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同じことを何度も書く人だけが、覚えてもらえる

こんにちは、静観です。

今日、記事を書こうとして、
少し手が止まりました。

昨日も毎日投稿の話を書いたのに、
今日もまた似た話になりそうだったからです。

「さすがに、また同じ話か」

そう思って、いったんやめました。

発信を続けていると、
こういうことがよくあります。

前にも書いた気がする。
また同じ結論になっている。

だから、別のテーマを
探したくなります。

でも、よく考えると、
読んでいる人はそこまで覚えていません。

こちらは毎日書いているから覚えている。
けれど、読者は毎日読んでいるとは限らない。

タイトルだけ見て終わった人もいるし、
そもそも記事の存在を知らない人もいます。

自分にとっては何度目でも、
読む人には初めてかもしれない。

そう考えると、
同じことを書くのは悪くありません。

同じことを書くのは、ネタ切れではない

もちろん、同じ文章をそのまま
何度も出すという意味ではありません。

伝えたい中心は同じでも、
入口は毎回変わります。

ある日は、売上が落ちた話から書く。
ある日は、煽る広告への違和感から書く。

ある日は、暮らしの話から書いて、
また同じ場所に戻ってくる。

僕の場合は、

「必要以上に働きたくない」
「煽ってまで売りたくない」
「大勢より、必要な人に届けたい」

という場所に、何度も戻ります。

これは、ネタがないからではありません。

たぶん僕が、
そういう生き方をしたいからです。

同じことを何度も書くというのは、
同じ主張を押しつけることではない。

自分が何を大切にしている人なのかを、
少しずつ覚えてもらうことです。

ラットレースから逃げたかった

昔の僕は、かなり働いていました。

ネットビジネスを始めてから、
一日にブログを何記事も投稿しました。

YouTubeもやりました。
メルマガも毎日書きました。

商材を作っては作り直し、
また新しいものを作りました。

普通のサラリーマンより、
働いていた時期もあったと思います。

嫌々やっていたわけではありません。

売上も、それなりに増えました。

でも、稼げば稼ぐほど、
税金も増えていきます。

家族に使われるお金も増え、
もっと稼がなければならなくなりました。

ラットレースから抜けるために、
ネットビジネスを始めたはずでした。

それなのに気づけば、
別のラットレースに入っていました。

「いったい、何をやっているんだろう」

そう思っていたころ、
検索でメキシコ漁師の話を見つけました。

たくさん稼いで、
いつかのんびり暮らすのではない。

必要な分だけ働いて、
今を大切にして暮らす。

その話を読んだとき、

「ああ、俺がやりたかったのは、
これなんだよな」

と思いました。

そこから僕は、
働く時間を少しずつ減らしました。

読者の数も、必要以上に
増やそうとしなくなりました。

一日に二、三時間ほど働き、
あとは自分の時間にする。

収入が減るとしても、
もうラットレースには戻らない。

そう決めました。

何度も書くのは、自分のためでもある

僕がメキシコ漁師の話を
何度も書いてきたのは、

読者に覚えてもらいたいからだけでは
ないのかもしれません。

自分自身が、また昔のように
自分を煽り始めないためです。

振り返れば僕は、
ネットビジネス以前から、

ずっと自分を煽って
生きてきた気がします。

大工の時代も、
料理人の時代もそうでした。

もっと働け。
もっと結果を出せ。

もっと人より上に行け。

そうやって、
自分を追い立ててきました。

離婚して、生活が大きく変わって、
ようやく思ったんです。

もう少し、自分を大切にしても
いいのではないか。

だから同じ話を書くことには、
もう一つ意味があります。

読者に伝えるだけではなく、
自分が戻る場所を確認することです。

自分の中心を、別の体験から書く

では、何を繰り返し
書けばよいのでしょうか。

僕なら、次のように考えます。

  • 過去に何度も書いた考えを探す

  • その考えが生まれた体験を書く

  • 毎回、違う出来事を入口にする

  • 結論が同じでも消さずに出す

何度も戻ってしまう考えは、
その人の中心にあるものです。

それを無理に避けて、
毎回まったく違う話を書けば、

何を大切にしている人なのか、
逆に分かりにくくなります。

AIを使えば、
文章は簡単に整います。

けれど整いすぎると、
どこにでもある文章にもなります。

だからこそ残したいのは、
うまい言い回しではありません。

その人にしか歩けなかった人生と、
何度でも戻ってしまう考えです。

人は、情報より生き方を覚えている

昔の僕は、

「自宅の二階で、
誰にも会わずにひっそりと、
なぜか稼いでいる人」

というような世界観を、
よく伝えていました。

そのころが、
一番売れていた気がします。

今思えば、
ノウハウだけが売れていたのではありません。

「この人のような暮らしがしたい」

そう思ってくれた人が
いたのだと思います。

今の僕なら、

自宅でひっそりと、
黒猫と難病の彼女を見ながら、

ゆらりと生きている。

それでも暮らしていけるくらいには、
きちんと稼いでいる。

「私も、そんな人生にしたい」

いつか、そんなふうに
覚えてもらえたらうれしいです。

何を教えている人かだけではなく、
どんなふうに生きている人なのか。

そこまで伝わったときに、
発信は情報ではなく、

その人にしか作れない
一つの世界になるのだと思います。

まだ、覚えてもらう途中にいる

とはいえ今の僕は、

「静観さんといえば、
こういう人ですよね」

と、まだそこまで
言われているわけではありません。

それは、繰り返しすぎたからではなく、
まだ伝わる途中なのでしょう。

自分では何度も書いたつもりでも、
読者には数回しか届いていない。

あるいは、一度も届いていない。

そう考えると、
昨日と似た話でも、

今日の自分の体験から、
もう一度書けばいいと思えます。

昨日と今日では、
見ている景色も少し違います。

同じ結論に戻ったとしても、
そこまで歩いた道は同じではありません。

同じことを何度も書く人だけが、
最後には生き方まで覚えてもらえる。

だから、また同じ話だと思っても、
すぐに消さなくていい。

そのテーマは、
何度も戻ってしまうほど、

自分が大切にしていること
なのかもしれません。

僕もまだ、
覚えてもらう途中です。

だから今日も、同じことを
少し違う言葉で書いています。


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「あ、その情報見た」で去る人へ
同じ情報でも、自分の経験から
もう一度書く意味について書いています。


僕は19年以上、文章を書きながら、
商品や仕組みを作ってきました。

派手に煽るのではなく、
必要な人に静かに届けながら、

何もしない月にも売上が残る流れを
少しずつ育ててきました。

noteを書いているのに、
スキだけで終わってしまう。

そんな状態から一歩進むために、
僕が続けてきた考えをまとめています。


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