有言実行が効くのは、疲れやすいネガティブな動機。
「宣言すれば、後に引けなくなるから頑張れる」。有言実行が勧められる理由は、たいていこれだと思います。
実際、これは正しい面があります。人に言ってしまった手前、やらないと恥ずかしい。その恥ずかしさを避けたい一心で、重い腰を上げられることは確かにあります。宣言は、自分を追い込むための、手軽な仕掛けです。
ただ、ここで見落とされがちなことがあります。
この仕組みで動いているとき、頑張る理由は「やりたいから」ではなく「恥をかきたくないから」になっているという点です。原動力が、内側からの興味ではなく、外からの視線への恐れにすり替わっています。
外からの視線を燃料にして動くこと自体は、悪いことではありません。実際、それで走り切れる場合もあります。
ただ、その燃料は、自分の内側から湧いてくるエネルギーとは、性質が違います。
恥をかきたくないという気持ちで動いているときは、常にどこかで「見られている」という緊張を保ち続けなければなりません。その緊張を保つこと自体にも、地味にエネルギーが使われています。
つまり、宣言によって手に入るのは、無料の推進力ではありません。「引っ込みがつかない状態」という、外圧を維持するための緊張と引き換えに得ている推進力です。
この構造に気づかないまま、「宣言すればやる気が出る」と思い込んでいると、なぜか疲れやすい挑戦を、無自覚に選び続けることになります。
同じ「頑張れた」という結果でも、恥を避けるために動いた頑張りと、やりたくて動いた頑張りとでは、終わった後の疲労感がまるで違います。
前者は、達成してもどこかホッとするだけで終わり、後者は、達成した後にもまだ続けたい気持ちが残ります。
この違いは、頑張っている最中には気づきにくく、終わった後になって、ようやく実感されるものかもしれません。
見分ける簡単な方法があります。
もし宣言した相手が急に興味を失ったり、その場からいなくなったりしたら、自分のやる気はどうなるか、想像してみることです。
すっと力が抜ける気がするなら、それは恥を避けるための燃料で動いていた証拠です。
逆に、相手がいなくてもやる気が変わらないなら、すでに内側からの燃料で動けています。
宣言を使うこと自体は、悪くありません。ただ、それが「内側から湧く力」ではなく「外圧で自分を縛る力」だと知った上で使うのと、知らずに使うのとでは、疲れ方がまったく違ってくるのです。
