ちっぽけなあたしの死を嗤え #08
「fuckin' the world」
【尾崎陽空・14歳】その1
平均するとして、どのくらいの数になるんだろう。
尾崎陽空は考える。
人が、一生のうちに、「遺体」を目撃する回数は ─。
だがこれは、個々人によって大きく回答の数値に差が出る内容だから、平均値なんてものはあてにならないかもしれない。
例えば、医者や看護婦、医療に携わる人たちは毎日のように対面しているだろうし、葬儀屋だって遺体と接しなければ仕事にならない。殺人課の刑事とか、老人介護施設で働く人とか、遺体と対面する機会の多い職種は他にも色々あるだろう。
そういった人たちを一緒くたにして、平均値を出すのはいささか乱暴にも思える。
では、日常にほとんど「死」が入り込まない人たちは、どうだろうか。彼等にしてみても、父母や親族、両親など家族の死に際して、故人の遺体を見送る機会は一生において何回かあるだろう。
しかし、赤の他人の「遺体」とは?
恐らく自分は、その回数が普通の十五歳より多いかもしれない。陽空は思った。
六回目の遭遇を果たした、その日に ――
週末の土曜日、陽空は来春に控えた高校受験の為に申し込んだ、進学塾に向かおうとしていた。
同級生の多くが、進学の為に中学入学時から塾通いを始めていたけれど、陽空は夏休み明けに部活動が終わってから、ようやく塾の体験授業を始めるようになった。とはいえ、本腰を入れて塾通いをするつもりはなかった。あくまでも「無料」で体験して、貰えるテキストやガイドブックを手に入れたかったのだ。
「塾に通わせる金なんてないからね」
陽空の母親は、以前からそう口にしていた。毎月ギリギリの生活を送っている母子家庭である上に、母親は陽空の事を嫌っている。日増しに父親に顔が似てくる陽空を、きっと見るのもイヤなのだろう。
「死ぬ気で勉強して、公立目指しなさい。落ちたら働くのよ。ウチには、私立に通わせる余裕なんてないんだから」
中三になって最初の進路相談の懇談で、母親はそう言い放った。まるで自分が無下にされたかのように、担任の若い女教師は涙目になっておろおろしていたのが哀れだった。
母親の言う事に素直に従ったわけではないが、陽空は日頃から真面目に勉強していたし、成績も悪くなかった。
特に、部活で数学部に所属していたほど、理数系が得意だったので、高校は物理部が有名な学校への進学を希望していた。
その高校は県内では上位レベルの男子校だった為、独学だけでは少々不安になった陽空が編み出したのが、塾の「無料体験」のはしごだった。
昨今の少子化、受験戦争の激化によって、年々塾や予備校の数が増えて来ていた。
コンビニが潰れた跡地に塾。飲食店が閉店した場所にも塾。本屋が畳んだ後にも塾。とにかく街のあちこちに塾ができ、生徒獲得の為に数多の折り込みチラシやダイレクトメールが、どこから住所を手に入れるのか陽空の家にも、ひっきりなしに届いていた。
そこで目をつけたのが、塾の無料体験授業だった。どこの塾でもお試しで、最低でもひとコマ、良心的な所では決められた期間内なら何度でも無料で授業が受けられる。陽空は近隣の塾を順番に当たって、体験授業に申し込む計画を立てていた。大手予備校、個人経営の塾、通信教育の無料教材も片っ端から申し込んだ。
その日陽空は、全国展開もしている有名予備校の体験学習を申し込んでいた。
『CHPゼミナール』。人気講師が、タレント張りにメディアにも出演している大手予備校だ。
そんな有名講師の授業は受けられるはずもないが、入塾を期待して、体験授業はどこの塾でも、授業が分かりやすくて面白い講師が担当してくれる場合が多い。大好きな数学の講義を選んだ陽空は、どんな授業が受けられるのか期待しながら、背中のリュックを揺らしつつ目的地へと向かった。
陽空の自宅のアパートからは、駅の反対側の繁華街に『CHPゼミナール』は所在している。混雑する駅前は避け、高架下の道路を使って駅の反対口に出るた。『CHPゼミナール』があるビルの向かいには、陽空が何度か行った事のある『猫カフェ』があったので、迷うことなく辿りつけそうだった。
指定された時間まで、まだ大分時間があった。
夜の仕事が終わって泥のように眠る母親が、起きて来て顔を合わせるのがイヤだったので、陽空は随分と早く家を出て来ていたからだ。
『猫カフェ』が入っているビルの入口に立ち寄り、カフェの看板をチェックする。今日はどの猫と遊べるのか、名前と写真が掲示されているのだ。
決まった小づかいを貰っていない陽空にとって、決して安くない猫カフェは、そう気軽に寄れる場所ではなかった。夕飯代にと机に無造作に置かれる五百円から、毎日少しずつ貯めて、フリーペーパーから切り取ったクーポンを握りしめ、数ヶ月に一度訪れる事が出来るくらいだった。なのでお金がない時は、こうやって写真を眺めるだけでも癒された。
陽空のお気に入りは、『マイケル』と言う名の、耳の折れた脚の短い黄金色の毛の猫だった。
掲示されている写真に、マイケルの姿を探すが見つからない。先日、この先の近所で一番大きなディスカウントストアに行く為、この道を通った時に見た際も、マイケルの写真はなかった。このカフェの猫たちは保護猫で、里親と縁組が上手くいけば、引き取られる事もあるようだった。どこか新しい飼い主の元に、引き取られたのだろうか。
もうマイケルに会えないのは残念だけれど、新しい家族と出会って幸せに暮らしているのならそれでいい。人間にもそんな制度があれば、自分も新しい家族と出会えるかもしれないのに……。
そんな想いが、陽空の胸を去来した。
―― と、
ひゅん、と周囲の空気が動いたような気がした。地震が起きる前触れのように、足元がすくむような。と同時に、
ドンッ
と、大きな衝撃音が辺りに響いた。
(……なんだ?)
陽空が周囲を見回すと、通行人の何人かがみな足を止めて、衝撃音の発生元を探っている。
少し離れた所に立っていた、オレンジ色のキャリーバッグを引いている女性が、はっと息を飲んだのが分かった。視線の先に、何があるのか。陽空は、彼女の視線が注がれている場所が見えるようにと移動した。
(……あ)
ビルとビルの間の通り道に、誰かが倒れている。こちらに脚を向けて、仰向けで。
地面に広がった長い髪と、視界に飛び込んできたスカートから覗き見える白い太ももから、女性であることが分かり、陽空は見てはいけない物を見てしまったと、一瞬視線をそらした。
しかし、湧いてくる好奇心に抗う事が出来ず、もう一度顔を上げる。
色とデザインから見てどこかの学校の制服かと思われる、乱れた着衣をなるべく目に入れないようにして、陽空は倒れている人物の顔が見える位置に改めて動いた。
両目をかっと見開き、口を薄く開け、女子学生は白い顔で空《くう》を見つめている。
ああ、あの顔を知っている。
陽空は思った。「死」の顔だ。既に心臓を停止させた者の顔だ。何度も見たから分かるのだ。
彼女の死因を想像する。あの場所、あの体勢、そしてあの衝撃音。
(「リーチ」かもしれない)
陽空は、リュックの底に仕舞ったビンゴカードを思い出す。
彼手製の、「死のビンゴカード」を。
目の前の彼女が六人目だった。
陽空が十四年の人生で、出会った「遺体」は。
初めてそれと対面したのは、小学校に入学してすぐの頃だった。父方の曾祖母の葬儀の為に、父母に連れられ飛行機と電車を乗り継いで、山奥の古い大きな日本家屋に辿り着いた。びっくりするほど広い畳の部屋に、びっくりするほど人々が集い、その奥で、恐ろしく立派な布団に寝かされていたのが曾祖母だった。
陽空にとって初対面の曾祖母は、既に喋る事も動く事もない魂の抜けた存在だった。大人たちは口を揃えて
「おばあちゃん、小さくなっちゃって」
と言っていたが、曾祖母の元の大きさを知らなかった陽空は、「人は死んだら風船みたいに縮むのか」と信じ込んでいたのを覚えている。
こっそり触れた曾祖母の頬は、びっくりするくらい冷たかった。死因は老衰による多臓器不全、94歳の大往生であった。
二回目は、陽空の人生に於いて最も衝撃的な「死」との対面だったと言える。
曾祖母の逝去から四年。陽空が小学五年生の時だった。彼は父親の死の第一発見者となった。
あの頃住んでいた自宅は、近所でもひときわ目を引く二階建ての豪奢な邸宅だった。吹き抜けのある玄関には二階の渡り廊下を見上げる事ができ、そこからよく父親は、帰宅した陽空を笑顔で出迎えたものだった。
だがその日、玄関を開けた陽空の目に飛び込んできたのは、渡り廊下の手すりから、ロープで宙づりになっていた父親の姿だった。顔色が変わり、首がやけに長いその男が、自分の父親だと認識するまでに数秒を要したが、着用していたアメコミのイラストが胸に入った灰色のスウェットは、父親が寝巻代わりに愛用していた物だった。
父親が好きで息子に名付けた、緑の怪力男のキャラクターも描かれている。ヒーローを愛して止まなかった父が、自ら命を絶つだなんて、もしかしてこれは「自殺に見せかけた他殺」なのでは、と陽空は思った。そう信じたかった。
だが世間の意見のほとんどが、父の自殺を「当然」と受け止めていた。父は、死んでも償いきれない程の犯罪を犯したのだと。
不動産業を営んでいた祖父の後を継いだ父親は、詐欺まがいの不動産経営をあちこちに持ちかけ、暴利をむさぼった。父にターゲットにされた素人経営者の中には、老後の蓄えを一切失った者、借金まみれになった者、それらを悲観して自ら命を絶った者、そんな人たちが後を絶たなかった。
けれども「天網恢恢疎にして漏らさず」の言葉通りに、やがて陽空の父親の悪事は結成された被害者の会によって白日の下に晒される事となった。
その日の夕刻に被害者の会による大々的な記者会見が行われる事を、リークした陽空の父親は世間から追われる前に自ら「死」を選んだ。
遺していく我が子や妻には、詫びの言葉ひとつなく、
「大いなる力には、大いなる責任が伴う」
の、殴り書きのメモだけを置いて死んでいった。
それがアメコミヒーロー映画の名台詞だと知った時の、母親の般若の様な形相を、陽空は忘れない。
その日を境に、陽空の生活は一変した。
自宅は差し押さえられ、風呂のない狭いアパートで、母親と二人で暮らす事になった。苗字も母親の旧姓にし、学校も変えたにもかかわらず、どこから聞きつけてきたのか、転校して数日後には陽空は同級生から「人殺しの息子」呼ばわりされて孤立した。
そして数週間後には、あだ名は更に簡略化され「殺し屋」と呼ばれるようになった。
「殺し屋ハルク」の誕生である。
つけられたあだ名のせいなのか、以来彼には「死」が付きまとうようになる。毎年のように、陽空は誰かの「死」の現場に直面した。
小六の時は、近所で起きた交通事故の現場で、フロントガラスを突き破って路上に投げ出された女性の遺体を目撃した。運転席から顔面血だらけの男性が出て来て、女性の名前を連呼し抱きかかえたが、だらりとした女性の身体は全く反応せず、目は虚ろに空を見つめていた。あの日見た、父親と同じように。
中一の時は、通学に使っていた中古の自転車で遠乗りに出かけた河原で、上流から流れ着いた浮浪者の水死体が発見された場に遭遇した。服がはちきれそうな程に太った人だなと思っていたら、「ありゃあ、水でふやけて膨らんでんだよ」と野次馬の声が聞こえてきた。
小さくなったり、伸びたり、膨らんだり。遺体もいろいろあるんだなぁ。そんな事を考えていた陽空は、とある事を思いついた。
辞書を使って、人間のあらゆる「死因」を調べ始めた。病死、事故死、戦死……、紙の辞書をめくれば幾つも「死」にまつわる単語が見つかった。
まだ幸せだった小学生の頃、子供会の会合で参加した「ビンゴゲーム」で配布されたカードを思い出した。縦横五つずつのマスが並んだ二十五個のマス目で形成されたカード。通常1から75の数字が書かれているらしいけれど、これを「死因」で埋めたらどうなるだろうと。
陽空は24種類の「死因」の語句を選び出し、小さな紙片に書き込み、ランダムに選出して24個のマスを埋めた。
病死、凍死、毒殺、爆死、生き埋め、切腹、飛び降り、首吊り、絞殺、リストカット、事故死、死刑、水死、ガス中毒、心中、餓死、撲殺、轢死、感電死、戦死、捕食、刺殺、過労死、焼死。
物騒な言葉たちに囲まれた、中心のひとマスの「Free」の文字が、まるで死の先にこそ自由があるのだと言いたげに、存在感を放っていた。
既に陽空は、この「死のビンゴカード」で、病死、首つり、事故死、水死の4マスを開いていた。
さすがにそう簡単には次のマスが開くはずがないだろうと思っていたが、幸か不幸かすぐ翌年にそれは叶ってしまった。
中二で遭遇した遺体は、轢死体だった。電車に轢かれて四散した、文字通りのバラバラ死体だった。
その日陽空は、進学を希望していた高校の文化祭に向かう為、電車に乗っていた。最後尾の(とは言ってもローカル線の為、車両は二両しかなかったが)車両に乗り、遠くに流れてゆく景色を車窓から眺めていた。と、突然電車が、ファーンと聞いた事もないような大音量で警笛を鳴らし、急ブレーキを掛けた。陽空は体勢を大きく崩したが、膝をつく寸前になんとか近くの手すりに掴まり倒れずに済んだ。安堵する間もなく、続いて大きな衝撃が車両を襲った。
ガガガガガガガガガガッ
何かに乗り上げてしまったのか、ガリガリと嫌な音を立てながら電車が小刻みに振動する。そして、耳障りな金属音を長く響かせながら停車した。
車窓の向こうに何か動く気配を察して顔を上げた陽空は、線路の脇を黒いごみ袋が転がって行くのを見た。ゴミ袋だ。そう思考は判断したのに、何故かゴミ袋と目があった。
ゴミ袋だと思ったそれは、身体から千切れた男の生首だった。
首は回転を止めず、線路脇の草むらに転がり落ちて行く。
「えー、ただいま、当車両に人身事故が発生いたしました。お急ぎの所ご迷惑をおかけ致しますが、暫くそのままでお待ちください」
車掌のアナウンスが流れると、四割程度乗車していた車内の乗客の表情に不安と恐怖が貼りついた。こわごわ窓の外を覗く人、スマホを取り出して撮影しようとする悪趣味な集団、何か呟きながら手を合わせる老婦人。ざわつく車内の中、陽空はリュックからいつも入れている国語辞典を取り出した。「れ」の項に並ぶ見出しから、ピンクの蛍光ペンで記しづけられた一語を探す。
れきし【轢死】 列車など車輪に轢かれて死ぬこと
人身事故という言葉は耳にした事はあったが、それをこの「轢死」という語句で表す事ができるのを、「死のビンゴカード」を作った時に陽空は初めて知った。
運転席から降りてきた車掌が、大きな袋を片手に線路周辺をうろついている。バラバラになった身体を探し出すのも、彼等の職務なのだろう。泣きそうな顔の若い運転手にとって、今日が初めての試練なのだろうか。
(あの草むらの向こうに、首が落ちていますよ)
窓を開けて、そう伝えるべきか迷ったが、車内では飛び散った肉片を見てしまったのか、気分を悪くしてぐったりしている人たちもいる中、それはまずいかと黙っておいた。
五度目の遺体との遭遇に、陽空はショックを受けるよりも何か運命的なモノを感じずにはいられなかった。「殺し屋ハルク」のあだ名通り、自分の周りには死が憑いているのではないかと。若しくは「こんなクソな人生、早く終わらせてしまえよ」と、父親があの世から彼等の身体を借りてメッセージを送ってきているのではないかと。
(……あんたと同じ真似は、絶対しない)
陽空は脳裏に浮かんだ、父親の最期の姿をかき消した。そして、財布から小さく折り畳んだ紙片を取り出して、こっそり開いた。陽空特製の「死のビンゴカード」だ。「轢死」の文字を赤ペンで丸く囲むと、これで五つのマスが開いた事になったが、マス目はあちこちに散らばっており、まだリーチにも届かない。
このカードがビンゴになった時、どんな景品を自分は得る事が出来るのだろう。
電車が再び動き出すまでの長い間、陽空はぼんやりそんな事を考えていた。
―― そして現在、陽空は数メートル先に横たわる女子学生が、また新たなマス目を開いてくれる予感がしていた。
衝撃音を聞きつけてか、予備校から二人の職員が飛び出し、救急車を呼び、動かない女子の身体を隠す為にシートを吊った。彼女はここの生徒だったのだろうか。身体付きの印象からは、中学生ではなく高校生かと思えた。大学受験のノイローゼか何かが飛び降りの原因か。
陽空は目の前のビルを見上げた。
窓の数からして、七階はある。こんな高いところから飛び降りる勇気があるのに、受験を乗り越える気合いはなかったのかと不思議に思う。
増えてきた野次馬たちが「なんだなんだ」「嘘、とびおり?」「息はあるの?」「え? 身体グチャグチャなんじゃね?」と、口々に好き勝手を呟きだす。【交通事故死】【水死】【轢死】を目撃した時と同じように、スマホのシャッター音があちこちから聞こえる。どうせ嬉々としてネットに挙げるのだろう。どいつもこいつもマスコミ気取りだ。
父親が死んだ直後、陽空と母親までもがマスコミに追われた。あの時イヤと言うほど聞かされたシャッター音のせいで、今でも陽空はその音を聞くと息苦しくなる。飛び降りた女子のこれからを見届けたかったけれど、これ以上この場にいるのは苦痛だと、陽空はふと思い立ち、猫カフェの入ったビルへと足を向けた。
猫カフェのある三階まで階段で登ると、カフェの入口がある反対側へと進んだ。突き当たりにある窓ガラスからは、向かいの予備校が良く見える。そして見下ろせば、アスファルトに横たわったままの女子の姿も。
(……あの制服は、M女学院か)
県内で偏差値がトップクラスの女子高だった。あの制服に憧れて、合格を目指している同級生の女子も多いと聞く。せっかく難関を突破して合格したにもかかわらず、卒業を待たずして彼女は死を選んでしまったのか。
上から見ると、左肩が明らかに異常な角度で曲がっている。あの状態で、痛がる事もせず微動だにしないのだから、彼女はやはり既に事切れているのだろう。陽空の予感は確信に変わった。頭の中で、マス目に書いた語句の位置はほぼ記憶していたが、それを確かめる為に、リュックから財布を取り出しビンゴカードを記した紙片を開いた。
(……リーチだ)
思った通り六回目にして、ついにカードはリーチとなった。左上のマスから斜めに走るライン。【病死】、【飛び降り】、中央の【FREE】、そして【轢死】の四マスが開いている。ビンゴの為のラストは右下のひとマスだ。
救急車のサイレンが近づいてきた。
恐らくあの女子高生の身体は、あれでは運ばれないだろう。自殺の現場で、明らかに死亡が確認された状態の遺体は、救急車ではなく警察車両で運ばれる事を、父親の死の際に陽空は学んでいた。
あの時と同じ手順で進んでいく現場検証や尋問の様子を、文字通り「高みの見物」で眺めながら、陽空は考えていた。
─ ビンゴの最後のマスを開く為には、どうすればいいのだろうかと。
「おい、殺し屋。おまえ一昨日《おととい》の土曜日、駅前の飛び降りの現場にいたんだってな」
週明けの月曜日、登校すると、クラスメイトの加納光昭の一派が、いつものように絡んできた。
「もしかして、その自殺もお前の仕込みだったんじゃねぇの」
「そうそう、お前があることないこと吹き込んで、自殺に追いやったりとかしたんだろ」
「こえぇー、殺し屋ならやりかねねぇー」
一味の野口と塩谷も加納の煽りに同調して、陽空にちょっかいを出してくる。全く毎日毎日飽きもせず、暇な連中だ。いちいち相手をするのも馬鹿らしいが、無視を貫くと、こういった手合いは必要以上にエスカレートしてくるから始末が悪い。
「残念ながら、話すどころか会った事もない人だったよ」
感情を高ぶらせる事無く、淡々と答える。
「は? 何? おまえ、飛び降りた奴の顔見たの? 死体の顔見たの? キモっ!」
「飛び降り自殺ってアレだろ? 身体とかぐちゃぐちゃになってんだろ? お前、よく平気な顔して学校来れんな。トラウマとかになって寝込んだりすんじゃねぇのフツ―」
「慣れてんだよコイツは。なんてったて、ご立派なお父上の首吊り現場を目撃された、お坊ちゃまだからな」
吐き捨てられた加納の台詞に、冷静でいようとしていた陽空の怒りに火がついた。
「……なんだよ、なんか文句あんのかよ」
黙ったまま、加納を強い視線で睨みつける。
「怒った怒った! ヤバい、ハルクが怒ったぞー!」
「オラ、早く緑に変身しろよ! でっかくなって踏みつぶしてみろよ」
小うるさく茶化してくる野口と塩谷には目を向けず、陽空はリーダー格である加納だけを鋭く見つめ続ける。
「ざけんな! 生意気にガンなんか飛ばしてんじゃねぇぞ。殺すぞテメェ」
加納のひと言に、陽空のこめかみがピクリと動いた。
「殺す?」
そのひと言を繰り返した陽空から、冷やかな空気が発せられていくのに気づいたのか、野口と塩谷も口をつぐむ。
「やれるの? キミに」
「……ぁんだとコラ」
「殺《や》れる勇気があるんなら、どうぞいつでもやってもらって構わないよ。そしたら今度はキミが、僕の父親と同様『人殺し』になる。キミの家族も晴れて、『人殺しの家族』と呼ばれるようになる。そう僕みたいにね。キミのお姉さん、確か東京の有名な大学に通っているんだよね? 弟が『人殺し』になったらきっと、マスコミは東京まで追ってあれこれ書き立てるよ。僕には手に取るように分かる。だって全部自分が通って来た道だもの。さて、」
一気にまくし立てて、ようやくひと息ついた陽空はにっこりと笑って見せる。
「それでも『殺す』んだったら、どうぞご自由に」
加納が口だけで粋がっているヤツだと言う事は、小学生の頃から知っていた。家族四人の幸せな中流家庭でぬくぬくと育ち、活躍したサッカー部の成績が功を奏して強豪校への推薦もほぼ確定であるヤツが、それら全てを失ってまで自分を殺すなんて愚行に走るか? 答えはNOだ。
「……お前のその目、『殺し屋』ってぇより『死神』だな」
そう捨て台詞を残して、加納一派は自分達の席へと戻っていく。自分がどんな目をしているのか知りたくて、窓ガラスに顔を映してみるが、手垢で薄汚れた教室の窓では濁った目にしか見えなかった。
『殺す』だの『死ね』だの、学校は毎日物騒な言葉で溢れている。
「今度の期末、マジ範囲広すぎ。死ぬ」だの「数学のタカハシ、超ムカつく。ホントぶち殺したい」だの「腹空きすぎて死ねる」だの。男も女も、日常会話になんの迷いもなくそんな単語を組み入れてくる。
陽空はそれらを耳にする度に、「キミ達に、本当にそれだけの勇気があるのか?」と問い掛けたくなる。軽々しく、そんな言葉を口にするんじゃないと叫びたくなる。
父親は死んだ。何人もの人を死に追い込んで。そして自分の人生は一変した。
今の陽空という存在は、いくつもの『死』というファクターで成り立っている。自分と母を置いて、父が独りで逝ってしまった事も、それ以来何かに憑かれたように他人の死に目に遭遇する事も、『死』という事象を深く考察すべきだという天からの啓示なのではないだろうか。
memento mori = メメント・モリ。
死を想え ―― との。
ビルの屋上から身を投げた女子高生は、果たしてどれだけの覚悟を持って飛んだのか。きっと十数年で生涯を終わらせたくなるほどの、哀しみと憂いとに悩み苦しみ抜いた先に、見つけた答えだったのだろう。
自分は『まだ』大丈夫だ。死にたいだなんて思わないし、誰も殺さない。
そんな想いを、わざわざ自分に言い聞かせているのは、心の片隅に火種となる何かが燻ぶり始めているからだとは、この時の陽空は気づいていなかった。
