「百人一首を旅しよう!」短歌と写真で今と繋がる〜第二十四回●平兼盛●〜
今回と次回は「忍ぶる恋」の歌を紹介します。まずは平兼盛(生没年不詳)から。
忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は
ものや思ふと 人の問ふまで

意味)隠しているつもりだったけど、態度などに出てしまっていたのだな、私の恋は。人が「貴方はもしかして恋をしていますか?」と尋ねてくるほどに。
これは960年、村上天皇主催の歌合の中で「恋」の題で詠まれたもので、恋心がばれてしまった驚きと困惑を見事に表現しています。
現代でも、バレてないと思っているのは自分だけで周囲にはバレバレという事はあるあるですから共感しやすいですよね。

「色に出でにけり」のうち「けり」は詠嘆の助動詞なので「そうだったのか!」という自分では初めて意識した瞬間を強調。「色」は目に見える態度や素振りを意味します。

兼盛は生没年こそ不詳ですが、第八回で紹介した光孝天皇の4世孫(玄孫)に当たります。兼盛は村上・冷泉・円融・花山・一条天皇の5代に渡り活躍しました。当初は兼盛王と名乗るも臣籍降下。三十六歌仙の一人です。
また後々取り上げていきますが、百人一首歌人・壬生忠見の歌とこの兼盛の歌こそが960年の村上天皇の歌合で優劣を競いました。
勝敗がつけがたかったためさりげなく判定者が天皇の気色を伺ったところ帝が「忍ぶれど」と呟いたため兼盛が勝ったのだとか。

負けた壬生忠見はショックのあまり拒食症になり亡くなってしまったという記録もあり、負けず嫌いにも程があるだろうとは思いつつ、宮廷での歌合がいかにプライドと知性をかけた「闘い」であったのかを思い知らされます。
兼盛は百人一首歌人・赤染衛門の母の前夫または実父とする説もあり、やはり歌人の血を感じますね。これもよく知られた話ですが、兼盛はかなり苦心してじっくり歌を詠む苦吟型でした。
ちなみに平氏は平安時代に皇族から臣籍降下した一族で、桓武平氏・仁明平氏・文徳平氏・光孝平氏と天皇ごとに区別されます。このうち平清盛で知られる桓武平氏が最も栄えました。あの平将門も桓武平氏。
恋を詠む繊細な歌でありつつも、実はバトル感あふれる勝負歌であると思うとぐっと面白さが増してきませんか。
では最後にもりやま作を。
深山木の 蔭に忍ぶる 春の月
ゆくへも知らぬ わが思ひかな

意味)山深い森の蔭に隠れる春の月のように秘めていた恋なのに、バレてしまった今となってはこの想いが今後どうなっていくのか分かりません。
最後までお読みいただきありがとうございました。
次回も「忍ぶる恋」いきますよ!どうぞお楽しみに。
第八回・光孝天皇の記事は下記よりご覧いただけます⤵︎
