正しすぎるって、ちょっとしんどい。子どもの正論と、やさしさの話
こんにちは。
子どもって、ときどき、大人より正しいことを言ったりします。
間違ってない。
でも、言葉の強さに、ふっと胸が痛くなることがある。
「それ、ほんとうに正しいんだけどなあ」
「でも、今はそれを言わなくてもよかったかもなあ」
そんなふうに感じる瞬間が、最近、増えてきました。
今日は、「子どもの正論」と、そこにそっと添えたい「やさしさ」について、
自分の子育てをふりかえりながら、考えてみた話です。
「正しすぎる子ども」に、戸惑うことがある
最近、うちの子が、ちょっとだけ強くなってきた。
なにか言うと、すぐ否定。
しかも、話の途中でもおかまいなしに「それって○○でしょ?だから△△だよね」って先回りする。
……正しい。
でも、ちょっと、つよすぎる。
たぶん、私のせいなんだと思う。
「ちゃんとできる子」に育てたかった過去
娘が小さかったころ。
ちょうどコロナ真っ只中だった。
人と関わる機会も少なくて、住んでいた地域も、わりと教育熱心だった。
だから、「ちゃんとできる子にしなきゃ」って、ずっと思ってた。
泣いている娘に、「がんばってやってごらん」とか。
できないことに、「なんでできないの?」って、理由も聞かずに結論だけ求めたり。
今思うと、けっこうガチガチだったなって思う。
そんな私を見て育った娘が、
「正解を早く出す子」になったのも、仕方ないのかもしれない。
子どもの正論は正しい。でも、しんどいときがある
友達とのやりとりを見ていて、思うことがある。
誰かが「今日、こんなことがあってさ〜」と話し始めると、
すかさず「それって○○が原因じゃない?」と入っていく娘。
話のオチも、本題も、出てくる前に、全部片付けられてしまう。
言ってることは、たしかに正しい。
でも、空気が「しーん」とするのを、私は見逃せない。
たぶん、娘はまだ、その違和感に気づいていない。
「正しさ」で武装していた昔の自分
正直なところ、娘を見ていると、昔の自分を思い出す。
間違えたくなくて、正論でガードして、
相手の話を最後まで待てなかったあの頃。
伝わることより、間違えないことのほうが、大事だった。
でも、それって、結局誰かを置いてきぼりにしていたんだよなぁ、って、今ならわかる。
子どものコミュニケーションに「調和」を育てたい
意見をはっきり言えるのは、すごい才能だと思う。
でも、それだけじゃ足りないこともある。
どう言うか、いつ言うか。
そのバランスがあるかないかで、伝わり方はぜんぜん違う。
「正しいけど、しんどい」って思わせてしまうことも、きっとある。
だから、今、娘に少しずつ伝えていきたいと思っている。
相手の気持ちを受け取ること
言い方を、ほんのちょっとだけやわらかくすること
正しさより、関係を大事にする場面もあること
こういう、教科書には載ってない力が、
きっと、生きるうえではすごく大切になる。
おわりに
最近、娘の言葉に、ハッとすることが増えた。
「すごく賢いな」と思うこともあるし、
「あ〜〜それ、言わなきゃよかったかもね」と思うこともある。
でも、たぶん、大丈夫。
少しずつ、誰かに教えてもらったり、
自分で気づいたりしていくんだろうな、と思っている。
私はできるだけそっと、
「人にやさしくできるって、かっこいいよね」って、
日常のなかで、ふわっと伝えられたらいいな。
もちろん、自分自身も、正論をふりかざしたくなる心と、仲良くなりながら。
よかったら、こんな話も🌱
正しさとか、伝え方とか、子どもと向き合っていると、本当に迷うことばっかりですよね。
そんなとき、わたしが救われた本の話も置いておきます。
子どもと言葉の関係について考えるとき、よく思い出すのが、「ふわふわ言葉」と「ちくちく言葉」という考え方。やさしい言葉も、痛い言葉も、どちらも自分の中にあって、どう使うかを選んでいく。齋藤孝さんの本は、そんな「言葉の力」を育てるヒントを、やさしく教えてくれる気がします。よかったら一緒に、肩の力を抜いていきましょう。 PR
