日本の選挙の低投票率について考える:日本型デモクラシー
なぜ多くの日本人は『社会は変えられない』と思ってしまうのか
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それでも! あなたが投票に行くと変わります
あなたが選挙行くと結構変わるよというマンガ pic.twitter.com/wxMs1Bw8pS
— 井上純一(希有馬屋)『逆資本論』発売中 (@KEUMAYA) July 4, 2020
銀河英雄伝説のコレを思い出しました。 pic.twitter.com/2x186hjQnN
— KYウリエル (@KYuriel) July 4, 2020
また選挙が近いので、またこの動画を拡散します。
— ナザレンコ・アンドリー🇯🇵🤝🇺🇦 (@nippon_ukuraina) October 9, 2024
選挙は冗談じゃない!貴方の投票で貴方の明日が決まる pic.twitter.com/zPKPf5pF5w
とにかく日本では投票率が低いのです…。
東側諸国のように超高い状態もどうかとは思いますが。
デモクラシー国家の政治支配者 代議士の生殺与奪するのが投票
日本は世界200カ国中158位…先進国と比べても投票率が圧倒的に低いのは、いったいなぜ?
有権者の能力不足
投票権を持つ有権者に対しては、その能力に疑義があります。
計量政治学がもたらした結論のいくつかは皮肉なものだった。例えば、我々有権者の多くは政治に関してほとんど何の知識も無いということが明らかになりつつある。三権分立の三権が何か分からない、自分が「支持」する政党の政策を全く理解していない、憲法は大事と言いつつ憲法の内容を理解していないといった具合で、本来は知識のある自律した有権者が投票するというところに民主主義の正統性が担保されていたのだが、現実には仕組みやロジックが理解されていないのに、形式としての投票だけが擁護されているわけだ。
みんな世間は利権で動いていて、変えられないと思っている
「代表」なんか信用できない
代表制度は政治権力の私物化への対抗手段
現代の民主主義諸国では、代表制度が正常に機能していない。正常にというのは、代表制度が民主主義の制度として求められる機能を果たすことができていないということだ。そればかりか、今後もそれは正常には機能しえない。もちろん、日本も例外ではない。
現代の代表制度が機能不全に陥っていることを赤裸々に物語っているのが、代表者の中でも、政府を構成する政治家──大統領もしくは首相に当たる──による政治権力の《私物化》である。
そもそも近代に復活した民主主義では、政治権力の私物化を禁じ、自由を蹂躙する専制に対抗する手段として代表制度が導入された。もちろん、それ以外にも法の支配や三権分立などが存在してきた。しかし、代表制度こそ、民主主義の理念を実現する上での基幹となる制度であったことは間違いない。国民によって直接選挙で選ばれた代表者からなる立法府、すなわち議会が法律や憲法を制定し、それによって、執行権力の担い手である行政府をコントロールする。これが、その制度の核心となる構想だ。
この構想を「立法権の優越と執行権の権利否定」と説明する人もいれば、端的に「議会主義」と呼ぶ人もいるだろう。しかし、いずれにせよ、この核心的な構想によれば、代表制度が民主主義の制度として機能するには、社会にしっかりと根を張った大衆政党と定期的に行われる民主的な選挙が不可欠となる。
これに対して本書では以下の二つの事態を繰り返し指摘してきた。一つは、現代の多くの民主主義国において、政党が多くの有権者との結びつきを失い、社会の諸集団を代表する機能を喪失したこと。もう一つは、定期的に実施されてはいるものの、選挙は社会の多数派に共有された意思を表明したり、時の政権の業績を評価したりする機会ではなくなったことだ。
「合理的無知」仮説
rational ignorance
rationalとは理性的、合理的と訳される言葉です。
ignoranceは無知。別に訳すと理性的な無知という矛盾に満ちた言葉ですね。通常の経済学は、人はおおむね常にrationalに行動する一種の超人であると想定していることを想起してしまいます。非常に故事つけくさいです。無知は我々が単なるエイプという衆愚であることの証明だと思います。
「合理的無知」仮説の解説
個別の問題に関して自分の一票が政策に影響を与える可能性が極めて低いのに、問題をきちんと理解するために必要となる膨大な量の勉強をするはずがないという「合理的無知」(rational ignorance)という考え方もある。
合理的無知仮説
選挙の左右できる確率がものすごく低いので、合理的な有権者は選挙についてあえて何も考えない、という考え。
政治リテラシーを上げる労力(コスト)とそれによって政治が自分に都合がよくなる可能性(パフォーマンス)を考えると、コストパフォーマンスはかなり悪い。よって政治に関して無知なのは合理的である。
衆議院は4年に1度、参議院は3年に1度が選挙の原則です。そのために、ヒトは必要な知識をため込もうとはしません。仕事や育児、趣味など、常日頃から接している出来事に関する知識を増やすので手いっぱいですから。政治は、どうしてもなおざりになってしまう。
これを政治学では、「合理的無知仮説」と呼んでいます。私たちは遺伝子レベルにおいて合理的に判断し、その結果として政治リテラシーの無知状態に入っているのです。
さらに、有権者は選挙も棄権する傾向にあります。これも「何もしない」ことが、最良の選択と判断するためです。
投票に行くのは損!? 「合理的無知」とは何か
ここで意外なお話をしましょう。「頭がいい人の方が、投票に行かない」という説が存在するのです。これは一体どういうことでしょう?
選挙は一人一票ずつ、平等に影響力を持ちます。
でも、これって逆から考えると、自分の票が与える影響力は有権者全体の数十万分の一、数百万分の一に過ぎないということでもあります。つまり、自分が投票しようがしまいが、結果はほとんど(全く)変わらないのです。
それならば、投票やその前後の移動にかかる時間をアルバイトや勉強や趣味に使う方が、自分にとってのメリットは大きいですよね。政治について勉強するのもコスト・パフォーマンスが悪いです。当てずっぽうで投票しても、しっかり分析して投票しても、どちらも同じ「一票」なのですから。
つまり、合理的に損得勘定をすれば、政治に関わるのは「損」なのです。これに基づけば、自分の利益を最大化するために、人々は政治について学ぶのをやめてしまうのです。このことを「合理的無知」仮説と言います
こういう意見も
既存の政党政治が機能していない状況にあり、かつ、政党によるご都合主義的な立候補者選定では、投票をしたい政党のみならず、候補者もいないという状況が、都市部かつ若年の選挙民の偽らざる心境ではないか。つまり、投票したい政党や候補者ではなく、より投票したくない政党や候補者を避けると言う、まさに、積極的支持ではなく、最悪を避けたいという消極的な支持でしかない政党や候補者に投票をするのである。これでは、投票率が上がらないのは無理もないであろう。
「この時代の国政選挙で、一票差で決まるなんてことはほとんど想定できないし、しかも世論調査も発達しているから結果もだいたいわかる。
あえて言い切れば、選挙での一票の価値は、言われるほど重くはない。
それなのに、普段、政治の話なんてしていないのに、選挙になったから突然関心を持て、と言われる。
「主権者として!」とか「有権者なんだから!」目覚めろと言われても難しいですよね。」
「参院選が3年に1回、衆院選も平均して2年半に1回行われている。2〜3年に1回は選挙をしているんです。
でも、いまの時代の大きな課題、例えば原発をどうするか、格差をどうするか、地球温暖化をどうするかといった大きな問題は、2〜3年で結論がでる話ではないんです。
選挙というのは実質2年〜3年の間の大まかな方針を決めるという程度のものでしかない。
だから、一票はそのおおまかの方針を決めるためにつかうもの。
重すぎず、かといってと軽くみすぎる必要もない。」
投票率が高い国
一部の西側諸国では投票率が高いには確かです。でもどの国も日本より人口がはるかに小さいのです。人口の多い日本で教育をがんばってうまくいくかどうか…
投票率80%のオランダに学ぶ(3)
— 石部統久 (@mototchen) December 20, 2022
「日本の投票率が低いのは当然」
国民の政治意識を高める方法は
(リヒテルズ直子氏)
| 日本最大の選挙・政治情報サイトの選挙ドットコム https://t.co/9yjdHx7Sq0
人口が多い国ではデモクラシーが困難?
デモクラシーはもともと人口が少ない国家の制度でした。
日本は人口多すぎです。
「問題はいかなるデモクラシーが望ましいかではなく、デモクラシーが正当化される範囲はどこまでか、ということなのです。そもそもデモクラシーが成立したポリスの時代、住民の人口は多くて20万人程度でした。
つまり、デモクラシーは20万人の住人たちが自治をするために使われた制度なのです。また直接民主制を主張したルソーの時代もジュネーブの人口は2万4000人でした。もしアテネ市民やルソーが現代の何億人もの人口を統治する間接民主制を見たら、おそらくこれはデモクラシーの名に値しないと言うでしょう。少数の支配者が「代表」というフィクションの下に腐った運営を行っているだけで、そこにはデモクラシーの使用環境である住民自治がないからです。
よって20万人程度の地域共同体だとデモクラシーは妥当すると思います。今はテクノロジーが発達してネットを使って意見の集計とかもできるので、もう少し多くても大丈夫でしょう。よって30万人くらいなら、デモクラシーは妥当します」
デモクラシーの使用環境――イアン・シャピロ「民主主義理論の現在」がすごくない http://t.co/zAiWBIOA (先ほどの参照エントリのアップデート版)
— daen0_0 (@daen0_0) May 13, 2012
