スキーマ(Schema)によるわかるとは、どういうことか
このnoteは、スキーマでわかってはならないという自戒です。
沁みるように、滲みるようにわかっていくのと、言語化できて、類型化できてわかったつもりになるのとでは、まるでちがう。沁みるようにわかるには、まず類型化から出ること、わからなくなることが大事で、全感覚的にもやもやしつづけること、定点観測をやめて動きまわること、対象化せずに〈なる〉こと
— 中島 智 (@nakashima001) July 4, 2025
「わかる」ことは「かわる」こと。手持ちの枠に当てはめることではない。新たな引き出しを作っていくことなので、ジタバタしなければ、〈なる〉にならなけれぱ「わかる/かわる」にならない。それは地殻変動みたいなもの。「わかったつもり」のごとく、平静をよそおったり澄まし顔でいられたりはしない
— 中島 智 (@nakashima001) July 4, 2025
そして「沁みるようにわかった」ことは、それを説明することがきわめて困難となる。説明しようとすれば、必然的に支離滅裂になる。「わかったつもり」のことであれば、説明はスムーズである。
— 中島 智 (@nakashima001) July 4, 2025
スキーマでわかるとは
わかるということは頭の中にある枠組み(スキーマ)の要素、構造が一致するということだそうです。
簡単に言うと…
わかりやすい畑村式「わかる」技術 (講談社現代新書)
わかるとは何かをわかりやすく解説した本があります。
畑村式「わかる」技術(畑村 洋太郎)です。
この本の紹介は以下を参考にしてください。
頭の中の枠組みによるわかるとは
畑村式「わかる」技術(畑村 洋太郎)による頭の中の「枠組み」によるわかるとは
以下まとめてみました。
テンプレート 要素の一致 :目の前の事象と自分たちが保有している知識を当てはめて理解すること
テンプレート 構造の一致:事象ではなく、その後ろに絡み合っている構造を一致し関連物を想起する
新たなテンプレートの構造:初めて見るものに対して、既に保有している知識で理解しようとするプロセス
人間は頭の中に、物事を理解するための“枠組み” =“テンプレート(雛形、型紙)”を持っている。そして物事について、「要素」「構造」「機能」等が一致する“テンプレート”を見つけ出し、当てはめることによって理解する。適合する“テンプレート”が無い場合、手持ちの材料を組み合わせるなどして、新たな“テンプレート”を作らなくてはならない。新しい事象に出会ったとき、自力で“新しいテンプレート”を作り出す能力こそが「創造」につながる。そしてその力を伸ばすためには、常日頃から意識的に、様々な事象をよく観察し理解する=“テンプレート化する”ことを積み重ねる必要がある。
『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか? 認知科学が教えるコミュニケーションの本質と解決策』による枠組み=スキーマ
『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか? 認知科学が教えるコミュニケーションの本質と解決策』にも頭の中の「枠組み」が紹介されていました。
「話せばわかる」とはどういうことか? 私たちの思考には、意識されずに
使われる「枠組み(スキーマ)」がある
「わかる」はスキーマに依存する
私たちはあらゆる物事についてスキーマを持ち、それを当たり前のものとして考えています。
言い換えれば、ある人の「わかる」「わかった」は、あくまで「その人のスキーマ」を通してのものであるということ。
今井 むつみ「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか? 認知科学が教えるコミュニケーションの本質と解決策
スキーマはコミュニケーションギャップにもなる
岡田教授は、「スキーマ(schema)」も異文化コミュニケーションを妨げるノイズの一つであると話します。過去の反応や経験から得た情報をもとに、新しく入ってくる情報の枠組みを予想したり期待したりすることです。
私たちは、「いままで〜だったから、きっと今回もこうだろう」、「こういうときは、たいてい〜である」と、過去のことをその場に当てはめて判断することがありますが、このような予想・期待の仕方は世界共通ではありません。
“日本では、「昨日雨が降りました。傘を持って出るのを忘れました。風邪をひきました」という状況があったとしたら、傘をささずに濡れたから風邪をひいたのだと思うでしょう。これがスキーマです。
でも、イギリスではそう思いません。雨が降っても傘をささないからです。
風邪をひいたのが雨に濡れたからなのか、もっと前から風邪をひいていたのかわからない、と考えます。私たちが何気なく思っている「公式」は、実は、ほかの国にいくと通用しません。
相手の言語が話せるからといって、このようなスキーマを無視していたら、自分も相手も傷つく場合があります。本来ならば見えているはずのものも、自分たちの文化や価値観を通して見ることで、見誤ってしまうのです。”
日本では、「風邪をひくから傘をさしなさい」と小さいころから親に言われて育った人が多いでしょう。天気が悪くなりそうな日には、折り畳み傘を持ち歩くことが常識です。
一方で、イギリスのように、雨が降っても傘をささない人が多い国もあります。そのような国では、いくら完璧な英語で「傘をさしたほうがいいよ」と声をかけたとしても、相手を心配する気持ちはなかなか伝わりません。
相手がアドバイスを受け入れないと、日本人は「体調管理ができない人だ」と感じるかもしれませんし、相手は「どうしてしつこく言うんだろう」とイライラするかもしれません。
私たちは、性別、家庭、学校、地域、国、宗教、職種や会社など、さまざまなグループに属しながら生活する過程で、そのグループでの常識を無意識に身につけ、それが当たり前だと考えながら行動するようになります。このような習慣や社会的規範は、「隠れた文化」と呼ばれ(岡田, 2015)、それぞれの文化特有のスキーマもあります。
寿司、着物、歌舞伎など、目に見える「文化」とは違い、「風邪をひいたのは雨に濡れたからだ」という思考パターンが日本特有かもしれない、と気づくことは、そのための知識や体験がない限り難しいのではないでしょうか。相手の言語を話す能力だけではなく、相手の行動を「よい」、「悪い」などとカテゴリー分けして解釈する前に、何を基準に判断しているか、一度立ち止まって考えられる力が必要です。
