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レールを外れて見える景色

今日もタイムラインに流れていく、幸せの風景。わたしもいつか経験するはずだったのに。さらには友人からの幸せの報告。次々におめでとうの声が流れていくのを見ながら、わたしはすぐに反応が返せないでいる。いつのまにかその目の前にある「普通の幸せ」は、掴みたいけど掴めない、近くにある遠いものになっていた。

画面の向こう側の、すぐそこにある掴めない幸せたちの眩しさに照らされるわたし。心のなかは、この暗い部屋と同じ。わたしだけがひとり取り残されたような気持ちになり、ぎゅっと目を閉じる。眩しすぎる明るさも、掴めない幸せも、もう何も見えないようにしたかった。


目の前の現実も受け止められなくて、友人の前でもうまく笑えない。そんな自分が嫌いになる。「どこで、道を間違えてしまったんだろう。いつからレールを外れてしまったんだろう。」いくら考えてもわからない。わかるのは、戻りたくても戻れないし、みんながいるそのレールは遠くにあるということだけ。


でも、画面の向こうの幸せの風景も、ひとつの風景にすぎない。レールは1本じゃない。わたしの道にも自分で敷いたレールがある。ここには、わたしにしか見られない景色がある。だから、どこかで道を間違えたんじゃない。いつのまにかレールを外れたんじゃない。ここはわたしが選んで歩いてきた道。それは誰のものでもない、わたしだけの風景であり、灯りなんだと思う。


画面の向こう側に光があるように、わたしにも光はある。その光は小さくて、消えそうになることもあるけど、わたしにとってはかけがえのない大切な光。自分で選んで生きてきたという誇りのある光だから。


「普通の幸せ」が眩しくて、うまく笑えなくて、目をつぶってしまう日もある。そんな日は、そっと灯りを置いて「それでもいいんだよ」って自分を包み込んであげたい。そこには、その灯りには、誰かと比べなくていい、わたしの歩いてきた証が灯っている。


そうやって、わたしはわたしの持つ灯りをたよりに、「自分の幸せ」に向かって生きていきたい。




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紬羽(つむは) お読みいただきありがとうございます🕯 そのあたたかさが、また次のことばを灯す力、わたしの書く力になります。 これからも一緒に素敵なあかりを灯せたらうれしいです。

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