ちっぽけなあたしの死を嗤え #01
【あらすじ】
ひとりの少女が、自ら命の火を消そうとしていた。
「人生はクソだ。あたしが死んだって、この世界はひとつも変わりゃあしない」
ここに、少女の死の瞬間を目撃してしまった五人の人物がいる。
彼らの世界は、確実にその時点から狂っていく。
死体の美しさに心を奪われた青年・澤北。
命が終わる瞬間の「音」に憑りつかれた主婦・幸恵。
肉塊としての人間への興味を消すことが出来なくなったフードスタイリスト・祥子。
命の儚さに気づいてしまった男子中学生・尾崎。
魂を失った身体を描くことで神に近づこうとした老人・柴垣。
この負の連鎖を止めることができるのは、果たして誰なのか──。
【プロローグ】
決めた。
今日で人生を終わりにしよう。
十八歳と三ヶ月。犬や猫だったら、めちゃくちゃご長寿の年齢だ。
人間のあたしだって、もう充分に生きた。
今日でピリオドを打ったって、思い残す事なんて何もない。いやむしろ、清々する。
カーテンから差し込む、朝日がまぶしい。レモン色とピンクの水玉が散りばめられたカーテン。小学生になって自分の部屋をもらえて、ママが選んでくれたカーテン。あの頃は、キャンディみたいな柄が可愛くて大好きだったけれど、今のあたしにはガキっぽすぎる。
ホントは遮光性のある、モノトーンのクールなデザインに付け替えたかった。だってこのペラペラのカーテンじゃ、否応なしに朝日が照らしてくるから、いつもまぶしくて目が覚めてしまう。まったく、忌々しい。
今朝も、瞼をジリジリと焼くような日差しで目が覚めた。
太陽がまぶしかったから。それを理由に人を殺した主人公が出てくる、古いフランス映画があったっけ。
だったら、まぶしすぎる太陽のせいにして、自分の命を絶ったっていいんじゃないかと思うんだ。
さあ、起きて出掛けよう。
死に場所を探す、猫のように。
※ ※ ※ ※ ※
風が、足元から吹いてくる。
ひらめくスカートを抑えもせずに、全身で風を受け止める。七階建てのビルの屋上。あたしがここに立っている事を、道行く人は誰も気づいてはいない。みんなうつむきがちに、目的地へと足を動かしている。
ここから一歩足を踏み出せば、終わらせることができるはず。
そう、たった一歩で。
すべてを ――
歯車がうまく噛みあったのだ。朝起きてから、ここに至るまでに。
歯車うんぬんの表現は、もっと事態が好転する場合に使うのかもしれない。けれど、やっぱりそれが一番しっくり来る。あたしの心を引き止めるような要因が、どこかにひとつでもあれば、「死のう」だなんて結論には至らなかった。でも、立て続けに起きた出来事が、あたしの生のエネルギーゲージを奪っていった。倒れていくドミノが、死のゴールに向かって加速していくように。
まぶしすぎる太陽に目を覚まし、パジャマのままリビングに下りて行くと、ママはもう既に出掛けた後だった。
『帰りは明日の夜になります。戸締り、火の始末に気をつけてね。行ってきます♡』
ハートマークで締めくくられたメモと、万札が一枚、ダイニングテーブルに置かれていた。食事代にしろとでも言うのだろうか。だとしたら随分と高額だ。この金額は、母親として娘に対するやましい気持ちに比例しているのだろう。
ママは、あの男と一泊の温泉旅行に出掛けた。受験生の娘を置いて。
吐き気がする。
アラフィフのババアが色ボケしやがって。汚い罵りの言葉が、胸の底から湧いてくる。
いい歳した大人の字とは到底思えない、丸っこいクセ字で書かれたメモ用紙を握り潰す。一生帰ってこなければいい。車が高速で事故ればいい。がけ崩れが起きて温泉宿が潰されればいい。
「玲於奈に紹介したい人がいるの」
そう言ってママが連れて来たのは、パパよりも一回り以上も歳上の脂ぎった初老の男だった。
大好きだったパパ。イケメンでスポーツマンで優しくて。でもパパは、あたしとほとんど変わらないような若い女と家を出て行った。「行かないで」って泣いて叫んだあたしを振り向きもしないで。だから、残されたママと「二人で強く生きて行こうね」って約束したのに。女二人で生きて行こうねって誓ったのに。ママは、あたしに隠れて参加していた中高年の婚活パーティーで出会った、会社を幾つも持っているとか言って偉そうにしているジジイを、新しく人生のパートナーに選んだ。
パパもママも、自分が一番大切なんだ。ならあたしだってそうする。好きに生きてやる。いや死んでやる。
歯車がカチリと動いた。ジ・エンドに向かって。
せめてもの反抗と、お金はテーブルの上に置いたまま家を出た。雲ひとつない晴天だった。死ぬには、爽やかすぎるほどの。
まずは死に場所を決めなければ。
どこがベストだろうか。切り立った崖、眼下には荒れ狂う海、そんなシチュエーションは、よくニ時間ドラマやバラエティの再現フィルムとかで見るけれど、あいにく近場に海はない。自殺の名所だと聞く富士の樹海も、ここ北関東からは遠すぎる。自宅でリスカ? それとも首つり?
いや、できるなら空の下で死にたい。この晴れた秋空の下で。
けど飛び込みはダメだ。電車を止めて、多額の賠償金の請求がママやパパに突きつけられるのは魅力的だけれど、人身事故でダイヤが乱れたときのあのイライラを思い出すと、同じ方法を選ぶ気にはなれない。
「ふざけんなよ。死にたいんなら、人に迷惑が掛からないように死ねよ」
いつだってそう思っていたし。
出来るだけ、人様の迷惑にならない場所で死のう。
ねぇ、これだけ謙虚に死んだなら、あたし天国に行けるよね?
なんて。
かっこつけてみたけれど、何故かあたしは今、シナモンロールをアップルティーと一緒に食べている。もくもくと。
世界にサヨナラする前に、最後に泰明に「バイバイ」ってメッセージを送ったのは、万が一にも億が一にも泰明が引き止めてくれたら、なんて未練たらたらな思いからだった。まったくあたしってばクールじゃない。
泰明。
大好きだった泰明。
彼とは予備校で出会った。一つ年上の浪人生。物静かな文学青年。たった一歳しか違わないのに、めちゃくちゃ知的で大人に見えた。勇気を出して話しかけて、付き合いはじめた日は天にも昇る気持ちだった。
何もかも、あたしにとって「はじめて」の相手だった。ずっと一緒にいたいと思った。だって好きだから。
なのに、わずか数カ月で、彼の態度は変わっていった。あたしから離れていった。あたしの気持ちは、出会った頃と少しも変わっていなかったのに、あんなに夜通し送りあったメッセージも、最近では一方的にあたしが送るだけ。泰明からの返信は数回に一度、それもほんのひとこときり。
そのひとことの返信さえも、ここ数日は全く届かなくなっていた。
「もう、あれこれ疲れちゃった。死んじゃおうかと思ってる。今までありがとう。バイバイ」
わずか数行のメッセージだけれど、きっと即座に返事をくれるだろう、電話をくれるだろう、「バカな事はするな」と止めてくれるだろうと信じていたのに……。
いつまで待っても、泰明からはなんの返事も届かない。『既読』がついているのに、華麗にスルーされている。泰明にとっても、結局あたしは必要のない存在。
カチリ。
歯車がまたひとつ噛みあった。
駅から吐き出された人の波に、制服姿の高校生が増えてきた。
駅前のカフェで、あたしは朝食をとっていた。ここのシナモンロールとアップルティーは絶品なのだ。最後の晩餐ならぬ、最後の朝食に相応しい選択だ。
今日は予備校で模試がある日。秋から冬に変わろうとするこの季節、早くも風邪の流行を気にしてか、マスクをつけた制服姿の学生たちが、この先の予備校へと暗い顔で足を進めていく。
ここで待っていたら、泰明が通るのを見つけられるかもしれないと思ったけれど、メッセージに返信さえくれない相手を、待ち伏せなんかしている自分がミジメ過ぎて、通りの様子が見えない奥のスペースに席を移した。
あと三十分もすれば模試が始まる。
東京の大学を目指していた。進学が決まって上京できれば、あんなクソジジイといちゃつくママなんかと、離れて暮らす事ができる。泰明と同じ大学に通って、そして一緒にアパートなんか借りて暮らせたらって、夢は大きく膨らんでいた。
でももう、それもどうでもいい。
ぬるくなってしまったアップルティーを飲みほす。模試が始まる時間になったら、あたしも行動に出よう。予備校の屋上。
あそこなら、死ねるはず。
ロータリーから少し横道に入った雑居ビルの三階分を占めたあたしが通う予備校は、CMでも毎日のように目にするトップクラスのマンモス校だ。とは言え、こんな地方では東京ほど優秀な講師はいないし、学校の名前に毎月高い月謝を払っているような物だった。
その予備校のビルの屋上が、勉強の息抜きに丁度いい場所だと教えてくれたのは泰明だった。
七階建てのビルの屋上。この辺りには、このビルよりも高い建物はなかったから、とにかく見晴らしが良かった。ビルが立ち並ぶ駅周辺から、それを囲むようにして広がる住宅街、その先に見えるのは稲刈りの終わった田園地帯、そしてそれに連なる山々。そんな地方都市ならではの、パッとしない光景を眺めていると、『絶対志望校に合格して、この街から出て行くんだ』と言う気持ちが高まったものだった。
屋上に通じる扉は、安全の為か防犯の為か分からないが、極たまに施錠されていることがあったけれど、ほとんどの場合開いていた。予備校の上には、幾つかの小さな会社や事務所が入っていたから、そこの社員たちも休憩に使っているのだろう。
あたしと泰明は屋上でお弁当を食べたり、自販機で買った缶コーヒーを飲んで雑談をしたりして過ごした。あたしはカフェオレ、彼はブラックがお決まりで。
泰明と初めてキスを交わしたのも、この場所だった。二人の、思い出が詰まった場所。
エレベーターで七回まで上り、そこから階段を使う。万が一鍵がかかっていたら、死ぬのは止めようと思った。今日死ぬのを止めるのか、それとも死ぬこと自体を止めるのか、その点が曖昧だったけれど問題はなかった。
だって鍵は開いていたから。
カチリ。歯車がもうひとつ回転した。『死』へ向かうエレベーターが、動き出す為の歯車が。
重い鉄のドアを開け、屋上へ出た。
制服のスカートのポケットからスマホを取り出す。泰明からの返信はまだない。果たして泰明は、今日の模試を受けに来ているのだろうか。このビルにいるはずの泰明に見せつけてやるたくてここから飛び降りようとしているのに、当の泰明本人が予備校に来ていなかったら意味がない。けれども『模試、受けに来てる?』なんてメッセージを送ったところで、きっとまた無視されるに決まってる。みじめな思いは、もうこれ以上したくない。
いつからだろう。
泰明の心が、私から離れて行ったのは。
『志望校を同じにしたよ』と、私が言いだした頃からか? 『東京で、一緒に部屋借りるってのもありじゃない?』と、提案した時からか? ママがジジイに媚を売る姿を真似して甘えた声で言ってみたのに、泰明はジジイみたいに鼻の下を伸ばして喜んだりはしなかった。
「実は大学進学は辞めて、専門学校に進路変更しようかって考えている」
いきなりそんな事を言いだした泰明は、予備校も休みがちになってきた。
「玲於奈《れおな》も、そろそろ真剣に受験勉強に向き合った方がいいよ。俺みたいな浪人生にならないように」
それがあたしを気遣っての優しさだと信じて疑わず、受験が終わったらまた元通り付き合えると信じていた自分は、まだまだ異性に対して夢や希望しか持ち合わせていなかった小娘だったんだと、今なら分かる。
フェードアウト。泰明は、私との関係を緩やかに終わらせようとしているのだ。
まるで、真綿で首を絞められていくような気分だった。答えをはっきり出して欲しい気持ちと、審判を下されるのが怖い気持ちで、身体が引き裂かれそうだった。
自殺をほのめかすメッセージを送っても、電話どころか返信もくれない。それが答えなんだと、この期に及んでようやくあたしも理解した。
バイバイ、泰明。あんたが曖昧にして、ダラダラと時間を掛けて終わらせようとしている二人の関係を、私は瞬時に断ち切ってやる。この場所から飛び降りて。
七階建てのビルの屋上。
ここから飛び降りたとして、果たしてちゃんと死ねるのかという微妙な高さ。でもこの辺りのビルは、どこもドングリの背比べ。選択の余地はない。
張り巡らされたフェンスはあたしの身長よりちょっと高いくらいで、大きめの網目はつま先のサイズにジャストフィットして、大して苦も無く乗り越える事が出来てしまった。ここでも歯車が噛みあった。あとはもう、跳ぶだけ。
制服のスカートが、風で翻る。一応インナーを履いては来たけれど、飛び降りたら間違いなく中が露わになってしまうだろう。でもこの制服はお気に入りだから。県内で一番可愛いと言われている、女の子なら誰でも憧れる人気の女子高の制服。紺色のブレザーにグリーンベースのプリーツスカートというシンプルなスタイルだけれど、ブレザーのキレイめなウエストラインと金ボタンとか、お尻が大きく見えにくい絶妙な幅のプリーツとか、細すぎず太すぎずのリボンの幅とか、細かなデザインが秀逸で、これが着たくて高校受験も頑張った。二年生の頃に来年度の新入生入学案内のカタログのモデルにと選ばれた時は、本当に嬉しかった。全校生徒の中で、私が一番この制服が似合っているという証しなんだって思えて。
この制服を着て、色んなところに遊びに出掛けた。県内だったら、大勢の人が羨望の眼差しを向けてくれる制服。『才色兼備のお嬢様が通う、M女学院の子だ』っていう目で。休みの日なのにわざわざこれを着て、真由とディズニーランドにも何回も行ったっけ。
―― 真由。
たったひとりの親友『だった』真由。
―― と、ポケットのスマホが、メッセージの受信を伝える音楽を奏でた。泰明からかも、と慌てて画面をチェックすると、送信相手は今しがた頭に思い浮かべた人物・真由だった。
『玲於奈、どこにいるの?』
『模試、始まっちゃうよ』
『玲於奈、お願い。連絡して』
真由からのメッセージが、画面に次々と流れていく。
クラスメイトの真由も、階下の予備校に通っている。真由は国立コース、あたしは私文コースでクラスは違っていたけれど、今日の模試は一緒に受けるはずだった。あの噂を聞くまでは……。
真由からのメッセージにブロックを掛ける。返信はしない。サヨナラも何も告げない。一生後悔すればいい。自分があたしにした仕打ちについて。
大きくひとつ深呼吸をして、眼下の遥か遠い地面を覗く。
お腹の底がヒュンってなった。自分は今、なんて無防備なんだろう。ここから一歩、いや半歩でも足を踏み出せば、簡単にこの身体は宙を舞い、あの硬いアスファルトに打ちつけられるのだ。
この場所に立って右手の方向は、このビルの正面玄関がある通りに面している。車の往来はないけれど、駅を利用する人たちの抜け道的な通りになっている為、ちらほらと人通りがある。今、あたしが立っている場所から真下に飛び降りれば、目の前は隣りのビルとの間の三メートルほどの幅の細道だ。人影も犬や猫の姿も見当たらない。ここなら誰かにぶつかって、迷惑をかける事もないだろう。この場であたしが飛び降りて、地面に叩きつけられて息絶えたとしても、多少のショックを与えることはあっても、彼等はまたすぐに忘れていつもの日常へと戻って行くだろう。
あの人たちにとって、きっとあたしなんかただの見知らぬJKという記号でしかない。
香月玲於奈・18歳という存在は、この広い世界から見れば、ほんのちっぽけな存在なのだ。
そう、たとえあたしが死んだって、世界はきっと何も変わらない。
変わるワケがないんだ。
