「修身」 「格物致知」と大日本帝国の道徳授業
「修身」って結局よくわかりませんけど、道徳の授業によって確立するものではないようですね。

日本の道徳教育の変遷
道徳教育、昔と今でどう違う?
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現代日本の道徳教育と歴史的変遷:儒教『大学』、『修身』、そして『道徳』を巡る比較分析
序章:三つの「徳」を巡る旅路
現代社会において、いじめ問題や倫理観の揺らぎが叫ばれる中、学校教育における「道徳」のあり方に再び注目が集まっています。しかし、今日の道徳教育がどのような思想的・歴史的背景の上に成り立っているのかを理解する機会は少ないのが現状です。本報告書は、現代日本の道徳教育の根幹を、その源流にまで遡り、三つの異なる時代――儒教の古典『大学』、大日本帝国期の「修身」、そして戦後の「道徳」――における「徳」の捉え方を比較分析することで、その変遷を明らかにします。この旅路を通じて、私たちは、知と行、個人と国家という普遍的なテーマが、各時代の要請の中でいかに形を変え、そして本質的な意味を回復しようとしてきたのかを深く考察します。
本報告書の分析に入る前に、読者が複雑な概念を円滑に理解できるよう、主要な専門用語を解説します。
『大学』: 儒教の四書(『大学』『中庸』『論語』『孟子』)の一つで、もともとは『礼記』の一編でした。小人ではない君子が自己を修め、最終的に天下(社会)を平定(安定)させるための段階的な道筋を示す、指南書とされています 1。
修身: 大日本帝国期の学校教育における主要な科目の一つで、第二次世界大戦の敗戦まで存続しました。人格形成や社会的規範意識の涵養を目的としていましたが、その内容は時代とともに大きく変質しました 2。
道徳教育: 戦後の日本で、修身が廃止された後に導入された教育活動です。特定の価値観の押し付けを避けつつ、人格形成や規範意識の育成を目指すものとして、今日に至るまで様々な変遷を遂げています 3。
八条目: 『大学』が説く、徳育の八つの段階です。具体的には、「格物」「致知」「誠意」「正心」「修身」「斉家」「治国」「平天下」を指し、個人の内面的な修養から始まり、やがて国家や天下を安定させるという壮大なプロセスを描いています 1。
格物致知: 八条目の起点に位置する最も重要な概念です。「格物」は「物に格(いた)る」または「物を格(ただ)す」、「致知」は「知を致(いた)す」と解釈されます。この言葉は、後述する朱子学と陽明学によって、全く異なる意味を与えられました 7。
誠意・正心: 「意を誠にし、心を正す」こと、すなわち*「意念」を「誠」にし、感情の働きを正しく保つことを意味します。「格物致知」によって得られた知が、内面的な修養へと繋がる段階とされます 6。
知行合一: 陽明学の核心思想の一つで、知ることと行うことは一体であり、決して分離できないという考え方です。知識は行動を伴ってこそ真の知となり、行動は知の完成を意味すると説かれます 9。
*「意念」と「誠」について
「誠」と「誠意」の比較考察
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第1章:東洋思想の揺籃:儒教『大学』の徳育観
『大学』は、小人ではない君子が内なる修養を基盤として、国全体をより良くしていくという、壮大かつ体系的なプロセスを提示しています。その中心にあるのが「三綱領」と「八条目」という概念です。三綱領とは「徳を明らか」「民を親あり」「至善に止まること」であり、これらを達成するための具体的なロードマップが八条目です 1。
八条目は「格物致知」「誠意」「正心」「修身」「斉家」「治国」「平天下」という順序で展開されます。これは、外的な物事などを究める内省的な「格物致知」から始まり、最終的に国(民)を治め、天下を平らげるという、内から外へと段階的に広がる知と行の構造を示しています 5。このプロセスは、小人ではない君子に明徳がなければ、国・天下を治めることはできないという思想を内包しています。八条目は単なる行為のリストではなく、それぞれの段階が同時的に相互に影響し合い、循環的に高められていくものと考えられていました 5。
『大学』の教え、特に「格物致知」という核心概念は、中国の二大儒学、朱子学と陽明学によって全く異なる解釈がなされました。この違いは、後の日本の思想、ひいては道徳教育に多大な影響を与えることになります。
朱子(朱熹)は「格物」を「事物の理に至る」と解釈しました。この考え方では、万物にはそれぞれ「理」が宿っており、それを徹底的に探究する「窮理」によって知識を完成させることが「格物致知」とされました 7。このアプローチは、客観的な知識の習得を重視するものでしたが、その過程で実践を伴わない主知主義に陥る危険性を孕んでいました 11。
一方、朱子学に飽き足らなかった王陽明は、自らの心の内に真の理があると説く「心即理」の思想を打ち立て、全く新しい「格物致知」の解釈を提唱しました 9。彼は「格」を「正す」、「物」を「意のあるところ」と読み、「格物致知」を「心の不正を正し、生まれながらに備わる善なる心、すなわち『良知』を実現すること」と解釈しました 9。王陽明の思想では、知は行を伴ってこそ完成するものであり、この二つは一体であるとされました。これが「知行合一」です 9。
朱子学が知識の探究を通じて行動を導こうとしたのに対し、陽明学は行動を通じて知を完成させようとしました。この根本的な立場の違いは、単なる学術的な対立にとどまりません。朱子学が権威や秩序を重んじる支配階級にとって都合の良い解釈を許容する余地があったのに対し 11、陽明学は個人の内なる良心を絶対的な基準とし、行動を促す動的な思想であったため、時には既存の権威に反旗を翻す原動力となりました 9。このような「反体制」的な性格は、後の明治政府が国民を統一する思想を模索する上で、陽明学的な側面を警戒・排除する理由の一つとなります。
第2章:近代化の揺らぎと「修身」の変質
明治維新後、日本は西洋の近代化を一気に進めるべく、教育制度の整備に着手しました。その中で、「修身」という科目が新設されます 12。この時代の教育界には、儒教的徳目を重視する伝統主義者と、欧米の道徳思想を導入しようとする啓蒙主義者が混在していました。
この過渡期において、慶應義塾を創設した福沢諭吉や小幡篤次郎らは、アメリカの『道徳科学要論』(Moral Science)という教科書を「修身」と訳しました 2。福沢の思想の核にあったのは、個人の「独立自尊」でした 14。彼は「一身独立して一国独立する」と説き、個人の自立が国家の自立に繋がると考えました 15。これは『大学』の「修身→治国」のプロセスと似てはいますが、その思想的基盤は「個人の権理」であり、西洋的な個人主義に根ざしていました 15。この時点の「修身」は、内なる自立心を養うことを重視する、ある種の知行合一的な思想を内包していたと言えます。
しかし、明治23年(1890年)、多様な教育観の対立を収束させる目的で、教育勅語が発布されます 2。これは天皇の名によって発せられ、国民道徳の基本理念として位置づけられました 12。教育勅語は「忠孝」を人倫の根本に据え、学校教育、特に修身教育の根幹をなすものとされました 16。これにより、修身教育は儒教的徳目を柱としつつも、次第に国家主義的な色彩を濃くしていきます 12。この過程で、修身は筆頭教科となり、教科書は検定を経て国定化され、その内容は厳格に統制されていきました 12。
この国家主義的要請の下、「修身」は『大学』の思想構造を大きく変質させました。本来、八条目は「格物致知」という個人の内面的な探求から始まるものでしたが、明治期の修身教育は、この内省的なプロセスを意図的に省略し、忠君愛国といった「行動」を最優先させました 17。教科書は、楠木正成や二宮尊徳といった歴史上の人物伝を通じて、模範的な行為を子どもたちに直接的に示し、感化させることに重点を置きました 17。
この変容には、いくつかの要因が絡み合っています。第一に、複雑な内省プロセスを必要とする『大学』の「格物致知」は、個々人が自らの良心に基づき物事の理を究めた結果、国家のあり方や天皇の絶対性を疑問視する可能性を孕んでいました。このような知的な探求は、国家が求める国民統合の目的とは相容れませんでした。第二に、国家的要請のもと、修身教育は「国民を指導する道具」へと変貌しました。この目的を達成するためには、個人の内面を深く探求する複雑なプロセスよりも、「忠孝」「遵法」「義勇」といった行動規範を直接的に教え込む方がはるかに効率的であったのです 12。
このようにして、慶應義塾派が「moral science」を翻訳した際に意図した「個人の独立自尊」という核心思想は、政府による「修身」の画一化によって「国家に尽くす個人」という概念へと都合よく歪められました。儒教の忠孝思想が国家主義に都合よく利用されたのと同様の構造です。個人の内省という「知」と、国家への奉仕という「行」の間には大きな乖離が生まれ、陽明学が説いたような自発的な「知行合一」の道は閉ざされていったのです。
第3章:戦後の再構築:現代道徳教育の軌跡
第二次世界大戦の終結後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、戦前の教育が軍国主義や国家主義に深く結びついていたとみなし、1945年12月31日に「修身、日本歴史及ビ地理停止ニ関スル件」の指令を発令し、これらの教科を廃止しました 2。これにより、戦前教育の根幹は根本から解体されました。
修身廃止後、日本は「心の教育」のあり方を模索し続けました。戦前の反省から、特定の価値観を押し付けることを避けるため、道徳教育は「教科外活動」として位置づけられました。1958年に「道徳の時間」が特設され、教科書は使わないものとされました 24。これは、国家の統制下から道徳教育を切り離そうとする意図の表れでした。しかし、この教科外活動という位置づけは、学校現場で道徳教育が軽んじられる一因となり、授業時間が他の教科に振り替えられることも少なくありませんでした 26。
21世紀に入り、後を絶たないいじめ問題をはじめとする現代的な課題を背景に、道徳教育の抜本的な見直しが提言されました 26。これにより、道徳は2018年度(小学校)、2019年度(中学校)から「特別の教科 道徳」として再び「教科」として位置づけられることになりました 3。
この新しい道徳教育が目指すのは、特定の価値観を上から押し付けることではなく、「よりよく生きるための基盤となる道徳性」を生徒自身が養うことです 3。その指導の核となるのが、「主体的・対話的で深い学び」というアプローチです 3。このアプローチでは、生徒が自ら道徳的諸価値について問い、多面的・多角的に検討し、議論するプロセスを通じて、「道徳的な判断力、心情、実践意欲と態度」を育むことが目的とされています 3。
この現代の取り組みは、奇しくも『大学』が説く知行合一の思想に回帰していると捉えることができます。単なる知識の伝達(知育)や感情の涵養(情育)に終始せず、生徒が自ら問い、考え、対話するプロセスを通じて「知」(判断力)と「行」(実践意欲)を結びつけようとしているのです 3。現代の学習指導要領が「特定の価値観を押し付けたり、主体性をもたず言われるままに行動するよう指導したりすること」を明確に否定しているのは、戦前の修身教育の失敗を強く教訓としていることを示しています 3。
しかし、この理想の実践には、依然として大きな課題が残されています。学校現場では、いまだに「登場人物の心情を理解させるだけ」の形式的な授業に陥りがちであり、真の「知行合一」を促すためには、教員が多様な意見を尊重し、生徒の内面に向き合う高いファシリテーション能力が不可欠です 26。
第4章:比較分析と総合的洞察
これまでの分析から、『大学』、『修身』、そして現代の道徳教育は、それぞれ異なる思想と社会的な要請を反映しながら、「徳」と「知行」の関係を再構築してきたことが明らかになりました。以下に、その主な相違点を比較表にまとめ、詳細な考察を加えます。
概念
目的
知と行の関係
個人と国家の関係
核心思想・方法論
儒教『大学』
個人の修養を通じた天下の平定
知行合一。内省的な知の探求と行動は一体。
内から外へ。個人の修養が、最終的に国家・天下の安定へと繋がる。
八条目(格物致知→平天下)、知行合一。
大日本帝国『修身』
忠孝を通じた国家への奉仕と国民形成
知行分離。個人の内省は省略され、国家に資する行動が先行。
外から内へ。国家の要請が、個人の行動規範を決定する。
教育勅語、人物伝、忠孝の強調。
現代『道徳教育』
よりよく生きるための道徳性の育成
知行の再統合。主体的・対話的な学びを通じて知(判断力)と行(実践意欲)を結びつける。
個人の自立と社会貢献の両立。自らの問題として捉え、多様な社会の一員として貢献することを目指す。
学習指導要領、主体的・対話的で深い学び、道徳的判断力・心情・実践意欲と態度。
この比較から浮かび上がるのは、知と行の関係が、時代の要請によって大きく揺れ動いてきた歴史です。
『大学』が示した「格物致知→平天下」という道筋は、小人ではない君子個人の内なる探求が、やがて外部の世界へと広がり、天下(社会)全体を安定させるという、知と行の有機的な統合モデルでした。特に陽明学の知行合一は、知るという内的な働きが、即座に行動という外的な実践として現れるという、動的な人間像を描き出しました。
しかし、大日本帝国期の「修身」は、この構造を根本から破壊しました。国家という外部からの要請が個人の行動を規定し、その行動の正しさが、個人の内面の正しさを保証するという、まさに「外から内へ」の思想へと転倒したのです。この転倒の代償として、個人の内省を促す「格物致知」のような複雑なプロセスは危険視され、意図的に省略されました。道徳は、自律的な人格形成の手段から、国家に忠誠を誓う国民を効率的に育成するための道具へと変貌しました。
そして戦後、修身の廃止という断絶を経て、現代の道徳教育は、その失われた知と行の統合を模索しています。「主体的・対話的で深い学び」というキーワードは、単に知識を伝達するだけでなく、生徒が自ら問いを立て、他者と対話する中で、物事を多角的に捉える力を養うことを目指しています。これは、他者の意見に流されることなく、自らの内なる良心(『大学』でいう「良知」)に従って判断し行動する力を育むという点で、陽明学の知行合一の精神に驚くほど高い親和性を示しています。現代の道徳教育は、偶然にも、そして歴史の教訓を内包しながら、古代の普遍的な人間形成のプロセスを再評価していると言えるでしょう。
結論:現代道徳教育への提言と未来
結論として、現代道徳教育が真に実効性のあるものとなるためには、単に新しい言葉や理念を掲げるだけでなく、過去の失敗から学び、その本質を教育現場で具現化することが不可欠です。戦前の「修身」が陥った轍、すなわち、個人の内省プロセスを省略し、行動規範を上から押し付けた結果、知と行が乖離した歴史は、今日にも重要な教訓を与えています。
『大学』が示す普遍的な価値は、時代を超えて有効です。それは、知の内面化がなければ行動は表面的で強制的になり、行動の伴わない知は空虚な観念に過ぎないという教えです。現代の道徳教育が目指す「道徳的判断力、心情、実践意欲と態度」の育成は、まさにこの知と行の再統合を試みるものです。
現代社会は、多様な価値観が錯綜し、正解が見えにくい時代です。このような状況で、生徒が自らの道徳的課題を「自分事として捉え」(3)、多角的な視点から考え、自らの行動として実現していく力を育むことは、他者の意見に安易に流されず、自律的に生きる上で不可欠な資質となります。したがって、現代の道徳教育が「修身」の轍を踏まず、真に実効性のあるものとなるためには、教員が多様な意見をファシリテートする高い能力を養い、評価制度に縛られることなく生徒の内面に向き合う姿勢を確立することが鍵となります。それは、古代の賢者が求めた、知と行を一体とする人間形成の道に他なりません。
引用文献
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中学校学習指導要領 特別の教科 道徳(道徳科)のポイント, 9月 24, 2025にアクセス、 https://www.nits.go.jp/materials/youryou/files/024_001.pdf
第 1章 学校教育と道徳教育, 9月 24, 2025にアクセス、 http://www.kyoto-be.ne.jp/ed-center/cms_files/kensyusien/dotoku/doc_dotoku_2018_04.pdf
論理的道筋について示した「八条目」(古典『大学』より)【経営のヒント 628】 | ナレッジプラザ, 9月 24, 2025にアクセス、 https://knowledge-plaza.biz/hint/3920/
場の源とは何か?『大学』から読み解く「無分別」のあり方 - ファシリテーション小学校, 9月 24, 2025にアクセス、 https://media.0de8ign.com/daigaku/
格物致知(カクブツチチ)とは? 意味や使い方 - コトバンク, 9月 24, 2025にアクセス、 https://kotobank.jp/word/%E6%A0%BC%E7%89%A9%E8%87%B4%E7%9F%A5-43788
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知行合一 - 世界史の窓, 9月 24, 2025にアクセス、 https://www.y-history.net/appendix/wh0801-093.html
【高校生のための倫理】朱熹・王陽明#16 - YouTube, 9月 24, 2025にアクセス、 https://www.youtube.com/watch?v=kqHjMvP8dt8
「朱子学」の特徴とは? 日本に与えた影響と「陽明学」との違い【親子で歴史を学ぶ】 - HugKum, 9月 24, 2025にアクセス、 https://hugkum.sho.jp/260359
戦前日本の道徳教育 - ―「修身」, 9月 24, 2025にアクセス、 https://mkbkc.forestsendai.jp/wp-content/uploads/2018/08/40b2bb5dab0a110b78a63dab333a1903.pdf
『修身論』の「天」 | アルベルト・ミヤン ... - 慶應義塾大学出版会, 9月 24, 2025にアクセス、 https://www.keio-up.co.jp/np/isbn/9784766425994/
The Conduct of Life - 英訳文庫, 9月 24, 2025にアクセス、 https://english.bunko.jp/books/47063
福沢諭吉 学問のすすめ - 青空文庫, 9月 24, 2025にアクセス、 https://www.aozora.gr.jp/cards/000296/files/47061_29420.html
【教育勅語趣旨徹底】 - ADEAC, 9月 24, 2025にアクセス、 https://adeac.jp/minato-city-kyouiku/text-list/d100030/ht300580
戦前日本の道徳教育 - ―「修身」, 9月 24, 2025にアクセス、 https://mkbkc.forestsendai.jp/wp-content/uploads/2017/04/be7d73cc653f7907b4cbd2fbfe33a16b.pdf
教育勅語とは - 修身・日本と世界, 9月 24, 2025にアクセス、 https://www.moral-science.com/rescript.html
道徳教育の歴史的考察(1) 修身科の成立から国定教科書の時代へ, 9月 24, 2025にアクセス、 https://bunkyo.repo.nii.ac.jp/record/6698/files/BKK0003108.pdf
「修身」教科書に学ぶ偉い人の話 / 長山靖生【編】 <電子版 - 紀伊國屋書店, 9月 24, 2025にアクセス、 https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-08-EK-1936607
戦後教育からの脱却は「道徳教育」の教科化から始まる ―戦後教育における教育勅語否定と修身教育否定の呪縛からの脱却, 9月 24, 2025にアクセス、 https://ippjapan.org/archives/173
自らの生き方を見つめなおすための一手『先人の生き方』に学ぶ誠の教育観(中編)~修身教育と道徳教育はどのように違うのか?~ー『日本人のこころ』31ー|高杉 麟太朗 - note, 9月 24, 2025にアクセス、 https://note.com/w1273jp211/n/n9fa1af7708ed
一 戦後の暫定措置と新しい小学校教育の発足 - 文部科学省, 9月 24, 2025にアクセス、 https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317740.htm
学校における道徳教育の変遷、教科化が目指すものとは, 9月 24, 2025にアクセス、 https://benesse.jp/kyouiku/201607/20160731-3.html
道徳の内容の歴史 - 東京学芸大学, 9月 24, 2025にアクセス、 https://www2.u-gakugei.ac.jp/~omoriken/upload/dotoku_naiyou_rekishi_02.pdf
特別の教科となった道徳、以前とどこが変わったのか – 日本教育 ..., 9月 24, 2025にアクセス、 https://www.kyoiku-press.com/post-210455/
「特別の教科 道徳」 の目指すものとは…, 9月 24, 2025にアクセス、 https://www.pref.fukushima.lg.jp/img/kyouiku/attachment/900662.pdf
2021「特別の教科 道徳」 現状とこれからの課題, 9月 24, 2025にアクセス、 http://gototadashi.sunnyday.jp/1628.pdf
資料リンク
大日本帝国の学校の「修身」が道徳の授業でなされるとしたわけ
修身は格物致知と治国平天下のあいだにあるもので、とくに格物と致知を追究しないでは、正心も修身もないはずなのです。修身だけを切り離してはならなかったのです。それが明治の尋常小学校や昭和の小学校では「修身」の時間を設けて、道徳を学ばせることにした。
修身が道徳と同義語になったのは、福沢諭吉や小幡篤次郎らの慶応義塾派が「モラルサイヤンス」(moral science)を「修身」と訳したからで、べつにだからといってその翻訳に責任があるわけではないのですが、そこが日本人の悪いくせで、いったん言葉をピックアップすると、それを前後の脈絡から切り離してしまいました。
そうなると、別の意図だけが往々にして自立してしまうのです。修身を青少年の「心がまえ」のようなものにしてしまった
教養主義
読書すれば人格が陶冶され人格が完成するとする「教養主義」
モラル
動物とヒトのモラル
本来の「修身」とは:『大學』における格物・致知・誠意・正心・修身・斉家・治国・平天下
概要
「格物致知」は、朱熹(朱子)が真理を認識するための方法論として提唱し、その「性即理」の理念と共に朱子学の認識論として重視されていたが、次第に形式的な知識主義、主知主義に陥っていった。それに対する疑問を呈したのが明の王陽明であり、彼は自身の心にこそ物を認識する力があるとして「致良知」と言い、知識と行動を分離させるべきではないいとして「知行合一」を説いた。
『大學』における格物・致知・誠意・正心・修身・斉家・治国・平天下
天下を平らげようとする国家の支配者である君子のなすべき方法は「格物致知」であり、それによって「意を誠」とし「心を正」とし「身を修め」ることでした。
大學之道,在明明德,在親民,在止於至善。
〈大學だいがくの道みちは、明德めいとくを明あきらかにするに在あり、民たみを親あらたにするに在あり、至善しぜんに止とどまるに在あり。〉
知止而后有定;定而后能靜;靜而后能安;安而后能慮;慮而后能得。
〈止とどまりを知しつて、而しかうして后のちに定さだまることあり、定さだまつて而しかうして后のちに能よく靜しづかなり、靜しづかにして而しかうして后のちに能よく安やすし、安やすうして而しかうして后のちに能よく慮おもんばかる、慮おもんばかつて而しかうして后のちに能よく得う。〉
物有本末;事有終始。知所先後,則近道矣。
〈物ものに本末ほんまつあり、事ことに終始しうしあり、先後せんこうする所ところを知しれば、則すなはち道みちに近ちかし。〉
古之欲明明德於天下者,先治其國。欲治其國者,先齊其家。欲齊其家者,先脩其身。欲脩其身者,先正其心。欲正其心者,先誠其意。欲誠其意者,先致其知。致知在格物。
〈古いにしへの明德めいとくを天下てんかに明あきらかにせんと欲ほつする者ものは、先まづ其國そのくにを治をさむ。其國そのくにを治をさめんと欲ほつする者ものは、先まづ其家そのいへを齊ととのふ。其家そのいへを齊ととのへんと欲ほつする者ものは、先まづ其身そのみを脩をさむ。其身そのみを脩をさめんと欲ほつする者ものは、先まづ其心そのこころを正ただしうす。其心そのこころを正ただしうせんと欲ほつする者ものは、先まづ其意そのいを誠まことにす。其意そのいを誠まことにせんと欲ほつする者ものは、先まづ其知そのちを致いたす。知ちを致いたすは物ものに格いたるに在あり。〉
物格而后知至。知至而后意誠。意誠而后心正。心正而后身脩。身脩而后家齊。家齊而后國治。國治而后天下平。
〈物もの格いたりて而しかうして后のちに知ち至いたる。知ち至いたりて而しかうして后のちに意い誠まことなり。意い誠まことにして而しかうして后のちに心こころ正ただし。心こころ正ただしうして而しかうして后のちに身み脩をさまる。身み脩をさまりて而しかうして后のちに家いへ齊ととのふ。家いへ齊ととのうて而しかうして后のちに國くに治をさまる。國くに治をさまりて而しかうして后のちに天下てんか平たひらかなり。〉
「誠」とは
朱熹の『格物致知」解釈
朱子は事物の本性は理であると考えました。
そこから理気二元論を主張したのですが、同時に人は「格物致知」を学ぶべきであると述べました。
格物致知とは、万物にはそれぞれの理がある。
したがって万物をよく観察し探究すれば、世界の全体の理が理解できる、ということです。
付録 魂魄論
張載(11世紀)の鬼神論を読んだ朱子の考察として、世界の物事の材料は気であり、この気が集まることで、「生」の状態が形成され、気が散じると「死」に至るとした上で、人間は気の内でも、精(すぐ)れた気、すなわち「精気」の集まった存在であり、気が散じて死ぬことで生じる、「魂は天へ昇り、魄は地へ帰る」といった現象は、気が散じてゆく姿であるとした[1]。この時、魂は「神」に、魄は「鬼」と名を変える(三浦国雄『朱子集』朝日新聞社)。この「魂・魄」から「神・鬼」への名称変更は、気の離合集散の原理の解釈によるもので、気がやって来るのは「伸」の状態であり、気が去っていくのは「屈」の状態であるとして、気の集散=気の伸屈・往来と定義したことから、「神」は「伸」(シン)に通じ、「鬼」は「帰」(キ)に通じ、元へ戻る=「住」(向こうへ行く)となる。ここに、鬼神=気の集散の状態=魂魄と至る。
「気は必ず散るものであり、二度と集まることはない」
魂魄
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%82%E9%AD%84
王陽明の「格物致知」解釈
朱子が世を去ってから270年ほど後、明の時代に王守仁(王陽明、1472-1528)という思想家が登場します。
彼は理気二元論に基づいて、格物致知を究めようとしました。
具体的にどんな行動を取ったのか。
彼は庭の竹林の前に座り、7日7晩にわたって竹を見つめていたのです。
そうやって竹の理とは何か、を一心に考えました。
それは竹を見つめるうちに感じ取れるものなのか。
しかし7日7晩の努力もむなしく、何一つ得るものはなく、王守仁は疲労して倒れてしまいました。
けれども、王守仁は大きな収穫に恵まれました。
竹の理は感じられませんでしたが、竹をじっと見つめていた自分の存在だけは確かにあったのだ、という事実です。
このあたり、「我思う、ゆえに我あり」で、まさにデカルトと同じ発想です。
しかも、デカルト(1596-1650)より、100年以上も早いのです。
もっとも、同じ発想をしたイブン・スィーナー(980-1037)は、デカルトより600年以上も早いのですが。
そして王守仁は、信奉していた朱子の理論である性即理、事物の本性が理なのではなく、人間の気持ちこそが理なのではないかと考え始めます。
すなわち「心即理」です。
そして王守仁は、朱子の学説に対して心即理を基本的な概念とする、彼自身の学問を打ち立てていきます。
陽明学の重要な理念のひとつ。性即理の思想を批判し、心即理の理念に立った王陽明は、朱子学の中心的な方法論である格物致知に対しても、全く違った理解を示した。王陽明によれば、『大学』の言う「格物」の格は「至る」と読むのではなく、「正す」と読むべきであり、「物」とは事にととまらず「意のあるところ」である。「致知」の知は外縁的な知識を増やすことではなく、「良知」のことである、と解釈した。つまり「格物致知」を「心の不正をただし、良知を実現すること」ということになる。このように考えれば、知(学ぶこと)は行うこととは別のことではなく、全く一体のことでなければならないと主張した。これが「知行合一」の考えである。さらに「良知」の理解は、「万物一体にして生々やむべからざるもの」という宇宙の根源への探求に向かうことであった
https://hayashi-hideomi.com/series/4107.html
当時の理学
「中国朱子学においては」「「理」 はその質料を成立させる根拠-意味、形而上の存在であり、主として人間学に係わる、とされる。さらに朱子自身の思想形成でいえば、まず朱子は周濠渓の存在論と程伊川の理の哲学から出発し、やがて張横渠の気の哲学や部康節の宇宙論を取り入れて、自然と人間の両領域を覆う壮大な学問体系を樹立したのである。従って、朱子個人の思想史でいえば、単なる 「理」と「気」の二元論的接着ではなく、理の哲学がまずあって気の哲学がそれに包摂されたのである。朱子において、既に「理」の形而上学の意味における「理学」という語は初出していた」
「太極は万物の統体であり「ただこれ一個の理学である」と。逆に言えば、万物はおのおの、太極 (にして無極) という形而上的「理」を備えている、ことを扱う学が「理学」、であった。朱子学において『朱子語類』巻一の、これ理有りて後、これ気生まる、 有是 理後生是気」 とあるように、朱子においては理の気にたいする優先がいわれる。理は「形相」と違って表象性がなく「ロゴス」と違って物質性を拒否する。しかし同じ巻一でも別の箇所で、理が気に遅れて出る意味のこともいう」
https://nichibun.repo.nii.ac.jp/records/2498
宋時代を迎えてみると、儒教は新たな儒学として徹底した武装をなしとげたとみるに足るものになっていた。それが総説としての朱子学だった。
新たな展開は王安石の新法に始まり、張載の『正蒙』『横渠易説』をへて、周敦頤(しゅうとんい)の『太極図説』に発端した。
あまりにも有名な太極図を含む周敦頤のアイディアは、タオイズムが得意とする一元二気万物の世界生成論を儒学の理屈で説明しようとしたものであったが、その門下に程頏(程明道)・程頤(程伊川)の兄弟が出て(のちに二程と呼ばれる)、そこに「理」「心」「性」それぞれが気と組み合わさる道筋をひらき、さらにこれを胡宏が「性」(性理)を中心に組み立てていくうちに、ここについに朱子が登場してすべてをかっさらう「理気学」としての朱子学を確立したのである。
それは気を扱ってまことに勇敢であり、いいかえれば儒の核心において仏教も道教もねじ伏せてしまうような理屈を駆使したものであった。
気の思想からみると、朱子学は「一気→陰陽→五行」が重層的に展開する気の集散によって骨格をつくっている。これは気の一元論に近い。
しかし他方では、その中心コンセプトには仏教から採った「理」と道教から採った「気」とが扱われているのだから、朱子学は思想としてはすこぶる二元論的でもあった。しばしば理気二元論といわれるゆえんだ。
ところがどっこい、朱子その人はたんなる一元論にも二元論にもとどまらなかった。そこに「心」や「性」を加えたロジックを用意して、「一気→陰陽→五行」が「気-質-物」の三位一体とも「心性」や「性理」とも対応して、ときには「性即理」のイデオロギーが唸るように組み立てた。
理屈っぽいといえばこれほど理屈っぽい中国哲学もないが、ワーディングとロジックの組み合わせの妙からいえば、そうとう華麗なアクロバティック・エディティングでもあろう。ともかくもこうして朱子学は新儒学として、これまでの中国哲学の全般をディコンストラクションしたかのように見えるほどのもシステム理論になったのである。
けれども、どんな理論も近隣者からこそ不満は出るもので、続く陸九淵(陸象山)は朱子による「心」の扱いに不満をもって、そこから心学を引き抜き、新たな「心即理」のテーゼを引き出した。今日、朱子学あるいは宋学と呼ばれているのは、この朱子と陸九淵を足し合わせたものをいう
北宋の滅亡後、意外と安定していた南宋王朝では、君主・臣下・学士などが理学[心の本体である性と宇宙の根本である理を中心問題とする学問]に傾倒し、終日心性の説について語らった。理学はもともと儒教に仏教と道教が溶け込んだもので、三綱五常の神聖化を一歩進め、高 い宗教性を備えた学説になっていた。それは道教文化と同じ源から生まれたものだった。宋の理宗は理学に傾倒し、道教も好んでいた。
