【エッセイ】【文学】【書評】人間の顔について クンデラ「誘拐された西欧、あるいは中欧の悲劇」を読む
一昨年亡くなったチェコが生んだ偉大な作家、ミラン・クンデラの「誘拐された西欧、あるいは中欧の悲劇」は二つの講演を収めたごく小さな、しかし多くのことを考えさせられる本である。私自身、考えもろくにまとまっていないのだが、頭に浮かんだままのことを、とりとめもなく書き連ねていきたいと思う。
二つの講演とは「プラハの春」前夜、チェコスロバキア作家大会での「文学と小民族」(1967年)と、亡命後のパリでの「誘拐された西欧、あるいは中欧の悲劇」(1983年)である。時代も状況も違う二つの講演だが、大国に翻弄される「小民族」の存立根拠としての文化を論じた前者と、具体的にハンガリー、チェコ、ポーランドを中心とした文化、運命共同体としての「中欧」の概念、その歴史的脆弱性を訴えた後者は、内容的に深い結びつきがある。すなわち、中世以来、文化的には「カトリック圏」、「ハプスブルク圏」として一貫して西欧に属していながら、第二次世界大戦後、政治的に東欧に強制編入され、「共産圏」、「ロシア圏」となった現代史の悲劇である。本書は2021年にフランスで刊行されたが、やはり昨今のウクライナ情勢と重ねて読まれたようである。クンデラによれば、「小民族」の定義は「いついかなるときにもその存在が脅かされ、消失すらしてしまいかねない民族であり、そのことを自覚している民族」。ゆえにその文化的価値こそが存在の根幹にかかわるということになる。地理的、歴史的には「中欧」といえないが、プーチンに民族としての存在を否定されたウクライナを想起するのは自然なことだろう。私などは本書を読みながら、自身の関心領域に引き寄せ、台湾の運命に思いをはせていた。欧州ですらないが、クンデラの論の視野、適用範囲は広いと思う。
中欧の抵抗運動は、新聞、ラジオ、テレビ、つまりメディアには支持されていなかった。抵抗運動を準備し、実行に移し、実現へと結びつけたのは、小説や詩であり、演劇、映画、歴史であり、文学雑誌、小劇場、哲学的な議論といったものであり、つまり文化であった。フランス人やアメリカ人にとって現代西欧のイメージそのものと重なり合うマスメディアは、抵抗運動においてはいかなる役割も担っていなかったのである。
民族のアイデンティティ、抵抗の原理としての文化。小説や詩、演劇、映画など、個々の小さな文化表現が、巨大メディアよりも強い影響力を示し、広範な大衆的基盤たり得たのは、おそらく1968年のプラハが最後くらいではなかろうか。「近代という時代、つまり文化がまだ至上の価値の実現を示していた時代」(同書)の最終章としての「プラハの春」。「文学部廃止論」さえ揚言される現代という時代、わが国の知的貧困。グローバリゼーションによる文化の一様化は個の希薄化を促し、抵抗の原理を弱体化させているだろう。既存マスメディアがそうした役割を担い得ると考える人はもはや数えるほどしかいないだろうし、潜在的可能性はともかく、現実にはフェイクとヘイトの拡散装置と化し、無責任な巨大プラットフォーマーの恣意と強欲に委ねられたSNSが信頼に足ると考える人も多くはないだろう。

しばしば、ドゥプチェクがモスクワから帰ってきたときラジオで行った演説のことが頭に浮かんだ。何をいったのかはもう忘れていたが、依然として彼のふるえている声はまだ覚えていた。(……)打ちひしがれて帰国し、打ちひしがれた国民に話しかけた。とても打ちひしがれていたので話すことができなかった。テレザはけっしてドゥプチェクの一つ一つの文の間のあのすさまじい間を忘れないであろう。(……)それらの間の中に、彼らの国にふりかかったありとあらゆる恐怖があったのである。(……)テレザは自分が弱い者たち、弱者の陣営、弱い者たちの国に属していることを意識し、その人たちが弱くて、一つの文の真ん中で息をつくために口をパクパクやる人だからこそ、その人たちに忠実でなければならないことを意識した。
「存在の耐えられない軽さ」は私の人生に大きな影響を与えた小説であり、語り出したら止まらないので一点に絞る。ソ連を中心としたワルシャワ条約機構軍の侵攻、アレクサンデル・ドゥプチェク共産党第一書記の逮捕とソ連への連行、「モスクワ協定」なる妥協の強制。クンデラは「プラハの春」という歴史的大事件の本質を、ドゥプチェクのか弱い演説、言葉によどむ長い間に集約させているように思う。映画においては市民の果敢な抵抗が描かれ、私もそうだが、「ヘイ・ジュード」のシーンとして感銘深く記憶されている方も多いかもしれない。だが、少なくとも原作者の思いや意図からは大きく離れたものだろう。ドゥプチェクのふるえる声と沈黙、その象徴するところを一言でいえば「小民族の悲哀」ということになろうか。
再び自身の関心領域に引き寄せて恐縮だが、李登輝の「台湾人に生まれた悲哀」という言葉を思い出す。週刊朝日での司馬遼太郎との対談中に発せられた言葉で、SNSのない時代、台湾国内で広く拡散し、多くの人々の琴線に触れた。自分たちの意思とは無関係に外来勢力に支配され続けてきた歴史を嘆くこの発言は、1996年の初の総統直接選挙で李登輝が圧勝した一因ともいわれている。悲哀という感情の集団的記憶と共有。これも一つの民族的アイデンティティにならないだろか。勇ましくはないが、しなやかでへこたれない抵抗の原理として。ビロード革命とひまわり学生運動――論としてははなはだ弱いが、そんなことを考えた。

その時に、プラハの学生たちが片言の英語で盛んに言っていたのが、自分たちの望みはコンバージェンス・セオリーだということです。収斂理論というふうに日本では訳されていました。つまり、社会主義と資本主義の両方とも発展していって、やがて一つの体制に収斂していく、と。だから、その頃、プラハの学生、社会主義圏の学生たちが、隠れてか隠れてないか分からないけれども、収斂理論を一生懸命読んでいたんですね。そういうことを言っていたのが非常に印象に残っている。
3年前に亡くなった現代日本を代表する知性、社会学者の見田宗介が1974年当時を回想した証言である。「プラハの春」の蹉跌から6年、人々は決して意気消沈していたわけではなく、希望は生き続けていたようだ。最近、漠然とだが収斂理論は正しかったのではないかと思うことがある。それでよかったのではないかという意味で。一方に市場経済と複数政党制を導入し、言論、報道等の自由を大幅に認めた社会主義、すなわち「人間の顔をした社会主義」。他方に格差や不公正の是正への介入を辞さない政府による、高福祉の社会民主主義的な修正資本主義。両体制の接近と融合。それは決してユートピアということではないだろう。強大な行政国家、非効率な官僚制。学生時代に読んだのでうろ覚えだが、そうしたことはガルブレイスが散々議論していたように記憶している。ただ、新自由主義が横暴をきわめ、万人が万人に対して狼と化した今日のディストピア的状況と比べてどうか。それは本当に必然だったのか。資本主義の社会主義に対する勝利、イデオロギー闘争の終わり、リベラルな自由民主主義の普遍化云々。冷戦終結後、一世を風靡した「歴史の終焉」なる所説。今、そのリベラルという概念が世界中で十字砲火を浴びている。
「人間の顔をした資本主義」などといったらナイーブに過ぎよう。「人間の顔」を自明のこととしてよきものと想定できたのは、「近代という時代、つまり文化がまだ至上の価値の実現を示していた時代」の話だろう。人間的価値のデフレーションとしてのポストモダンとその代弁者的イデオロギー。「人間の顔」といったところで、弱肉強食の行き過ぎた世、被食者を求める新自由主義者らのハイエナ然とした獣面を思い浮かべる人もあるかもしれない。それでも古色蒼然たるヒューマニズムに固執したいようにも思う。それでいいのではないか。
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