ちっぽけなあたしの死を嗤え #12 【完結】
【エピローグ】
なんて、焦れったいんだろう。
こんな薄っぺらな機械に、振り回されている自分が哀しくなって来る。
「ママが学生の頃には、こんな便利なもんは無かったんだから。今の子達はいいわよねぇ」
そんな風に、ママは言っていたっけ。確かに『スマホ』は便利だとは思う。指先ひとつであれこれ調べられるし、ゲームも動画も漫画も、いつでもどこでも楽しめる物がたくさん詰まっている。
それにどこに居たって、直ぐに友達と連絡が取り合えるし ――
って、そのはずだったのに·····。
今、私が何ひとつ手につかない状態で焦っているのは、正にそこだ。
簡単に連絡がつくはずのツールであるスマホに、親友からの返信が全く来ないのだ。
『玲於奈、お願い 連絡して!』
メッセージアプリに、再度同じ文面を打ち込んだ。何通も送った同様のメッセージは、『既読』のマークはついているものの、返事は一切返って来ない。
最新の送信メッセージにも、すぐに『既読』がついた。という事は、玲於奈はまだ現段階では「生きている」と言う事だ。
(玲於奈、お願い。早まらないで)
祈るように両手を組んで、強く念じた。
「間もなく試験を開始します。受験票を机の右上の見える所に置いてください」
試験官のバイトの大学生が、抑揚のない声で告げる。もうすぐ模試が始まってしまう。でも、模試なんかよりも大切な事が、今の私にはあるはずだ。
「す、すみません! あ、あの、トイレに行かせてください!!」
深く考える前に、手を挙げてそう宣言していた。周りから、クスクス笑う声が聞こえてきたけれど関係なかった。
探しに行くんだ。
私の親友、玲於奈を ー―
『真由ちゃん、玲於奈がヤバいんだ』
切羽詰まった声で泰明君から電話が掛かってきたのは、今日の朝。予備校に向かおうと、自転車で家を出た直後だった。
「どういう事? 何があったの?」
『……あいつ、「これから死ぬ」って書いたメッセを送ってきたんだ。真由ちゃん、俺どうしたらいい?』
「どうしたらって……、止めなきゃ。 今すぐ止めなきゃ! バカな真似するなって、今すぐ玲於奈にやめさせて!!」
『……でも、俺が電話しても止められなかったら? 電話の向こうでリスカでもされて、死なれでもしたら、俺……』
「ねぇ、玲於奈は今、どこにいるの?」
泰明君の煮え切らない態度に、私は語気を荒くする。
『……分かんないよ。どうしよう、ヤバいよ。俺のせいで死ぬだなんて、遺書でも残されたら……』
「バカな事言わないでっ!!」
情けない。この期に及んで、大事なのは自分の身なのか。こんな男を、ほんの少しでも「イケメンだ」なんて騒いでいた自分が恥ずかしい。
玲於奈、ダメだよ。こんなつまらない男の為に、命を捨てようなんてしちゃ。
私は通話をぶち切ると、心当たりの場所を探す為に自転車を走らせた。
彼女はきっと、何か大きな誤解をしている。恐らく泰明君が玲於奈に、ある事無い事吹き込んだんだろう。
ちゃんと話をしたかったのに、何度私が電話をかけても玲於奈は出てくれなかった。
廻り道をして玲於奈の家に立ち寄ったけれど、おばさんの車も、玲於奈の自転車もガレージからは出払っており、呼び鈴を押しても応答はない。
「玲於奈、真由です。心配してます。メッセージ聞いたら、折り返し絡ちょうだい。待ってます」
もう何度同じ台詞を、玲於奈の携帯の留守番電話に残しているだろう。ねぇ、どこにいるの? 玲於奈。お願い、声を聞かせて。
今日は、玲於奈と私が通っている予備校で模試が開催される日だった。開始時間が迫っている。僅かな期待を胸に、私は予備校に向かって、またペダルを強く踏みこんだ。
予備校の入ったビルの裏手の駐輪場には、積み重なるように自転車が停められている。
「怪我でもしたら受験勉強に支障が出るから、なるべく公共機関の交通手段を使うように」と、予備校からは注意喚起が出ているけれど、あまり守っている生徒はいない。こんな田舎じゃ、バスや電車の少ない本数に合わせて行動していたら、時間が死ぬほどかかってしまうからだ。
自転車の後輪の、泥除けに貼られているシールをチェックする。私たちの高校、M女学院のシールは赤色。赤のシールが貼られた自転車を探していくと·····
「·····あった!」
駐輪場ですぐ見つけられるようにと、カゴにぶら下げられた猫のキャラクターのキーホルダー。私とおそろいのそれは、玲於奈の自転車に間違いなかった。
玲於奈は、予備校には来ている。
私は大きく、安堵の溜息をついた。
それでも、実際に玲於奈の姿をこの目で確認するまでは安心できなかった。一瞬でもいいから、顔を見て話したい。私は校舎の中、玲於奈の姿を探した。
けれど、玲於奈がいるはずの私文の教室のクラスには、彼女の姿は見つけられなかった。入室してくる生徒達で、どんどん席は埋まっていくと言うのに。
お手洗いかもしれないと、女子トイレを見張ったけれど、玲於奈と遭遇する事はできなかった。
「もう間もなく、試験開始になります。受験番号の案内通りの教室で待機していてください!」
予備校の講師がまだ廊下に出ている生徒に向かって、声を張る。タイムリミットだ。
いったんは教室に入って机に向かったものの、私はポケットから何度もスマホを出しては、玲於奈から返事が届いていないかを確かめた。
「携帯電話、電子辞書等は、電源を切って鞄の中にしまってください」
監視員の言葉に、「お前の事だよ」と言わんばかりに、何人かの学生に鋭い視線で睨まれた。
確かに、玲於奈は予備校までは来ているはずなのだ。じゃあ今はどこにいる?
『もう、あれこれ疲れちゃった。死んじゃおうかと思ってる。今までありがとう。バイバイ』
泰明君がコピペして送ってきた、玲於奈が彼に送った最後のメッセージを思い出す。
玲於奈は、これをどこから送った?
この建物の中で、玲於奈がこんな決断を出してしまうような場所が、どこかにあるのでは?
私は頭を急回転させて、玲於奈との会話を思い出す。どこかに何かヒントがあるはずだ。
パタパタとドラマの回想シーンのように頭の中に蘇る映像の中から、玲於奈が「真由だけに教えてあげるね」と話してくれたあの日に、私の脳内カメラがクローズアップされる。
分かった。
屋上だ。
(玲於奈っ!!)
そう叫び出したくなる気持ちを、グッと飲み込んだ。
大きな声を出して驚かせてしまって、玲於奈がそのまま飛び降りてしまったり、誤って落ちてしまったら終わりだ。
屋上の金網の向こうに、玲於奈がいた。こちらに背を向けて、力なくフェンスに寄りかかる様にして座り込んでいた。
予想は当たった。玲於奈は予備校の屋上にいた。玲於奈を見つける事が出来たのにはひと安心だったけれど、少しでもバランスを崩せばそのまま地面へと落下してしまうような状況にいる玲於奈に対して、できるだけ慎重に行動しなくてはと、私は気を引き締め直した。
「玲於奈」
ごく普通を装った声で、玲於奈の背中に声をかける。でも、返事は返ってこない。
「玲於奈?」
ゆっくりと歩みを進めて、フェンスの傍へと向かう。金網越しにそっと顔を覗くと、玲於奈は両目を閉じている。悪い予感を吹き消す為に、玲於奈の胸元を凝視すると、静かに上下しているのが確認できた。
大丈夫、生きている。
眠っているのだろうか? まさか睡眠薬とか飲んだりしてたら?
とにかくあちら側にいたままじゃ、危なすぎる。何とかして、まずは玲於奈を安全な場所に移動させなくちゃ。
万が一金網を揺らして、玲於奈が落ちたりしてしまわないように、離れた場所からフェンスを乗り越えた。一歩踏み外せば、命を失うかもしれない狭くて細いスペースに立つと、身体だけではなく歯までもがガタガタと震えているのが分かった。見下ろせば、そこには堅そうなアスファルトの地面が遥か遠くに見える。こんな高さから飛び降りたら、人間の身体はどんな風になってしまうんだろう。
この場所で死ぬ事を考えた玲於奈の、追い詰められた気持ちを思うと、自分が情けなくなった。もっと早く、玲於奈とちゃんと話をしていれば……
いけない。今は「たられば」の話をしている場合ではないんだ。
金網をしっかりと掴みながら、下を見ないようにして一歩一歩玲於奈に近づいていく。
時間をかけて、ようやく彼女に触れられるくらいまでの距離に到達できた私は、深呼吸をひとつしてから、玲於奈の肩に自分の手を置き声をかけた。
「玲於奈? 玲於奈」
耳元で何度か名前を繰り返すと、長いまつげを震わせて、玲於奈がゆっくりと瞼を開いた。
「……真由?」
「良かった、玲於奈。間に合って、本当に良かった」
もう二度と、こんな不安な思いはしたくない。私は、玲於奈の身体をきつく抱きしめる。
「どうして真由がここに……?」
それは、覚えていたからだ。玲於奈が「私にだけ」と聞かせてくれた、この場所でファースト・キスをした日の話を。大切な思い出の場所だと、言っていた事を。
けれど今は、泰明君の名前を出すのはまずいと思い、私は口をつぐんでいた。
「……泰明が、連絡したんだね」
玲於奈には、全てお見通しだった。
「……泰明は、来ていないの?」
あぁ、玲於奈。アイツは貴女をこんな状況に追いこんだ張本人だと言うのに、どうしてそんな哀しげな顔で名前を呼ぶの?
「玲於奈、ここは危ないから、一緒に向こう側に戻ろう? ね?」
足元から風が吹きあがり、私と玲於奈の制服のスカートを揺らす。
「……真由、あたしね。死のうと思ったの。ここから飛び降りて」
「玲於奈、どうしてそんな……」
「……だって、耐えられなかったんだよ! 泰明が真由と付き合いだしたって、噂を聞いて!!」
―― やっぱり、そうだったのか。
「玲於奈、違うよ。私と泰明君は付き合ったりなんてしていない」
玲於奈の目を見て、私はきっぱりと告げた。
「ねぇ、見て玲於奈。かっこいい人がいる」
最初に泰明君を見初めたのは私だった。はしゃいだ私は「真由、ここには勉強に来ているんだよ」って、玲於奈に叱られたのだ。
物静かで成績優秀な泰明君は、ひとつ歳上なだけなのに随分と大人びて見えた。確かに最初は彼に惹かれはしたけれど、彼の隣りに似合う女性は、私みたいに子供っぽい子じゃなくって、玲於奈のような凛とした美人が相応しいって思ってた。事実、二人の距離は次第に近づいて行っているように、私には見えていた。
「真由、話したい事があるの」
ある日、玲於奈に真剣な顔で呼び出された時、なんとなく話の内容は予感していた。
玲於奈と泰明君は同じ私文コースのクラスで、玲於奈が出す話題の中に「泰明君がいかに優秀か」が分かるエピソードが増えていっていたし、それを語る時の玲於奈がとっても嬉しそうだったから。
「泰明君のこと、好きになってもいい?」
そう玲於奈に告白されて、私は「もちろん!」って背中を押した。だって、どんな二人よりもお似合いのカップルだと思っていたから。
そうして二人は付き合い始めた。
私にはてんで分からない作家や画家の話で盛り上がったり、小難しい映画を見に行ったり、玲於奈と泰明君はすごく大人でかっこいい付き合い方をしているなぁって、憧れていた。
お母さんの事で、色々悩んでいた玲於奈は「私は恋愛に溺れたりなんかしない」なんて言っていたけれど、彼女にとって泰明君との交際は、毎日の生活へのエネルギーになっていたんじゃないかって、私は思っていた。ずっと二人には幸せでいて欲しいって。
―― なのに、
「俺、本当はずっと真由ちゃんの事が好きだったんだよね」
泰明君が、そんなとんでもない事を言いだしてたのは、二人が付き合いだしてまだ半年も経たない頃だった。
「玲於奈に迫られて付き合う事になったけれど、彼女といても安らぐ事が出来ない。俺の理想は、真由ちゃんみたいな癒し系なんだよ」
丁度その頃、私文のクラスで玲於奈の成績が泰明君を抜かしてトップになっていた。それ以来、玲於奈は「なんだか、最近泰明が冷たい」と愚痴をこぼしていた。彼女に成績を抜かれたくらいでそんな態度に出るなんて、小さい男だと呆れていた上に、玲於奈の親友である私にいけしゃあしゃあと告白するだなんて、まったく開いた口がふさがらなかった。
「真由ちゃんも、俺の事が好きだったんだろ?」
値定めするような目で見られて、心底鳥肌が立った。
「無理です。ゴメンナサイ」
きっぱり断ったはずなのに、予備校の空き教室に二人でいた所を誰かが目撃していたらしく、泰明君は玲於奈から私に乗り換えただなんて噂があっという間に広まってしまった。
玲於奈にだけは、届きませんように ――
そう願っていたのに、次第に玲於奈は私を避けるようになっていった。玲於奈が噂を耳にしてしまった事よりも、私ではなくて噂を信じた事の方がショックだった。
「信じて。玲於奈」
目の前の玲於奈に、ずっと伝えたかった言葉を告げる。
「……もう、あたしと泰明は終わりだよね。だって『死ぬ』って送ったのに、なんの返事も送ってくれないんなんて」
「どうだっていいじゃん、玲於奈! 私がいる。私がずっと玲於奈のそばにいるよ!」
私の言葉には答えずに、玲於奈は、どこか遠くを見つめる様にして言葉を紡いでいく。
「あたしね、死のうとしてこの場所に来たの。ここから飛び降りようと思って。でも飛び降りる前に、なんだか意識を失っちゃっていたみたい……」
そのまま落ちたりしなくて、本当に良かった。私は、玲於奈の強運に感謝した。
「……真由、あたしずっと思ってた。あたしなんかが死んでも、世の中はなんにも変わらないって。何ひとつ変わらないまま、毎日が過ぎていくんだって」
「そんな事ない! 玲於奈がいなくなっちゃったら私は悲しい。悲しくて生きていけないよ!」
「……でもね、そんな事はないって気付いたの」
私の言葉が聞こえているのかいないのか、玲於奈は静かな声で続ける。
「例えあたしみたいなちっぽけな存在でも、その死がきっかけになって、世界が少しずつ変わっていくかもしれないって。大きな湖に、高いところから小石を落としたみたいに、ゆっくりと幾重もの波紋になって……」
そう言って、玲於奈はうっとりとした表情を浮かべる。
「そんな風に変わっていく未来を、あたしは見てみたい」
「……玲於奈?」
私を見つめる玲於奈の瞳に、光が差した気がした。その光は希望? 絶望?
問いただそうと口を開きかけた私に、玲於奈は微笑みながら囁いた。
「だから真由、代わりに貴女が死んで ―― 」
「―― え?」
軽く、本当に軽く玲於奈に肩を押されただけなのに、あまりの突然の事に為す術もなく、私はそのまま真っ逆さまに落ちていった。
身を切る風の中、意識が遠くなっていく。
空が青かった。
久しぶりに見る青空が、私が見た最期の景色だった。
【了】
