自分を「信じる」ってなんだろう?
なんでもないときにふと思いついた問いかけが地味に刺さって抜けないときがある。
じっとりと肌に張り付く暖気の内側で冷えていく汗、それに近いある種の不快な予感。
…続けるって、どうしてこんなに難しく思えるんだろう。
最初の一歩を踏み出すのは、個人的には、そんなに大変じゃない。
note を書くこともそうですが、書いてみようかなと思いついた次の日には実際に投稿してみました。
今のところ毎日ひとつずつ問いを立てて記事にして、これが4つ目の記事。
…それが忍び寄ってくるには、ちょうどよい頃合いだったかもしれません。
勉強や趣味も含めて、続けたいことがあるとき、気づけば「続けられるか」を考えてしまっている。
最初の一歩は踏み出せるのに、継続するとなると腰を重くするのは…たぶん、怖いから。
はじめたが最後 「いつまで続けるのか?」という問いがやってくる。
別にうまくやりたいわけじゃないけれど、それでもこの不透明さが今後ずっと続くこと、それを考える時間の諸々が ーー
問いを探すのは好きな一方、際限のなさは苦手です。
この問いは、答えがない問いだと分かっているから余計に。
継続するって、ただ実行してみて、それを繰り返すというだけなのに。
そのやり方があると思って継続や習慣化のコツなんかを調べてみたりして。
いくつか本を読んでみて納得したのが、「意思ではなく仕組みを回して、あとは自分を信じてやるだけ」というフレーズの後半がなんとなく引っかかった。
信じるって、なんだろう…?
未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない。
君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。ともまた違うのだろうけれど。
ふんわりしていて、私にとっては少し扱いに困る言葉。
でも。
これが分からないと、仕組みを作ってもどこかで折れる ーー そんなざらりとした感覚とは、できればそろそろお別れしたい。
…そんなわけで今回は、私自身にとっていま必要な問いを立てました。
継続に必要なのは、仕組みと、自分を信じること。
その「自分を信じる」ってどういうことなのかを、もうすこし触れられる形に置き換えてみるのが今日のゴールになりそうです。
実績があれば自信になる?
とりあえず、分からない言葉は辞書を引こう。
しん・じる【信じる】
①少しの疑いも持たずにそのことが本当であると 思う。
②自分の考えや判断が確実であると思う。 確信する。
③相手のことばや人柄に偽りがないものと思う。信用する。信頼する。
④信仰する。信心する。
文脈によって4つの意味に分かれているけれど、コアのイメージは「対象の正しさを認めて受け止める」…といったところ。
…この定義だと、余計に掴みどころがなくなる気がする。
信じるためには正しさや確信が必要?
私はこれまで途中で投げ出したり、挫折したり…明確に継続できなかった、失敗したという感覚はまだ味わったことがありません。
分かりやすいところで言うと、志望校を変えずに浪人したり、新卒で入社した会社で働き続けていたり。
それが良いことかはさておき、結果的に続けてきた実績はあります。
それでも、自分が継続できるタイプだとは少しも感じない。
続ける自信を持っていない、と言えるのかもしれないけれど…ただやるだけ、というのに自信が必要なんだろうか?
自分を信じる、と書いて「自信」
…見慣れた当たり前の字面が、よく考えてみると重たく感じる。
…自信って身につくものなんだろうか?
今までの経験から自然に自信が身につくものならば、持っていてもいいはずなのに、それがない。
他のひとはどうなんだろう。
やってきたことの数だけ、「次もやれる!」という根拠になる?
そもそも能力や正しさって測れるものではない気がする。
できたことは運のおかげかもしれない。
再現性はないかもしれない。
そうやって考えてみると、経験と自信は遠いものに見えてきてしまう。
…専門家や職人レベルになれば自信がつく?
それとも、論理的に正しければいい?
今のところ、私は専門性が高い人間ではありません。
思考はなるべく論理的であるように、と意識しているけれど、それを「信じる」という言葉に収めるのはどこか冷たい感じがする。
…自信はさておき、一度「信じる」という言葉に戻ってみて、自分が何か他のものを信じられた場合を考えてみよう。
信じることに根拠はいらない?
自分以外の対象を信じるというとき、パッと思いつくのは他人の言葉だった。
友達や家族、先生。あとは…私にとっては本や歌詞も「他人」に含まれる。
相手に直接「信じている」と伝える機会は少なくても、心の中で「この人が言うことは信じられる」と思うことはたくさんあります。
なんなら、そうした言葉の助けを受けて日々を生きている。
誰かの言葉を信じるときって、何を思っているんだろうか。
本は分かりやすい。論理的で、あとは響くかどうか。
響くっていうと曖昧だけれど、共感できる例があったり、読んで虚しくならない内容だったら納得感がある。
小説の場合も…この場面でこの台詞が出てくることに対して、その登場人物の厚みがなければ「なんだこいつ」なんて思ってしまう。…要するに、説得力があるかどうか。
そこは友達や家族も同じだろうか?
相手とのこれまでの関係があって、「この人が言うことだったら聞いてみよう」と思えるかどうか?
自分のことを分かってくれている友達の言葉だから受け取ってみる。
自分より長く生きているから親の言うことを聞く。
…ちょっと違和感がある。
自分のことを知ってくれているから信じられるなら、歌詞は?
生きた年数が物を言わないことだってある。
自分との関係性は前提にしてもいいかもしれないけれど。それを信じるというなら、あのふんわりした感じはなんなんだろう。
信じていいのか迷うとき「違ったらどうしよう…」という考えは多少なりとも頭を過ぎる。
そういうとき、意味や理由を探すけれど、保障なんて考えたところで見つからない。
そりゃそうだ、まだやってないんだから。
だったら、…もしかして。
確かな根拠がない状態で、それでも判断するのが「信じる」ということになるんじゃないか?
根拠がないから「信じられる」
正しいかどうか、本当に自分ができるかどうかを事前に知る方法は、どこにもない。
未来のことは、今は絶対に分からない。
…直視すると痛いけれど。
それでも、結果が過程を追い越すことは起こり得ないのがひとつの真理だと思う。
だから、因果関係から判断せずに決めることが「信じる」ということになるんじゃないだろうか?
決めるときの基準は自分だけ。
そこには経験や直感が入るかもしれないけれど、今までできたことが次もできる保障はない。
…冷たい合理だ。
けれど、その状況で今の自分が選ぶかどうか。
分からない中で判断する。自分で選んだと後で言える状況を作る。
それが信じることの意味や定義になるのかもしれない。
「信じるってどういうことか」の次の問い
最初の一歩で起点を打つ。その後の継続はきっと、終わりのない直線をなんとなく引くようなもので。
そこに自分で区切りを定めて数直線にすることで、少なくとも「ずっと怖いまま」ではなくなる気がする。
左端から区切りを増やしていって、数直線を更新する。
どこで区切るのかは自分で決めるしかない。等間隔でも、たぶんバラバラでもいい。区切るために、何回でも。怖くなければ、その間はきっと動ける。
…信じるというのが、どういうことなのか分かってきたところで問いの形も変わってくる。
私にとって本当に必要なのは「根拠のなさや不安はどうやって扱えるか?」という問いだ。
根拠がないまま判断するとき、きっと分かっていても理由を探してしまって不安になる。
自分を信じて、更新しながら不安に耐えて進む。それもまた継続だ。
いつも決まった場所や時間で作業をする、前の晩に机上にノートを広げておくといった「継続のコツ」はきっとそのために使うツールのひとつなんだろう。
これも冷たい合理のひとつだけれど。
継続や連続は力になる。でも、途切れてしまったとき失敗の種にもなる。
種が育つかどうかはケースバイケースでも、その小さな棚を見つけたときに自分を責めてしまうのはもったいない。
…私はたぶん、続けられなかった理由をわざわざ探して責めてしまう方だ。途切れた後でもやってみるための仕組みに後から戻れるように ーー 本当に必要な仕組みはそっちかもしれない。
これは次回、あらためて考えてみよう。
今日のところは‘「信じることに根拠も理由もいらない」が新しい地図ということで。
未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない。
君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。
だからこそバラバラの点であっても
将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。
不完全でもいい。「仕組み」について考えてみた記事は こちら ▼
「判断」がどうやってなされるのか知りたい方は こちら ▼
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