まいったなあ
昨日、大学講師のAIセミナーに参加した。
初心者向けではない、充実した深い話だった。
その中で出てきた言葉。「AIは鏡だ」。
自分もよく使う言葉だ。
サイロ化や思い込みを映し返してくる、という意味で。
理解できる。正しいと思う。
帰ってから、なぜか一年前に書いた古い記事を読み返した。
面白くなかった。
自分の頭で書いたと思っているのに、
構造が先行していて、体験が後からついてきている。
そういう記事だった。触る気にはなれない。放置することにした。
ただ、
「いまの自分が同じテーマで書いたらどうなるか」
は知りたかった。それでClaudeに頼んだ。
元の記事は参照せず、テーマだけ借りて書いてもらった。
出てきたものを読んで、思わず言った。
まいったなあ。
草稿にはこんな一節があった。
「道具は正直で、入力の質をそのまま反射する。AIに渡すのは、自分の中で何かが熟した後でいい。」
自分では、こんなふうには言えない、と思った。
でも少し待って、気づいた。
これはむみまさんの記事から蒸留したものです、
とClaudeは言った。
「足したのは、順番と、言い切る勇気だけ」と。
そこで「鏡じゃないかも」という言葉が頭に浮かんだ。
鏡は映すだけだ。でもClaudeは、
蒸留して、圧縮して、再構成する。
講師が言う「鏡」と、
自分が感じた「鏡じゃない」は、
同じ言葉で違うものを指していた。両方正しい。
結局、素材は自分の中にしかない。
Claudeが一人で書いたら、
「歩いているとき」も「道具道」も出てこない。
「言えない」ではなくて、
「まだ言語化していなかった」だ、
とClaudeは言った。
それも、「まいった」
同じテーマ。同じ人間。一年の差。
これは1年前の私。対比するのも面白い。
一年前の記事はこちら

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