管理栄養士の私が、栄養だけでは足りないと気づくまで
食の価値観って変わるんですね?
私の20代は、管理栄養士としてちゃんと食べるってこういうことって考えていました。
「バランスよく食べること」
「過不足なく栄養を摂ること」
「カロリーやたんぱく質量をきちんと合わせること」
何が体にいいか、何を避けるべきか。
栄養素の知識なら自信がありました。
よりビタミンが多いものを選ぶこと、数値として整えること、そういうことに一生懸命でした。
もちろん、今でも大切だと思っているし、体をつくるうえで、栄養は欠かせないものだと理解もしています。
ただ、20代の頃の私は、栄養を整えることに意識が向きすぎていたのかもしれません。
ある日、仲良い友人が「栄養を考えるなら、食事はサプリが良いわ~」と話していたことがあり、
基本好きなものを食べて足りない分はサプリで補う。
子どもの好き嫌いによる栄養の偏りも、できればサプリで解決したい。
そこを頑張りたくないし、できるだけ手間をかけたくない。
そんな話でした。
その考え方を、理解できる部分もありました。
忙しい毎日の中で、効率よく栄養を整えたいと思う気持ちもわかります。
でも、それからずっと残るくらい私には結構衝撃的なことで、
と同時に、なんだか悲しくて、ぽっかりさみしくなっちゃって
もし食事が、「必要な栄養を入れること」だけが目的になってしまったら
そこからこぼれ落ちてしまうものがたくさんある気が、
大切な何かを置いてけぼりにして生きるような気がしたんですね。
毎日の食事からもらってるものってたくさんあって、ずっとずっとあたたかいもの。
誰かと食べる時間や、作ってくれた人の気持ちや、季節を感じることや、ほっとする記憶のようなもの。
でも当時の私は、その「あたたかい何か」を、うまく言葉にして伝えることができなかったんです。
栄養価は整っているはずなのに、どこか満たされない
正しいはずなのに、何かが足りない
そんな感覚が、少しずつ私の中で大きくなっていきました。
私の原風景にあったもの
今思えば、その感覚の土台には、もっとずっと前から受け取っていたものがありました。
私は小さいころから、おじいちゃんが育ててくれた野菜を食べて育ちました。家には畑があって、旬の野菜が食べきれないくらいある暮らし。
季節が巡るたびに、その季節のものが食卓に並ぶ。
当時はそれを特別なことなんだって思ってなかったけど、今振り返ると、とっても豊かなことだったんだと思うんですね。
野菜ひとつひとつに頭をよぎるエピソードがあって、30年経った今でも意外と覚えているから不思議だなと思うものです。
おじいちゃんが亡くなってからは、ここ15年ほど、お父さんが野菜を育ててくれています。
県外で暮らす私のもとに、毎月のように送ってくれる野菜たち。
箱を開けるたびに、ただの野菜ではなくて、時間や手間や気持ちごと届いているような気がして、
でもそれってただ思う想像ではなくて、私が実際に見てきたことでもあります。
朝と夕方に水やりをしていること。
あーでもないこーでもない試行錯誤しながら、でも楽しんで育てていること。
暑すぎたり、なぜか大きくならなかったり失敗することもたくさんあること。
そして、やっと実ったときに本当に嬉しそうな顔をしていたこと。
初物が採れたときには、まず私に送ってくれていることも知っています。
私の手に届くまでに、野菜ひとつひとつに数か月分の愛情がこもっていること。
段ボールに詰めながら、きっと私が喜ぶ顔を思い浮かべてくれているんだろうな、と自然と思うのです。もし読んでくれていたら、いつもありがとう。
そう考えると、私はずっと、食べ物そのものだけではなく、
その向こうにある人の手や、季節や、暮らしの中で生かされてきたのだと思います。
添加物を避けたい理由も、少しずつ変わっていった
食品添加物のことは、20代の頃から気にしていました。
ただ、その頃の私は「避けたほうがいいから避ける」「できるだけ体には入れたくない」「ちゃんとしている自分」という感覚が強かったように思います。
知識として気をつけている、という感じでした。
でも30代になってから、その意味が少しずつ変わっていって、
なんで避けたいんだろう?
自分のからだをつくる材料、その本当の意味ってどういうことなんだろう?
そう考えるようになったときに、何かを我慢して制限しているんじゃなくて、
心地よく過ごすために、今の食事や暮らしを選びたいと思うようになりました。
自然とともに生きるような暮らしに惹かれるようになったのも、その頃からです。
頭で理解するというより、体がそれを求めているような感覚でした。
体が「こっちが心地いい」と教えてくれた
きっかけは、ひとつではありません。
ごはんと味噌汁で、十分満たされるじゃんと気づいたこと。
心地よい暮らしをしている人を知ったこと。
手料理の本当の温かさを知ったこと。
本来の食材の味が分かるようになったこと。塩で食べるのって最高じゃんねの感覚
もともと添加物には気をつけていたものの、
知識としてではなく、味覚やからだの感覚として「今はこれを求めていないんだな」と感じるようになったのは、自分の中では大きな変化でした。
あと、季節の手仕事も好きになりました。
梅仕事、味噌づくり、ぬか床、豆腐づくり、納豆づくり、調味料づくり、麹を使うこと。
そういうひとつひとつが、ただつくる作業ではなく、
季節とつながること、自分の感覚を取り戻すこと、暮らし・生き方を整えることになっていきました。
何を食べるかよりも、どう食べるか
どんなふうに暮らして、どんな気持ちで食卓に向かうか
そのことのほうが、実は深く人を満たすのかもなあ~
「食べ方って生き方そのものなんだ」そんなふうに思うようになりました。
人との出会いが、私の価値観を育ててくれた
そして、価値観を大きく変えてくれたのは、やっぱり人との出会いです。
森井啓二さん、桧山タミさん、ひすいこたろうさん、船越康弘さん
この4人に出会ったことで、私の食の価値観だけではなく、生き方の価値観そのものが大きく変わったと思います。
それから、身近に同じ感覚を持つ人たちに出会うようになったことも、とても大きかったです。
「こんな暮らしをしていいんだ」
「こんな風に食べることを大切にしている人がいるんだ」
なんかいいなあ~
そう思えるたくさんの出会いが、私の中にもともとあった感覚を、少しずつ言葉にしてくれました。人との出会いが、私を変えてくれたんですよね。
栄養だけでは足りない。その先にあるもの
管理栄養士として学んできたことは、今も大切に思っています。
食べ物が持つ栄養も、機能性も、体をつくるうえで欠かせないものです。
でも、今の私は、それだけでは足りないと思っています。
食べることは、数字だけではない
食べることは、機能だけではない
そこには、季節や、命や、記憶や、想いや祈りのようなものが流れている。
そういう背景に触れたとき、
私は「生かされているんだな」と「愛されてきたんだな」と思いました。
そして、本当に応援したいと思えるものを選びたい
作り手の話をもっと聞きたい
そんな気持ちが自然に生まれてきました。
私にとって食べることは、
ただお腹を満たすことでも、栄養を摂ることでもなく、
日々の中で愛を受け取ることなんだなと思っています。
だからこそ、食卓に届くまでの背景を知ることは、
暮らしの見え方そのものを変えてくれる気がしています。
「ちょっとそれ分かる気がするなあ」と思う人がいたら嬉しいです。
今日も最後まで読んでくれてありがとう^^
ここから、食卓にある10の循環を少しずつ辿ってみませんか?
▼食べることを、もう少し大きな視点で見てみたい方へ
→ あなたが食事で大事にしたいことは何ですか
▼どんな食卓でも必ずつながりの中にあるということ。
食卓の背景にあるあたたかさを感じたい方へ。
→ ひとりご飯も誰かとつながっているんだよ
▼「食べたものでからだはつくられる」をより自分事として受け取りたい方へ
→ 今日食べたものが、未来の私になっていく——食がめぐる「栄養の循環」について
