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問いを「ずらす」という探究法――問いに近づくために、いったん離れる

この記事では、目の前の問題に近づくために、あえて一度離れる「問いをずらす」という探究法について考えます。

私の場合ですが、台風19号の経験からカスリーン台風へと関心が移っていった経験があります。

目の前の問題(現在の問題)に近づくために、あえて一度離れる(過去の問題を見てみる)という探究の方法について考えてみます。


2019年の台風19号のあと、私はその出来事をすぐに研究することができませんでした。

しかし、問いが消えたわけではありません。むしろ、その問いを考え続けるために、私はカスリーン台風という1947年に起きた過去の水害へと関心を移していきました。

2019年の台風19号が過ぎ去ったあと、私の中には、うまく言葉にできないモヤモヤが残りました。

あの台風19号とは、いったい何だったのか。

もちろん、ニュースを見れば被害の状況は分かります。
雨量や河川の水位、浸水範囲、避難情報、被害額なども記録されています。
行政の報告書もあります。
災害対応の検証も進められます。

けれど、私の中に残った問いは、それだけではありませんでした。

なぜ、あの出来事はこれほど大きな衝撃として残ったのか。
人びとは何を見て、何を感じ、どのように受け止めたのか。
そして、その経験は、その後の暮らしや地域の記憶にどのように残っていくのか。

そういう問いが、しばらく私の中に残っていました。

ただ、だからといって、すぐに台風19号そのものを研究しようとは思いませんでした。

むしろ私は、その問いを考え続けるために、いったん別の方向へ向かいました。

以下には、問いを手放すのではなく、問いを少し「ずらす」。このことについて考えてみたいと思います。



1.すぐには研究できない問題がある

災害の直後に、その出来事を正面から研究することは簡単ではありません。

被害を受けた人がいます。
家を失った人、避難生活を送った人、不安の中で過ごした人がいます。
その記憶は、まだ生々しいものです。

そのような状況で、外から研究者が入り、「そのとき何を感じましたか」と尋ねることには慎重さが必要です。

もちろん、災害研究や防災研究において、被災経験の記録はとても重要です。その記録が、次の災害への備えにつながることもあります。

しかし、少なくとも私にとっては、台風19号の直後に、その出来事を真正面から扱う準備はできていませんでした。

倫理的にも、方法論的にも、そして自分自身の距離の取り方としても、すぐに飛び込むことはできなかったのです。

それでも、問いが消えたわけではありません。むしろ、問いは残り続けました。

あの台風は、私たちに何を残したのか。
人びとは、水害の経験をどのように記憶し、どのように次の世代へ伝えてきたのか。

そこで私は、問いを少しずらすことにしました。


2.台風19号からカスリーン台風へ、問いをずらす

台風19号そのものを直接研究するのではなく、少し抽象度を上げて考えることにしました。

問いを、こう置き換えたのです。

過去の水害から、人びとは何を学んできたのか。

この問いなら、台風19号だけに閉じません。

もっと長い時間の中で、水害の記憶がどのように残されてきたのかを考えることができます。
被害の直後ではなく、時間を経て残された記録や石碑、語りに目を向けることができます。
現在の衝撃を、過去の事例を通して考えることができます。

その先に、カスリーン台風への関心がありました。

カスリーン台風は、1947年に関東地方を中心に大きな被害をもたらした水害です。埼玉県加須市には、その水害を伝える自然災害伝承碑が残されています。

私は、その石碑に関心を持ちました。

なぜ、そこに石碑があるのか。
何を伝えようとしているのか。
その場所で、かつて何が起きたのか。
そして、現在を生きる私たちは、そこから何を学べるのか。

台風19号の衝撃から始まった問いは、カスリーン台風という過去の水害へと向かっていきました。

※カスリーン台風と自然災害伝承碑については、下記記事で詳しく書いています。

3.目の前の問題を、目の前のまま扱わない

振り返ってみると、私がしていたのは、目の前の問題から逃げることではありませんでした。

むしろ、目の前の問題を考え続けるために、少し距離を取ったのだと思います。

台風19号を、台風19号のまま研究するのではない。
いったん抽象度を上げる。
時間をずらす。
過去の水害に目を向ける。
そこから、現在の災害経験を考えるための補助線を引く。

このような考え方は、研究だけでなく、探究学習にも通じるものがあります。

目の前にある問題が大きすぎることがあります。
身近すぎることがあります。
まだ言葉にできないことがあります。
正面から扱うには、倫理的にも、方法論的にも慎重さが必要なことがあります。

そのとき、すぐにその問題へ飛び込むことだけが探究ではありません。

問いを少しずらす。
時間をずらす。
場所をずらす。
別の事例から考える。

そうすることで、ようやく見えてくるものがあります。


4.「ずらす」ことは、あきらめることではない

問いをずらすというと、関心を弱めることのように聞こえるかもしれません。

しかし、私は逆だと思っています。

本当に大事な問いほど、すぐには扱えないことがあります。
すぐに言葉にすると、かえって単純化してしまうことがあります。
正面から近づきすぎると、見えなくなることもあります。

だから、いったん離れる。

離れることで、問いを捨てるのではありません。
問いを長く持ち続けるために、距離を取るのです。

台風19号のあと、私はすぐに台風19号を研究したわけではありません。
けれど、そのときのモヤモヤは、消えたわけではありませんでした。

そのモヤモヤがあったからこそ、カスリーン台風に向かいました。
過去の水害の記憶に向かいました。
自然災害伝承碑という、場所に刻まれた記憶に関心を持ちました。

現在の問題を考えるために、過去へ向かう。

これは、遠回りのようでいて、私にとっては必要な道筋でした。


5.探究は、距離を取ることから始まることもある

探究というと、目の前の問題にまっすぐ向き合うことだと思われがちです。

もちろん、それも大切です。しかし、いつも正面から扱えばよいわけではありません。現代社会の問題の中には、すぐに扱うには難しいものがあります。

当事者がいる。
痛みがある。
対立がある。
調べる側の準備も必要です。

そのようなテーマに出会ったとき、「やめておこう」と切り捨てるだけでは、問いは育ちません。

かといって、無理に正面から扱えば、誰かを傷つけたり、自分自身が抱え込みすぎたりすることもあります。

だからこそ、問いをずらす。

同じ構造を持つ、別の時代の事例を探す。
別の地域の事例を探す。
別の分野の事例を探す。

そこから、目の前の問題を考えるための言葉を少しずつ手に入れていく。

私にとって、台風19号からカスリーン台風へ向かった経験は、その一つの実例でした。


6.次に考えたいこと

この「問いをずらす」という方法は、災害研究だけに限られません。

ゼミ生の関心に近いテーマを考えるときにも、また高校の「総合的な探究の時間」で生徒の関心に向き合うときにも、同じことが言えるのではないかと思います。

生徒や学生が持ってくる問いは、ときにとても鋭いところを突いています。
けれど、鋭い問いほど、そのまま扱うのが難しいことがあります。

そのとき、教師や指導者は何ができるのか。

「そのテーマは危ないからやめなさい」と言うだけではなく、
「少しずらして考えてみよう」と言うことはできないか。

最近、AIとの対話を通じて、そのことを改めて考えました。

具体的なテーマ名を出すことよりも、そこにある構造を見る。
目の前の問題を、目の前のまま扱うのではなく、似ている構造を持つ別の事例から考える。

次回は、そのことについて書いてみたいと思います。




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