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ちっぽけなあたしの死を嗤え #07

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【大久保祥子・30歳】 その2


 一泊二日の遠征旅行から帰ると、荷ほどきもせずPCに飛びつき、ネット検索に没頭した。

 二日目の日光散策、祥子はほとんど上の空だった。迫力満点の華厳の滝を訪れても、絢爛豪華な東照宮を参拝しても、心が浮き立つことはなく、ただ「徳川家康は、天ぷらの食べ過ぎで死んだ」という説があると聞いた際だけは、

(好きなものを食べて死ねるんなら本望では?)

 と、徳川初代将軍には若干興味が湧いたが、それよりもすぐに調べたい山ほどの事が頭を占め、帰りの電車の時間ばかり気にしてしまっていた。

 一人旅だったら、予定を変更する事も、スマホで検索してしまう事も出来たけれど、同行者の遥に悟られたくはなかったのだ。自分が興味を持ってしまったモノについてを。目撃した、飛び降り自殺の遺体のせいで、「脳味噌」を食べてみたい欲求に駆られていることを ――。

 ネットの検索スペースに『脳 食用』と打ち込む。猿の脳を食する映画を見たときに父親が教えてくれた記憶通り、アジアやヨーロッパ各国、アメリカでも、動物の脳を食用としている慣習は現存していた。羊、豚、牛にヤギ、そして猿。国によって調理法は様々、家庭料理のメニューとして紹介されているものもあった。

 猿の脳味噌を嬉々として食す映画の中の人物に、泣いて非道を訴えた妹に父親は諭した。

「世界は広い。食には文化の違いと言う物があるんだ。それぞれの国の長い歴史の中で生まれた文化だ。それを簡単に残酷だと簡単に決めつけてはいけないよ」と。

 その言葉に感銘を受け、小学校の作文で「猿の脳味噌を食べてみたい」と書いた祥子は、校長から呼び出され同級生からは奇人呼ばわりされた。以来、心の隅に追いやっていた欲望が、この週末の体験をきっかけに蘇ってきたのだ。

 祥子はもう、自分で稼いで生活のできる大人だ。好きなバンドの追っかけと同じで、誰に気兼ねする必要もない。

『脳味噌料理 食べられるレストラン』

 新たな単語を検索スペースに打ち込んだ。ヒットした飲食店をチェックしながら、いつの日かそれらの店へ行く事が楽しみ過ぎて、まるでZOMBIESのライブへの参戦を決める時に似た高揚を、祥子は強く感じていた。

 

 新宿と新大久保の中間辺りに位置するその店に、次の休みには是非行ってみようと考えていた祥子だったが、週末まで待ち切れず、仕事を定時で切り上げた火曜の夜に訪れた。

 「無国籍料理」の看板を掲げた店内は、街の気軽な中華屋のような内装で、カウンターと六卓ほどのテーブル席で形成されている。

「いらっしゃいませ。何名様ですか?」

 『ひとり』を伝える為に、人差し指を立ててる。奥の席には丸テーブルを二つ並べて、男女5、6人のグループがいるのが見えた。賑やかな笑い声と共に聞こえてくるのは、異国の言葉だった。

(フランス語だ)

 英語ほどではなかったが、日常会話程度なら祥子も理解できた。

「テーブル席とカウンター、どちらがよろしいですか?」

 褐色の肌をした店員の女の子はアジア系だと思われるが、流暢な日本語で接客をしてくれる。

「じゃあ、カウンターで」

 その方が、食事に集中できるだろうと告げるが、

『ショウコ、ショウコじゃない?』

 背中から自分の名を呼ぶ声に驚き、振り返った。

『あぁー、やっぱりショウコだ! ひさしぶり、どうしてた?』

 返事を待たずにショウコをハグする赤毛の女性に、祥子も喜びの声を上げる。

『リンジー? リンジーじゃない。やだビックリ』

 リンジーは、祥子が学生時代にバイトをしていた「英会話カフェ」で一緒に働いていたアメリカ人だった。自然に会話も英語になる。

『ほんとビックリ。この店はよく来るの?』

『いいえ、はじめてなの。珍しい料理が食べられるって聞いて』

『Haha、ショウコはホント美味しい物には目がないわよね。私も同僚のオススメで来たのよ。ここの料理はどれも最高だって。今日は誰かと待ち合わせ?』

『ううん、一人よ』

『ワオ、じゃあ私たちのテーブルに来ない? その方が色んな料理をshareできるでしょ?』

 確かに一人では、あれこれオーダーしても食べきれる量に限界があるだろう。それにどうやらリンジーの同行者は、この店に何度か来ているようだし、お薦めの料理も知っているだろうと、祥子は喜んで誘いを受けることにした。

『みんな、ショウコよ。私の古い友人なの』

 全員が笑顔で、祥子を迎え入れてくれた。白髪の白人女性、中東と思われる顔立ちの男性、日本人の男女、リンジーと同じく赤毛の男性と、それぞれと簡単な自己紹介を交わした。

 白髪の女性以外は、皆リンジーが現在働いている語学学校のスタッフだと言う。

「彼女は僕の師匠でね。久しぶりの来日なんで、精一杯もてなしているところなんだ」

 『東条彰《とうじょうあきら》』と名乗った細面の日本人男性が、一番奥の先に座る白髪の女性『マルゴ』をそう紹介した。歳の頃は五十代位だろうか? 銀色にも似た真っ白な髪を後ろでひとつにまとめ、優雅な物腰で微笑む彼女は、グループの中でもひときわ存在感を放っていた。

 歳相応の顔に刻まれた皺もむしろ知的な雰囲気を醸し出し、身体のラインを際立たせている真っ赤なニットのロングワンピースも抜群のスタイルで着こなしている。

 それは祥子がいつかこうなりたいと憧れていた、ファッション誌でよく見かける、ヨーロッパのお洒落なご婦人の姿そのものだった。 

 東条は彼女を『師匠』と呼んだが、その名に相応しい品格の持ち主に見えた。いったい何の師匠なのだろう。

「おまたせしましたぁ」

 マルゴへの興味はつきなかったが、彼等がオーダーした料理の大皿がテーブルに乗りきれない程に運ばれてきて、祥子の思考は切り替わった。見た目だけでは何が原料か分からない料理もあったし、ひと目見て「イナゴだ」「ざざ虫だ」と分かりやす過ぎる形状の品もあった。

『マルゴ、待望の料理が来たよ』

 東条が店員から受け取り、淀みのないフランス語でマルゴの前へ差し出した料理には見覚えがあった。

『まぁ、なんて神秘的なオレンジ色なの』

 マルゴが感嘆の声を上げたのは、三陸名物である珍味「海鞘《ホヤ》」、それも殻付きの形状から見て「蒸しホヤ」だった。

『これはソイソースをつけるのかしら?』

『どうだろう。僕は刺身でしか食べた事がないんだけど』

『あ、これはですね。殻を剥いて、このすだちを絞っていただくんです』

 仙台にライブの遠征に行った際、祥子はこの「蒸しホヤ」を居酒屋で食べた事があった。

『ホヤ自体に塩分があるから、これで充分美味しく食べられますよ』

 祥子の説明通りの行程で、ホヤを口にしたマルゴは「Que c’est bon!」と称賛の声を上げる。

『磯の風味が素晴らしいわ。このデコボコな外観からは想像出来ない程の、繊細な味ね』

『良かった。美食家のマルゴを、わざわざこの店に連れてきた甲斐があったよ』

 そう言って東条が、胸をなでおろすジェスチャーをしてみせる。

「祥子、ありがとう。蒸したホヤの食べ方は、僕も知らなかった。キミも随分と美食家なんだね」

「そんな大したもんじゃないわ。ただの食いしん坊よ」

「この店に来たのは、キミも何かお目当ての料理があったのかい?」

 「無国籍料理」の看板を掲げてはいるものの、ここは所謂「珍品=ゲテモノ料理」を売りにしているとネット上で紹介されている店だ。そこにわざわざ一人で来ているのだから、何かに興味を持って来たと思われて当然だろう。がしかし、初対面の人間に「脳味噌が食べてみたくて」などと伝えてもいいものかと、祥子が言葉を濁していると、

「Oh! It's Eggs and brains!!」

 と、弾んだ声が聞こえてきた。声の主は、リンジーと同じアメリカ出身の赤毛の男性・ジェイデンだ。祥子は耳にした「Brain=脳」の単語に、思わず身を乗り出した。

『気になるかい、ショウコ? これは僕の生まれ故郷、アメリカ南部のソウルフードなんだ』

 もちろん知っている。正にこの一品が祥子がこの店を訪れた理由だった。豚の脳味噌と卵炒め。一見普通のスクランブルエッグに見えるが、ところどころに見え隠れしているピンク色をした肉片の様なものが、恐らく脳味噌なのだろう。

『試してみる?』

 ジェイデンに問われ、待ってましたとばかりに頷くと

「なるほど。祥子のお目当てはそれだったのか」

 東条が祥子の顔を覗き、やけに嬉しそうに言ってくる。

「分かっちゃいました?」

「分かるよ。だって目が輝いていたもの」

 クツクツと笑う東条を見ながら、初対面であるはずの彼の顔に、祥子は何故か既視感を覚えていた。

(この人、どこかで会ったことあったけ?)

 そんな小さな疑問は、ジェイデンの『さあ召し上がれ! これが脳味噌だ!!』の声であっさり吹き飛んだ。取り皿に山盛りにされた、夢に見た初めての料理に、祥子は全神経を集中させるのだった。

 その夜、祥子はまた夢を見た。

 あの日見た夢と同じに、祥子は白いドレスを身につけ、黒の礼服を着た異形の者が手招いている。彼が指差す先のテーブルには、白い皿の上で嫣然と微笑むあの少女の生首が。

 なぜ死しているはずの彼女が微笑んでいるのか? 誰かに食される事を、彼女は待ち焦がれているとでもいうのか?

「その通りよ」

 首だけの少女が、祥子の心を読んだかのように応える。

「早く、私を食べて」

 そう、そうよね。

『美味しく食べてあげれば、お魚も動物もみんな幸せに天国に行けるんだ』

 食べる事が大好きだった祥子の父は、子供の頃そうやって教えてくれていた。だからきっと彼女も……

 銀色に光るスプーンを手にして、まるで苺の断面図のように赤と白で彩られた、少女の頭部へそれを差し込もうとした瞬間 ――

 忌々しい目覚ましのアラームが鳴り、祥子は現実へと引き戻された。

 夢の中の出来事だったはずなのに、何故か口の中に血の味が残っている。無意識のうちに噛んだのだろうか。鏡を見ると、ひび割れた唇の内側から血が滴っていた。

「脳味噌料理に興味があるんだったら、イイ店があるよ」

 初めて出会った日に東条とは連絡先を交換しいて、その後も何度か食事を共にしていた。東条が連れて行ってくれる店は、どこもネットでは紹介されていない隠れ家的な店だった。

「残念ながらこの国では『脳味噌を食べる』って行為は、野蛮だなんて言われちゃうからね。同士が増えて嬉しいよ」

 東条は、留学先のフランスで初めて食べた、子牛の脳味噌の煮込みに感動して以来、世界各国の脳味噌料理に興味を持ったのだと言う。

 フランス料理だけでなく、中華料理、インド料理、キューバ料理と、様々な国のアレンジで調理された豚や羊、牛の脳はどれも祥子の舌を唸らせるほど美味だった。クリームチーズにも似た、濃厚で柔らかな味わいにすっかり魅了された祥子だったが、心の中に小さな不満の種を抱えていた。

「早く、私を食べて」

 と、あれ以来、何度も夢に現れてはそう語りかけてくる、聞いた事もないはずの少女の声が、祥子の欲望を刺激してくるのだった。とはいえ、まさか「人間の脳が食べてみたい」だなどと言えるはずもなく、祥子は燻《くす》ぶる危険な望みを飲み込みながら日々を過ごすしかなかった。

 自分を「同士」と呼んだ東条は、そんな祥子の心の奥にしまったはずの欲望に、果たしていつから気づいていたのだろうか。

 東条と出会ってから既に、半年が経とうとしていた。何度も彼の知る「秘密の店」に同行させてもらっていた祥子だったが、その日東条は祥子に

「ついに特別な料理が手に入ったよ」

 と、囁くような声で連絡をしてきた。まるで公《おおやけ》にする事の出来ない犯罪へ手を染める、共犯者の誘いのように。

「命の価値って平等なはずよね」

 横浜の会員制レストランで「特別な料理」を堪能した後、祥子は東条が常連だと言うシガーバーで食後の一服を楽しんでいた。

「なのにどうして、食べてもいい動物とタブーだとされる動物がいるのかしら?」

 いつになく祥子は興奮していた。

 今夜はついに、子供の頃から夢見ていた食材を口にする事が出来たのだ。

「『あれ』を食べた事は、やはりタブーだと思う?」

 先ほどまでの饗宴の様子を思い起こす。鎖に繋がれていたのは、人間の祖先と言われる動物。それをその場で調理人が頭を割り酒を注ぎ、招待客に生のまま供した。

「『あれ』をタブーだと言うのなら、魚の活け造りだって同罪のはずよ。なのにこうやって大っぴらに食べる事が出来ないのは、やっぱり人間に近しい動物だから?」

「それもあるだろうね」

 頷きながら東条は、ゆっくりと太めのシガーを吸い込む。葉巻特有のこの薫りが祥子は嫌いではなかったが、貴重な食材を味わった今夜は、その後味をシガーで消してしまいたくはなかった。

「でも逆に、祥子がこんなにも『脳味噌』料理に興味を持つ理由もそこなんじゃないかな。タブーゆえに惹かれる。禁断の味こそが魅力だと」

 確かにそうかもしれない。

 背徳の快楽に溺れる人間は多い。ドラッグ、不倫、近親相姦、小児愛。こんなにも「脳料理」に惹かれる自分を東条以外に明かしていないのは、それが決して公言出来る嗜好ではないからだろう。

「もしかして祥子は、知力や学力に関してコンプレックスみたいのがあるかい?」

「そうね。コンプレックスと言うか、勉強に関してはすごく負けず嫌いだったかも」

 塾とも家庭教師とも縁がなかった祥子だったが、だからこそ自力でトップに立ちたいと学生時代は勉学に励みそれを実行してきた。しかしそれが何の関係があるのだろうか。

「『同物同治《どうぶつどうち》』的な考え方かもしれないね。中国の薬膳の」

「それってアレでしょ? 身体の調子が悪い時に、同じ部位の物を食べると治るってやつでしょ。肝臓ならレバーを、心臓ならハツを」

「さすが祥子、博識だね。いやキミの頭が悪いって言ってるんじゃないよ。キミは自分の知性をより高めたいが故に、『脳食』に拘りを持っているんじゃないかってね」

 曇天の空から、一筋の光が差し込むような感覚を覚えた。

 味や食感よりも、生命を司る部位である「脳」を食べるという行為に感じる、圧倒的な支配力を手に入れたような充足感に祥子は取り憑かれていた事にようやく気づけたのだ。

「私、貴方に出会えて良かった」

 好きなバンドのライブだけでは満ち足りきらなかった部分を、完璧な形に近づけてくれたのが東条だった。

「僕こそ、同じ気持ちだよ」

 恋愛感情よりも、深い繋がりを東条には感じていた。彼といれば、満たされた人生が送れるのではないかと。

「ところで祥子」

 東条が顔を近づけて、耳元で囁いた。

「『カニバリズム』に、興味はない?」

 その言葉は、どんな愛の言葉よりも祥子の心を高鳴らせた。

『また会えたわね、ショウコ。私のこと、覚えている?』

 海を越えてまで、東条が祥子に逢わせたいと言った人物は、東条と最初に出会った店にいたフランス人女性・マルゴだった。

『もちろんです。まさかこんな形で再会できるなんて』

 大学で民俗学の教授をしていると言っていたマルゴは、「カニバリズム」に関しての歴史研究の分野においても深い造詣を持っているのだと、今回の訪仏の際に東条から聞かされていた。

「彼女を『師匠』と呼んでいたのはそういうワケさ。僕も『食人文化』については、以前からあれこれ学んできているからね」

『アキラ、私たちのサロンに招待したいって言うのは、ショウコのことなの?』

『ええ、彼女の食へのこだわりには揺るがない意思があります。我々の活動にも賛同してくれるかと』

 マルゴの視線が、全身を舐めるようにして祥子に注がれる。東条は言っていた。マルゴに認められさえすれば、望みの食材を口にする事が可能になるのだと。

『秘密は守れるわね』

『もちろんです』

 中国・トルコと並んで世界三大料理のひとつに挙げられるフランスの食文化においても、過去に「食人」の歴史があったと言う。マルゴはカニバリズムの研究だけではなく、同じ嗜好の仲間を集めて実食を行うサロンの主人という裏の顔を持っていたのだ。

『よろしい。ではサロンに招待を約束する代わりに、ひとつ条件があるの。それが出来たら、喜んで貴女を迎えるわ』

『……はい。なんでしょう』

 想像もつかない様な大金を請求されるのだろうか。例え親の金や会社の金を使い込んででも払ってやる、そう心に決めていたのに。マルゴの要求は、祥子に更に衝撃的な決断を促す内容だった。

『ショウコ、貴女のお肉をいただけるかしら』

 フランスの祝日、7月14日の「革命記念日=カトルズ・ジュイェ」が来る日を、祥子は心待ちにしていた。

「術後の具合はどうだい?」

 パリに小さなアパルトマンを借りて、祥子と東条はそこで饗宴の日に備えていた。

「まだ少し張った感じはあるけれど、痛みは全くない」

 人肉を食す事を目的とした、禁忌のサロンへの参加の為に、祥子は右の乳房を切除した。医学の進歩は素晴らしい。サロンのメンバーでもある外科医の力で、祥子の右胸は再建され、服の上から見れば何の違和感もなかった。

「それはよかった」

 柔らかく微笑む東条の中性的な魅力を、祥子は改めて感じる。

「貴方はサロンに何を提供したの?」

 何を。いや正確には「どこを」だ。手術を受けた日の夜、祥子は東条に尋ねた。「肉をちょうだい」と言われたあの日、マルゴは自分の右足の義足を見せてくれた。日本で出会った時には、全く気付く事が出来なかった精巧な義足だった。マルゴはサロンへの忠誠の証しとして、己の右足を与えたのだ。

「僕かい? そうだな、キミが無事に退院出来たら教えてあげるよ」

 後日、一緒に暮らし始めたアパルトマンのベッドで、祥子は東条がサロンに何を差し出したのかを知ることになる。

 東条には、男性ならあるべきはずの睾丸が二つとも失われていた。

 革命記念日の前夜、祥子は久しぶりにあの夢を見た。

 少女の頭部が載せられた食卓。白いドレスの祥子が席に着く。椅子の傍らに控えているのは、静かな笑みを浮かべる悪魔。

 祥子はようやく気がついた。東条に初めて会った時、既視感を覚えた理由を。

 夢の中で出逢った悪魔の顔に、彼の顔は酷似していた。

「ようやく、食べてくれるのね」

 皿の上の少女が恍惚の表情で告げる。 

 そう、私が食べてあげる事で、彼女は成仏できるんだ。

 祥子には、もう一切の迷いはなかった。

 初めての饗宴で、白のドレスを選んだ祥子が食したのは、メンバーの誰かが入手したと言う新生児の脳だった。

『ではまた来年に』

 年に一回のみ、この革命記念日の夜にサロンの饗宴は開催されるという。人肉の過剰摂取は、様々な病因になり得るからだとマルゴは言った。

 けれども祥子は、宴が終わった直後から「今すぐに、あの味をもう一度味わいたい」と切望した。

「マルゴにお願いできないかな?」

 まるでクスリを欲しがる中毒患者の様だと思いながらも、祥子は東条に懇願した。

「無理だね。マルゴは規則には厳しい。頻繁に会を開催して、足がつく事も恐れているんだ」

「そんな……」

 365日もの長い間、耐えられる気がしなかった。直ぐにまた食《しょく》す事が出来るのならば、もう片方の乳房も、両手両足を切り落としても構わなかった。

「祥子、そこで僕から、ひとつ提案があるんだ」

 東条が続けた「提案」を、祥子はひとつも聞き逃すことの無いように、記憶に刷り込みながら耳を傾けた。

「遥ちゃん? 久しぶり。元気にしてた?」

 日本に戻った祥子は、東条の指図通りに心当たりの人物にすぐさま連絡を取った。

 身寄りがない者。友人知人が少ない者。疑う事を知らぬ者。遥は正に、その条件にぴったりの人物だった。祥子は第一の商品として、彼女を対象に選んだ。

 東条はマルゴには内密に、彼女が造ったソサエティをビジネス化した組織を日本で立ち上げる計画を、祥子に打ち明けていた。

 等価交換のマルゴのサロンとは違って、金を積めば誰でも会員になる事が出来る。大金をはたいてでも、禁忌の食材を口にしてみたいと言う富裕層の人間は、祥子の想像以上にこの国には存在していた。

 その食材の供給の為に、祥子は暗躍した。全国のライブ会場で目星をつけた、家出少年や少女、彼女達が身籠った胎児、それらはみな、貴重な食材として組織に供給される。 

 もちろん祥子には報酬として、彼女が一番望む『部位』が与えられた。

 

 人肉食の弊害として考えられているクロイツフェルト・ヤコブ病に酷似した症状で、祥子が他界するまでの12年間、その非人道的な行為は世間に発覚する事なく続けられた。

 そして祥子の死後も、後を継ぐ者の手によって  ――

 ※ ※ ※ ※ ※

 あの日、「自分が死んでも世界は変わらない」と叫んだあの少女は、知る由《よし》もなかった。

 一人の少女の死をきっかけに、禁断の味を知ってしまった現代のアダムとイブが生まれ、年間八万人とも言われる日本人の行方不明者の中で、幾人もの人々が「食用」とされて提供されていく狂気の未来を ――

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#創作大賞2024 #ホラー小説部門

 


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