよ」と言っている気がした。(恐ろしく主観ですが)
「足るを知る」は良いこととして扱われることの多い言葉だが、皆が現状に満足していたら、もしかしたら世の中の進展は遅くなってしまうかもしれない。
私自身、家庭では「足るを知るは大切だ」と思いつつ、仕事では「もっと良くしたい」「新しいものを作って世に出したい」と、ある種、欲望丸出しで動いている。
みんな矛盾がある。矛盾があるから面白い。

「自分は自分、あるがままで運命を受け入れ、人生という坂道を下って行けばいい」と、この本を通貫した森鷗外の生き方はそんな風に思った。
良い考え方だと思うし、私も心に置いておきたい。

メモ

高瀬舟

その日は幕方から風が止んで、空一面を覆った薄い雲が、月の輪郭をかすませ、ようよう近寄って来る夏の温さが、両岸の土からも、川床の土からも、靄になって立ち昇るかと思われる夜であった。下京の町を離れて、加茂川を横ぎった頃からは、あたりがひっそりとして、只舳に割かれる水のささやきを聞くのみである。(p252)

景色の描き方が素晴らしく好き。特に音を表す「ただ舳に割かれる水のささやきを聞くのみ」という言い回しが良い。

庄兵衛は只漠然と、人の一生というような事を思って見た。人は身に病があると、この病がなかったらと思う。その日その日の食がないと、食って行かれたらと思う。万一の時に備える蓄がないと、少しでも蓄があったらと思う。蓄があっても、又その蓄がもっと多かったらと思う。かくの如くに先から先へと考て見れば、人はどこまで往っても踏み止まることが出来るものやら分からない。それを今目の前で踏み止まって見せてくれるのがこの喜助だと、庄兵衛は気が附いた。(p258)

「足るを知る」とは古典で言われてきたことだが、なかなか難しい。人は自らの境遇に満足せず、もっともっとと上を目指す。それは良い働きをすることもあるが、それがもとで身を滅ぼすことも少なくない。今の境遇がいかに恵まれているかを知ることは大切。

弟は剃刀を抜いてくれたら死なれるだろうから、抜いてくれと云った。それを抜いて遣って死なせたのだ、殺したのだとは云われる。しかしそのままにして置いても、どうせ死ななくてはならぬ弟であったらしい。それが早く死にたいと云ったのは、苦しさに耐えなかったからである。喜助はその苦を見ているに忍びなかった。苦から救って遣ろうと思って命を絶った。それが罪であろうか。殺したのは罪に相違ない。しかしそれが苦から救うためであったと思うと、そこに疑が生じて、どうしても解けぬのである。(p264)

こうした、加害者にも悲しい過去があり、同情してしまうような話は、今も色んな作品で見られる。人を殺したことは罪だけど、その背景にある理由によっては捉え方は変わる。どうしようもなく生きにくい人というのはいるものだ。『高瀬舟』はそんな人生の「どうにもならなさ」が実感できる。辛くもあり、今の自分は恵まれていると思うこともできる。

山椒大夫

「そうですね。姉えさんのきょう仰ゃる事は、まるで神様か仏様が仰ゃるようです。 わたしは考を極めました。なんでも姉えさんの仰ゃる通にします」(p195)

人買いに騙されて親から引き離され、姉弟二人で山椒大夫に働かされる日々。姉の安寿が弟の厨子王を逃がそうとして説明するシーン。辛い運命にある子どもがどうにかその場を逃げ出して、最後には家族に会えるという物語は、今でもたくさんあるように思う。子どもがいる親として、読んでいて辛い。子どもというのは案外大人が思うよりも強い。運命に抗うことは簡単じゃない。

「わたくしの杯は大きくはございません。それでもわたくしはわたくしの杯で戴きます」(p14)

当時の文壇では自然派というのが流行っており、夏目漱石や森鴎外はそれに反感を持っていて、自然という銘が書かれた杯で泉の水を飲む女の子たちから馬鹿にされつつも自分の杯で飲むという女の子を描いて、メタファーで批判している。らしい。かっこいいなあ。確かに何でも時々の流行りというのはあるし、それが正解とばかりに相手に押し付けてくる人もいる。でも自分は自分で、自分が納得していればそれでいいじゃないかと思う。

カズイスチカ

何をしていても同じ事で、これをしてしまって、片付けて置いて、それからというような考をしている。それからどうするのだか分からない。(p34)

父はつまらない日常の事にも全幅の精神を傾注しているということに気が附いた。(p35)

花房は自分が何かをしたいと思いつつも、それが何か分からないモヤモヤを抱えていた。そのモヤモヤを「或物」と呼んでいた。平凡そうに見える父の生活の中が、その全てに丁寧に精神を傾けているのをみて、父を尊敬するようになる。何となくこの「或物」は分かる。自分が何者かでありたいが、何なのかは分からない。

妄想

生れてから今日まで、自分は何をしているか。始終何物かに策うたれ駆られているように学問ということにしている。これは自分に或る働きが出来るように、自分を為上げるのだと思っている。その目的は幾分か達せられるかも知れない。しかし自分のしている事は、役者が舞台へ出て或る役を勤めているに過ぎないように感ぜられる。その勤めている役の背後に、別に何物かが存在していなくてはならないように感ぜられる。策うたれ駆られてばかりいる為めに、その何物かが醒覚する暇がないように感ぜられる。勉強する子供から、勉強する学校生徒、勉強する官吏、勉強する留学生というのが、皆その役である。赤く黒く塗られている顔をいつか洗って、一寸舞台から降りて、静かに自分というものを考えて見たい、背後の何物かの面目を覗いて見たいと思い思いしながら、舞台監督の親を背中に受けて、役から役を勤め続けている。 この役が即ち生だとは考えられない。背後にある或る物が真の生ではあるまいかと思われる。(p54)

何のために生きるかという問い。ただ学問に必死に生きてきたが、それは何のためか?ただ役割があるだけで、その役割は何のため?そんなことを考えている。よく分かる。

日の要求に応じて能事畢るとするには足ることを知らなくてはならない。足ることを知るということが、自分には出来ない。自分は永遠なる不平家である。どうしても自分のいない筈の所に自分がいるようである。どうしても灰色の鳥を青い鳥に見ることが出来ないのである。道に迷っているのである。夢を見ているのである。夢を見ていて、青い鳥を夢の中に尋ねているのである。なぜだと問うたところで、それに答えることは出来ない。これは只単純なる事実である。自分の意識の上の事実である。(p67)

死を恐れもせず、死にあこがれもせずに、自分は人生の下り坂を下って行く。(p68)

「足るを知る」ことは現在に幸福を見出すことで、森鴎外の読んだショーペンハウアーやハルトマンの哲学などとは反対だと言う。自身を「永遠なる不平家である」という森鴎外。何者かになりたいが何なのかは分からない。そんなことを考えていた。あるがままを受け入れて、焦らず、ただ人生を下っていく。森鴎外の思想も肩肘を張っていなくて良いと思う。

ハルトマンは人間のあらゆる福を錯迷として打破して行く間に、こんな意味の事を言っていた。大抵人の福と思っている物に、酒の二日酔いをさせるように跡腹を病めないものは無い。それの無いのは、只芸術と学問との二つだけだと云うのである。自分は丁度この二つの外にはする事がなくなった。それは利害上に打算して、跡腹の病めない事をするのではない。跡腹の病める、あらゆる福を生得好かないのである。(p69)

「芸術と学問以外の幸福は、自分の身を痛める」というのは面白い。

百物語

僕は生まれながらの傍観者である。(p96)

『妄想』と続いて、人生を劇や役に例える森鴎外。「たかが端役」と自分を言い、何事にも心から楽しんだことがないと言う。こういう冷めた感覚は分からなくはない。

護持院原の敵討

「まだこっちではお許は出んかい」と、九郎右衛門は宇平に問うた。 「はい。まだなんの御沙汰もございません。お役人方に伺いましたが、多分忌中だから御沙汰がないのだろうと申すことで」 九郎右衛門は眉間に皺を寄せた。暫くして、「大きい車は廻りが遅いのう」と云った。(p124)

決定が遅いことを大きい車は周りが遅いと例える。おしゃれ。

黙って突っ伏して聞いていた文吉は、詞の切れるのを待って、頭を擡げた。瞠った目は異様に就いている。そして一声「檀那、それは違います」と叫んだ。心は激して詞はしどろであったが、文吉は大凡こんなことを言った。この度の奉公は当前の奉公ではない。敵討の供に立つからは、命はないものである。お二人が首尾好く本意を遂げられれば好し、万一敵に多勢の悪者でも荷担して、返討にでも逢われれば、一しょに討たれるか、その場を逃れて、二重の地を討つかの二つより外ない。足腰の立つ間は、よしやお暇が出ても、影の形に添うように離れぬと云うのであった。 さすがの九郎右衛門も詞の返しょうがなかった。宇平は蘇った思をした。(p139)

アツい男だ文吉。



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