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【エッセイ】【音楽】荒れ野をゆく(下) ブルース・スプリングスティーン「ネブラスカ」を改めて聴く

 果たして本当にそんな文章を読んだのかどうか、今となっては少々怪しくなっている。米国を代表する音楽評論家のグリール・マーカスが、ブルース・スプリングスティーンの1982年のアルバム「ネブラスカ」(Nebraska)を考察した批評で、スプリングスティーンの歌詞とロナルド・レーガンの演説からの引用を並べて論じたその文章に強い衝撃を受けたように記憶している。レーガノミクス、新自由主義への静かな抵抗云々といった文意だったように思うのだが、それは本当にグリール・マーカスの文章だったのか、いや、そもそもそんな文章が存在したのか――。

 「ネブラスカ」はブルース・スプリングスティーンのディスコグラフィの中でもひときわ異彩を放っている。大ヒットした2枚組「ザ・リバー」(1980年)と全世界特大ヒットの「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」(1984年)の間に挟まれた地味なアルバム。サウンド的にはアコースティックギター一本による弾き語りを基本に、禁欲的なまでに抑制したスタイルの、フォーク色の強い作品に仕上がっている。もともとはスプリングスティーンが自宅寝室でデモテープとして録音したもので、このテープをもとに、手勢のEストリート・バンドとスタジオでレコーディングに臨んだのだが、結局、元のデモ音源をミキシングしたものがアルバムとして発売された。なんと、この時のEストリート・バンドとのセッションの音源、ブートレグとしても出回っていなかったフル・バンド版の「エレクトリック・ネブラスカ」が、近く正式リリースされるというから、長年のファンとしては「わお!」という感じである。

 歌詞も他のスプリングスティーンのアルバムと比べ、かなり特徴的である。そのサウンドと相まって、しばしば「アメリカン・ドリームの影」と評され、うなるしかない精細な文学的描写による荒涼、暗澹とした世界が展開する。曲は大きく二つの系統に分かれる。
 一つはスプリングスティーンの子ども時代の、決して明るくはない思い出を歌ったもの。すなわち、妹と丘の上の豪邸を羨望の眼差しで見上げる「マンション・オン・ザ・ヒル」、中古車セールスマンのいい客にされている父の悲哀をじっと見ている「ユーズド・カー」、子どもの頃に住んでいた家の夢、父との確執の記憶、和解への希望を歌った「マイ・ファーザーズ・ハウス」。「スプリングスティーンの最もパーソナルなアルバム」といわれるゆえんである。
 そしてもう一つは犯罪を扱ったもの。特にA面の4曲はスプリングスティーンのキャリアの中でも特筆に値する名曲ぞろいだと思う。前回詳しく触れた、チャールズ・スタークウェザーとキャリル・アン・フューゲートによる連続殺人事件をモチーフとしたタイトルナンバー「ネブラスカ」。電気椅子の男は自らの所業を悔いることなく、自分があの世に行く瞬間、「かわいいあの娘が俺の膝の上に乗っかっていますように」と夢想する。

 「アトランティック・シティ」で描かれるのはギャング団の抗争。まっとうに生きたいと願いながら何をやってもうまくいかず、ギャングの配下となる男。男は恋人とやり直すため、ヤバいヤマを引き受ける。伸るか反るか、男の胸に去来する「永劫回帰」の直観。「すべてのものは死ぬ それは冷厳な事実 しかし死んだものはいつかすべて甦るかもしれない だから化粧をして 髪をアップに結い 今夜アトランティック・シティで待っていておくれ」。私はこの歌の世界観がしびれるほど好きで、最も愛するスプリングスティーンの曲の一つである。

 勤めていたフォードの工場が閉鎖され失業し、多額の借金を負った男。しこたま酔っ払い、夜勤の店員を撃ち殺した。懲役98年とプラス1年を言い渡され、それで男は「ジョニー99」と呼ばれた。自暴自棄の男は自ら死刑を懇願する。「頭の中で考えていることに死刑を宣告できるなら 裁判官、もう一度考え直してくれませんかね」。絶望的な世界だが、どこかユーモラスでもある。ライブでは定番のエモーショナルなナンバー。

 「ハイウェイ・パトロールマン」の語り手は実直な警察官。対してベトナム帰りの弟フランキーは手に負えないトラブルメーカー。そんな弟が騒ぎを起こしても、兄はお目こぼししていた。ある夜、フランキーは酒場で若者と悶着を起こし瀕死の重傷を負わせる。兄はパトカーで弟を追う。しかしカナダ国境近くで追跡をやめ、逃走車両のテールランプが国境の向こう、闇に消えていくのをただ見守る。「弟が道に迷えば 俺は引き戻す 兄弟ならみんなそうするだろ 家族に背を向ける奴なんて ロクなもんじゃない」。ささやくような静かな歌いぶりだがドラマチックで、そのまま映画になりそうな逸品。実際、ショーン・ペンがこの曲を元に映画を作っている。下がその映画「インディアン・ランナー」。

 「ネブラスカ」的世界観、というのは私の造語だが、暗くペシミスティックで、矛盾に満ちた救いなき世界、それでも人々はこのどんづまりからの出口を求め必死にもがく、deliver me from nowhere――そうした人間理解が、私の根底にあるように思う。ドストエフスキーやらハイデッガーやらをかじる前、少年期に出会った「ネブラスカ」が、私の心の古層にぬぐいがたい痕跡を残したようだ。社会の紐帯から切り離され、見捨てられた人々が投げ込まれる世界苦といったものに、若年の未熟者なりに、何かしら打たれるものがあったのだろう。

 そんなブルース・スプリングスティーンや「ネブラスカ」からしばらく遠ざかっていた。いや、ロックや洋楽そのものをあまり聴かなくなっていた。「ネブラスカ」を聴き直すようになったのは2000年代に入ってからだ。強烈な既視感を覚えたからである。すなわち、小泉純一郎政権の誕生と竹中平蔵の登用から第二次安倍晋三政権の終焉まで続く、約20年にも及ぶ腐敗と不毛の清和会支配、新自由主義の時代である。
 人が人を切り捨て、食らうのが当たり前の修羅のような世。非正規労働=捨て駒の無責任な拡大、社会の極端な二極化、中間層の急速なメルトダウン。竹中平蔵や橋下徹らの破壊的「改革」を見ていると、この国の豊かで穏当だった中産階級への冥いルサンチマンのようなものを感じてならない。所謂「アベノミクス」なる、実りなき邪道的施策。安倍晋三や黒田東彦にとっては、「トリクルダウンは起きませんでした、てへっ」で済む話で、格差拡大の是正に無策だったというより、無関心だったのだろう。「改革」熱やら人為的株高やらタカ派的言動やらに煽られた「安酒の悪酔い」的な世相。長期政権であることのみを自己目的とした「憲政史上最長政権」という空疎な響きと漂う腐臭。そのレガシーは、絶望的に分断化した社会と、価値観の違う相手を幼稚なレトリックとロジックで罵る政治文化、その帰結としてのヘイトの猖獗くらいのものであろう。こうしたすべてはバラバラにされた個=孤に「自己責任教」を内面化することで正当化され、多くの人が棄民感を抱く荒野のような光景が広がる――。
 私はそれまで「ネブラスカ」を、すべてを失った人々の「実存的」見地から聴いていたのだと思う。そうではなく、それはもっと「社会的」なものなのだろう。そうした視点の変化にともない、いつか読んだはずの、おそらくはグリール・マーカスの手になる、「ネブラスカ」にレーガン批判、新自由主義批判を読み込んだあの文章の真価に気づいたのであろう。

 ただその批評を読んだ状況がトンと思い出せない。ミュージック・マガジン誌上で読んだように記憶しているのだが、当時ロッキング・オン派だった私はミュージック・マガジンを定期購読しておらず、図書館かどこかでバックナンバーでも読んだのだろうか。どうにも気になり、この駄文をものすにあたり、掲載されているかもしれない単行本に目星をつけ、置いていそうな古書店を探し当て、吉祥寺まで足をのばして買い求めた。
 果たせるかな、その文章とうん十年ぶりに再会することができた。誰もが孤立し、人間が単なる社会的、経済的機能として疎外された新自由主義的世界への批判。記憶はおおむね正しかったようである。うれしいので少し長くなるが、勘どころを引用する。

 ブルース・スプリングスティーンの新しいアルバムの歌詞とロナルド・レーガンのUSAに関するいくつかの言葉を織り交ぜたのは、そのふたつは分かちがたく、分けてしまうことは欺瞞であるからだ。(……)『ネブラスカ』は、ロナルド・レーガンのUSAが引き出した抵抗と拒絶の表明としては最も徹底したものであり、またおそらくは最も説得力のあるものだ。どの芸術家の表明よりも、あるいはどの政治家の表明よりもである。(……)彼の抵抗は自覚のない抵抗として呈されている。そこには雄弁もなければ論争もない。政治観は個人個人の物語の奥底に埋もれている。

(グリール・マーカス『ロックの「新しい波」』所収 「レーガンの政策への果敢な抵抗」)
グリール・マーカス

 レーガン時代とは比較にならないほど分断が深刻な荒涼たる現代アメリカで、盛りを過ぎたオールド・ロックンローラーであるブルース・スプリングスティーンは、独裁者に「干からびた”プルーン”のようなロッカーは口を閉じろ」と罵られながらも、「腐敗し無能な国賊的な政権」と戦っている。自ら労働者階級の出身で、彼らの夢や希望、悲哀や失望を歌い続けたスプリングスティーン。アメリカに行ったことも住んだこともない私にとって、彼の歌に登場する多彩なキャラクターこそが、「普通のアメリカ人」の原像であった。まさしくそうした人々が、扇動者によるMAGAの狂騒に飲み込まれている。旗色は悪いかもしれない。それでも私はU2のボノの言葉を信じたい。「アメリカにボスは一人しかいない」。ボスとはこの偉大なロッカーの愛称である。

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橋本 健史 公開中の「林檎の味」を含む「カオルとカオリ」という連作小説をセルフ出版(ペーパーバック、電子書籍)しました。心に適うようでしたら、購入をご検討いただけますと幸いです。