ハイランク 第3話:「運命の二人 ― 港町アルテミス 」
王都から港町へと続く街道は、豊かな田園風景が続く道程である。
ユーサーは歩みを止め、傍らを歩くターネットに視線を投げた。
「……君は剣を、どこで学んだんだい?」
振り返りながら、ユーサーが興味深げに尋ねる。
「父から教わった」
ターネットは視線を逸らさず、淡々と、だがどこか重みのある声で返した。
「そうなのか……その鞘の紋様」
ユーサーは言葉を切り、ターネットの肩から下げた紋章入りの鞘を見つめた。
「僕が幼い頃、書庫で見つけた古い戦術書の表にある、騎士団長の紋様に似ているんだ」
その言葉に、ターネットの眉が微かに動く。
ターネットは、無言で古びた鞘の感触を確かめるように指先を這わせた。
その指先の微かな震えを、ユーサーの鋭い視線は見逃さなかった。
だが、彼はそれ以上追及することなく、ただ穏やかな眼差しをターネットに注いだ。
ユーサーは、遠くに見える王都の尖塔を見つめながら、決意を噛み締めるように言葉を継いだ。
「父上が統治する王都の現状を、自分の目で確かめたいんだ。外の空気を知らずして、王にはなれないと思ってね」
道中、二人は次第に打ち解けていった。
ユーサーは学識に富み、礼儀正しく、だがどこか世間知らず。
ターネットは無口で素朴だが、野生の勘と実戦的な経験が豊富。
「……君は、どこから来たんだい?」
ユーサーは、慣れない足取りでぬかるんだ土を避けながら、後ろを歩くターネットに問いかけた。
「山の村。西の山脈のさらに南から来た」
ターネットは周囲の気配を警戒し、歩幅を緩めることなく短く答えた。
「そんな場所に人が……いや、失礼。だが、それならば道中、あの『永遠の沼地』を越えてきたのかい?」
ユーサーは驚きに目を見開き、思わず足を止めて振り返った。
ターネットも歩みを止め、ただ一度だけ深く頷く。
「沼地?……ああ、亡霊がいたな……」
淡々と言い放つその言葉に、ユーサーは息を呑んだ。
「……やはり、君はあそこを抜けてきたのか。あそこは未だに戦い果てた魂が彷徨う禁足地だ。不思議なことに、僕は夢で何度も見るんだ――あの沼地の光景を。黒い霧の中から、誰かが僕を呼んでいるような……」
ターネットの眉が、ぴくりと跳ねた。
その瞳に、隠しきれない動揺が走る。
「夢……だと? 黒い霧を、お前も見るのか」
ターネットの声が、わずかに上擦る。
これまで誰に話しても「ただの悪夢だ」と切り捨てられ、あるいは気味悪がられてきた記憶が脳裏をよぎる。
あの霧に追い詰められる恐怖に耐えてきた彼にとって、目の前の華奢な王子が同じ闇を共有しているという事実は、救いであると同時に、底知れぬ恐怖でもあった。
「……知っているのかい?」
「……戦場と黒い霧の夢。何度も、同じ夢を見る。誰にも理解されない、俺だけの呪いだと思っていた」
それは単なる連帯感ではない。 これまで決して交わるはずのなかった二人の孤独が、音もなく溶け合い、一つの形を成したかのような静謐な時間だった。
「……奇遇だね。僕たちは、ただの雇い主と護衛以上の何かで結ばれているのかもしれない」
ユーサーの声はどこか遠く、寂しげだった。
だがその瞳には、自分と同じ重荷を背負う者を見つけた安堵の色が混じっている。
ターネットは言葉を返さなかった。
だが、その脳裏には母から継いだ瞳の記憶が、かつての戦火の幻影とともに疼いていた。
“なぜ俺たちは出会ったのか――”互いの素性をはっきりと知らぬまま、二人の心の奥には、恐怖を分かち合った者特有の、奇妙な共鳴が生まれていた。
小一時間ほど歩き、二人は潮の香りが漂う高台へと差し掛かった。
眼下に広がるのは、夕日に照らされ黄金色に輝く海原。
そしてその縁にへばりつくように広がる『港町アルテミス』の街並みだった。
「あそこが目的地だ。風に乗って、海の匂いがここまで届いてくるね」
ユーサーが目を細めて指差す先では、家々の煙突から夕餉の煙が立ち上り、家路を急ぐ馬車の轍が微かに響いていた。
二人は岩場の道を下り、潮風の中を町へと足を踏み入れた。
潮の飛沫と荒くれ者たちの怒号が混じり合う港町の喧騒は、城下町とは違う生々しい熱気に満ちていた。
初めて目にする光景の連続に、ユーサーは世間知らずな子供のように驚きと好奇心を隠せず、落ち着きなく視線を彷徨わせる。
ターネットはそんな彼の半歩後ろを歩き、無言で周囲の視線を牽制しながら、二人は今夜の宿を探して雑踏を抜けていった。
町を歩き回り、ようやく港の端に、潮風に晒されて色褪せた看板が揺れる静かな宿を見つけた。
今夜はここで留まることに決めた。
――――
潮騒が遠く響き、夜風が窓を叩く中、ターネットは屋根裏部屋の窓縁に腰を下ろし、夜空を仰いでいた。
水平線の彼方に浮かぶ月は、どこか冷たく、それでいて懐かしい。
(あの沼地でも、同じ月が空にあった……)
記憶の底に沈んだ、血と鉄の匂い。それを呼び覚ますような静寂だ。
背後で、古びた床板が小さく軋んだ。振り返らずとも、それが誰であるかは気配でわかる。
「落ち着かないのかい?」
不意に声をかけられ、ターネットは視線だけを動かした。
「……潮の音が、少し騒がしくてな」
ユーサーが、手にした二つの木杯から立ち上る湯気を揺らしながら、ゆっくりと近づいてくる。
「はは、山育ちの君には、海の歌は少々賑やかすぎるかな」
ユーサーは苦笑混じりに言い、片方の木杯を差し出した。
「口に合うかは保証しないよ。城で出る極上のワインとは程遠い、ただの温まりたいだけの飲み物だ」
受け取ると、安価なエールを温めた、鼻を突くような独特の香りが広がる。
「……いただくよ」
ターネットが木杯を傾け、喉を鳴らす。
その無造作な仕草を眺めながら、ユーサーは空いた方の手で窓枠を軽く叩いた。
「君は、僕が王子だと知っても態度を変えないね。それが少し新鮮で……少し、羨ましいよ」
ユーサーは自らの木杯を口に運び、ふっと視線を遠くへ投げた。
「ターネット、君は……この国に何を?」
その声には、日中の軽薄な芝居の欠片もない。
ターネットは月を見つめたまま、迷わず答える。
「父に言われたんだ。自分の力を確かめてこい、と」
ユーサーは隣に並び、同じ夜の海を見つめた。
「力を確かめる、か。……それは、君という人間を知るための旅なんだね」
「……あるいは、呪いを知るための旅だ。俺はまだ、自分に宿る力の正体も、この世界の理も、何一つ分かっていない」
ターネットの横顔は、月光に照らされて彫刻のように静謐だった。
その瞳の奥には、自らの運命と、それに抗おうとする意志が同居しているように見えた。
ユーサーはその瞳を覗き込むようにして、独り言のように続けた。
「君のその瞳……澄み渡り、真っ直ぐに前を見据えながら、その実、底知れぬ孤独を湛えている。そんな瞳を、僕は他に知らない」
ユーサーは手元の木杯を軽く揺らした。
ゆらゆらと揺れる水面に、窓から差し込む月光が反射しては消える。
「城に侍る騎士たちは皆、僕を『王子』という器でしか見ていないんだ。敬意の裏にあるのは、形ばかりの義務か、あるいは保身……」
彼は一度言葉を切ると、苦いエールを飲み込み、視線を夜の海へと戻した。
「彼らは僕の身を案じはしても、僕の心に触れようとはしない。だが、君のその瞳は……僕という一人の人間を、見出してくれる気がするよ」
その言葉には、王族としての傲慢さではなく、一人の青年としての切実な響きがあった。
「……なぜ、俺なんだ。他にも守ってくれる者はいくらでもいるだろう」
ターネットの問いに、ユーサーは確信に満ちた声で返した。
「僕にはわかるんだよ。君の瞳を見ていると、古い予言の中に迷い込んだような気分になる……運命の二人…」
ユーサーは、自分の言葉が含みすぎた真実に気づいたかのように、ふっと自嘲気味に微笑んだ。
「……いや、少し芝居がかりすぎたかな。ただの直感だよ。君をここで逃せば、僕は一生後悔することになる……そんな予感がしただけさ」
その言葉に、ターネットの胸が微かに揺れる。
この出会いが、後に王国の運命を左右する絆となることを――この時、誰もまだ知らなかった。

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