Bildung ビルドゥング と 教養主義について リンク集


近代教養主義(Bildung)の航海
近代教養主義(Bildung) の終焉
https://g.co/gemini/share/81fff2312a8d


 筆者の嫌いな言葉「教養」についてのリンク集です。

次の方の意見に同意です。

https://note.com/gusyagusya466/n/n3b6bee761df4

Bildung Bildung

 翻訳語である「教養」とはBildungのこと。

Bildung とは

近代の日本人が影響を受けるわけだ。ドイツ語のビルドゥング(Bildung)は「人間形成」「教養」「陶冶」といった意味があるが、もともとは自分自身を神の像(Bild)に形づくる、という宗教的な意味があった。当然、この『教育思想史』という本も、キリスト教のトマス・アクィナスやルターの

https://x.com/alsinceke/status/534666848474644480

https://posfie.com/@mototchen/p/utF8rix


ヘーゲルのBildung

ヘーゲル(1770-1831)は、精神の自己運動 そのものを「教養=ビルドゥング」と呼んでいる(『精神現象学』VI.精神,B.疎外された精神—教養)。教養は労働となるが、それを可能にするのは自己 を疎外する社会状況である。疎外を通して自己の認識は、懐疑から絶望へと一方では繋がるが、自己の形成=ビルドゥングを通して、自己実現を探究することを 可能にして、さらなる成長を遂げる。自己疎外と自己成長は、人間精神が真理をもとめて、やがて自分自身を乗り越え、自分自身になることを示す。これが絶対 精神(Absoluter Geist)に到る道である[才野原 2003:452]。

教 養とは精神が、実体的な生活の直接性から脱し、形成されてゆくことである。それが何にはじまるといえば、一般的な原理や観点についての知識を獲得し、ま ず、ことがらの一般の思想という場面へ引き上げことである。そして、それらのものを支持するにも、単体するするにも理由をあげ、具体的で豊かな内容の充実 に対し、それを明確に規定してとらえ、それにかんする整った報告とまじめな判断とを与えるようにならなければならない」(ヘーゲル 1967:92)。

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教養主義

 読書をしたら人格が陶冶されて人格が完成するというのが「教養主義」でした。

日本では、戦前の旧制高校から1970年頃まで続い た大学文化のなかに「教養主義」というものがあり、その教養はまさにこのヘーゲル的なビルドゥングないしは、その日本の近代文化の影響をうけた特色あるサ ブカルチャーがあった[竹内 2003]。竹内によると、教養主義は、読書を通して知識を得て、人格を陶冶し、社会を変革(ないしは改善)することである。

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http://tanemura.la.coocan.jp/re3_index/2K/ki_kyoyosyugi.html

「大正教養主義の起源」東京帝国大学教師ラファエル・フォン・ケーベルと学生たち——大正教養主義創成期の歴史社会学的考察——松井 健人https://www.l.u-tokyo.ac.jp/~slogos/archive/44/44_matsui.pdf

https://www.koganei-style.jp/rokubu/new-social-study-planning-menu/pre-study-kyoyo01/

https://toyokeizai.net/articles/-/682270

なぜ、司馬遼太郎はサラリーマンに人気だったのか?
〝歴史ブーム〟と大衆教養主義 特集:「教養」の現在地
https://imidas.jp/jijikaitai/t-01-004-23-07-g927

読書される書物の翻訳問題

書痴・書癡

https://kotobank.jp/word/%E6%9B%B8%E7%97%B4-534849

Education はパーソナリティを変えることではなかった


元々西洋の学問とは

中世の学問とは

 全体が先行し部分を決定づけるとされていた中世において、学問=フィロソフィとは、GODにより創造されたラチオ(整数比)で統べられた世界を研究することでした。決して人格を陶冶するとか人格を完成することではありませんでした。

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現代のネクシャリズムがあれば押したい

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