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【エッセイ】【映画】【音楽】荒れ野をゆく(上) テレンス・マリック「バッドランズ」とブルース・スプリングスティーン「ネブラスカ」

 今までずっと観たいと思っていながら、観る機会がなかった映画を初めて観ることが出来た、この歳になってそんな経験をするとは。1973年公開の「バッドランズ」(Badlands,テレンス・マリック監督)のことである。作品冒頭、バトントワリングの練習をする高校生のホリー役のシシー・スペイセクに、ゴミ収集員のキット役のマーティン・シーンが声をかける、美しいそばかすをいっぱい湛えた女の子とジェームズ・ディーン気取りの甘いマスクの若い男、Boy meets Girl、くるくる回り続けるバトン――「ああ、これだ!」と、思わず心の中で声を上げた。

I saw her standing on her front lawn
Just twirling her baton
Me and her went for a ride, sir
And ten innocent people died

バトンを回しながら
家の前の芝に立っている彼女を見かけた
俺と彼女はドライブに出て
十人の無辜の人が命を落とした

ブルース・スプリングスティーン『ネブラスカ』

 荒涼としたアメリカ中西部の大地と殺人犯の内面を思わせる虚ろなハーモニカのイントロ、アコースティックギター一本による弾き語り、ブルース・スプリングスティーンの低くささやくような歌声が頭の中に響く、歌詞も正確に覚えていた――なぜ「バッドランズ」をずっと観たかったかというと、私が大きな影響を受けたブルース・スプリングスティーンのアルバム「ネブラスカ」(Nebraska,1982年)、そのタイトル・ナンバーはこの映画にインスパイアされて作られており、なぜ今まで観る機会がなかったというと、日本では製作から半世紀以上を経た今年、劇場初公開だったからである。わがホームグラウンド、早稲田松竹でかかるというので、いつものように劇場に走った。

 映画は1958年にネブラスカ州で実際に起き、全米を震撼させたチャールズ・スタークウェザーとキャリル・アン・フューゲートによる連続殺人事件をモデルにしたもの。交際を反対されたことに腹を立てたキットはホリーの父親(ウォーレン・オーツ)を撃ち殺し、家に火を放ってホリーを連れて逃亡。行き当たりばったり、出会った人々を殺していく二人の自暴自棄な逃避行が始まる――。

マーティン・シーン
シシー・スペイセク

From the town of Lincoln, Nebraska
With a sawed off .410 on my lap
Through to the badlands of Wyoming
I killed everything in my path

I can't say that I'm sorry
For the things that we done
At least for a little while, sir
Me and her we had us some fun

先を切り詰めた41口径のショットガンを膝に乗っけて
ネブラスカ州リンカーンから
ワイオミング州の荒野にいたるまで
行く手をさえぎる奴を片っ端から殺した

自分たちのしでかしたことを
悔いることなんてできはしない
少なくともつかの間
俺と彼女は楽しんだんだから

ブルース・スプリングスティーン『ネブラスカ』

 ブルース・スプリングスティーンの「ネブラスカ」と映画「バッドランズ」、ディテールはともかく、どちらもおおまかに実在の事件をベースにしている。決定的な違いはその語り口であろう。「ネブラスカ」では連続殺人犯の男の一人称でその心情が歌われるが、「バッドランズ」では15歳の少女ホリーのモノローグに沿って物語は進む。どこか他人事で現実感に乏しく、少しばかり詩的なナレーションは、シシー・スペイセクのいたいけではかなげなルックス、詩情あふれる映像美とあいまって、殺戮につぐ殺戮、殺伐とした物語と奇妙で極端なコントラストを成しており、残酷なおとぎ話でも観ているような美しい錯覚にとらわれる。
 森の中に逃れ、木の上に家を作って暮らす二人、童話の世界そのものであろう。マジック・アワーを狙ったショット、川の流れを背景にした場面はどれも息を飲むほど素晴らしい。決して離れないという約束を書いた紙を付けて飛ばした赤い風船が、青い空に吸い込まれていくシーン、この映画を観た者は決して忘れないであろう。
 正直なところ、テレンス・マリックは苦手な監督であった。どこがいいのかさっぱり分からない作品もある。無駄に絵がきれいなだけじゃないかと。しかしこのインディペンデントのデビュー作としては驚きのクオリティである「バッドランズ」については、その言は当たらないだろう。
 一般的な言葉なのかどうかは分からないが、「逃避行映画」とでもいうジャンルがアメリカ映画にはある。フリッツ・ラングの「暗黒街の弾痕」(1937年)、ニコラス・レイの「夜の人々」(1948年)、アーサー・ペンの「俺たちに明日はない」(1967年)等々。「バッドランズ」もそうした偉大な作品の系譜に連なるのであろうが、先行する名作と比べると、半ば夢想的な抒情性が濃厚な分、時代背景も含めた社会性は稀薄だ。そこがこの作品の弱点にして、唯一無二の美点なのだろう。

Now the jury brought in a guilty verdict
And the judge he sentenced me to death
Midnight in a prison storeroom
With leather straps across my chest

Sheriff, when the man pulls that switch, sir
And snaps my poor head back
You make sure my pretty baby
Is sitting right there on my lap

They declared me unfit to live
Said into that great void my soul'd be hurled
They wanted to know why I did what I did
Well sir I guess there's just a meanness in this world

陪審員は俺に有罪を評決し
裁判官は死刑を宣告した
真夜中の刑務所
俺の胸は革ひもで縛られる

保安官よ、電気椅子のスイッチが入れられ
俺の頭がガクッと後ろへ倒れる時
かわいいあの娘が俺の膝の上に乗っかっていますように
頼みますよ

奴らは俺を生きるに値しないと断じ
俺の魂は無に帰するとぬかした
奴らは俺が何でこんなことをしたのか知りたがったけど
さあ、この世にはわけもなく、ただ卑劣な行いってもんがあるんだろうよ

ブルース・スプリングスティーン『ネブラスカ』

 「バッドランズ」はキットの投降に近い逮捕で終わっており、法廷や死刑の様子は直接描かれていない。死を前にした死刑囚の絶望的で達観した心境にほとんど同期して歌われた「ネブラスカ」のこの部分は、ブルース・スプリングスティーンが書いた最もすぐれた歌詞の一つではないか。理由なき殺人。映画では警察官に動機を尋ねられたキットは「悪いヤツになりたかった」とだけ答えていた。there's just a meanness in this world、チャールズ・スタークウェザーもそのような発言はしていないようなので、ブルース・スプリングスティーンの創作であろう。一般にアメリカの労働者階級の人々の夢と希望を楽天的に歌い上げたと思われているブルース・スプリングスティーンのもう一つの顔、深い厭世観とペシミズム。末期の殺人鬼の口に託して、吐き捨てるように歌われたこの最後の一節は、聴けば聴くほど、目を背けたい真理を撃ち抜いているように思えてならない。

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橋本 健史 公開中の「林檎の味」を含む「カオルとカオリ」という連作小説をセルフ出版(ペーパーバック、電子書籍)しました。心に適うようでしたら、購入をご検討いただけますと幸いです。

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