ちっぽけなあたしの死を嗤え #03
【澤北海樹・28歳】 その2
「え? 人形のフリ? んー、いいですよぉ。リクエスト、了解でぇーす」
薄いピンク色のナース服を着たももかが、敬礼のポーズをとる。いや、看護師はそんなポーズしないだろそりゃ婦人警官だろと思いつつも、澤北は期待に胸を膨らませていた。
「要するに、動かなきゃイイって事ですよね? オッケーでぇす。それじゃ、60分コース、スタートしまーす」
いちご型のタイマーが、カウントを刻み始める。
澤北が、制服を着た女学生の遺体を目撃した日から、半月が過ぎていた。
あの日の翌朝、澤北はネットニュースや地元の新聞などを徹底的にチェックしたが、駅前の雑居ビルで起きた投身自殺に関しての記事は一切見当たらなかった。
近年減少傾向にあるとはいえ、日本の年間の自殺者数は二万人を超えている。そのすべてがニュースになるわけではない。ましてや女子高生が、通っていた予備校のビルから飛び降りたとなると、周囲への配慮から報道は控えられたのかとも考えられる。と同時に、ニュースにならなかったという事は、やはり事件性等はなく、単なる自殺であったのだろうの確信にもなった。
「少女A」
澤北は、あの日目に焼き付けた道路に身を横たえていた女子高生を、そう名付けた。
名前も正確な年齢も分からない、時間にしてわずか数分しか見る事の出来なかった彼女に、澤北は特別な感情を抱いていた。いや、時間が重要なワケではない。問題は彼女が”遺体”であったという事だ。
動かぬ少女Aに、澤北は恋をした。
彼女を想えば胸が高鳴り、頬は紅潮し、下腹部の男性自身もそれに応えた。
「ネクロフィリア=屍体性愛」の言葉を発見した時、澤北は「水=ウォーター」で言語という概念を理解したヘレン・ケラーのように、まるで雷に打たれた心持ちだった。
その単語でWebを探せば、子供の頃とは違っていくらでも関連する書物や映画等の創作物を見つける事ができた。そしてもちろん、本物の”屍体”の画像も。
だが、貪るように画像を漁っても、少女Aに抱いたような興奮は得られなかった。鮮明な画像でも、所詮は画面上の2Dでしかない。そしてその中には、恐らく擬い物も混じっているだろう。
澤北は本物を見たのだ。
数分前まで、息づいていた肉体。まだ温もりを帯びていただろう肢体。足元からその身体の向こうに見えた、虚ろな顔。
手を伸ばせばそこにあったリアルを、澤北は切望していた。
その欲望を少しでも満たす為に、彼が考えた場所がこの店。いわゆる『イメクラ』と称される形態の風俗店だった。
学生時代には数人ほど決まった恋人がいた事もあった澤北だったが、ここ北関東に転勤になってからは特定の彼女は作らないでいた。だが二十代後半とはいえ、まだそれなりに性欲もあったので、月イチ程度で給料日の直後等を狙ってプロの手を借りて処理する事が彼の習慣になっていた。
少女Aが飛び降りた予備校のビルがある場所とは、駅を挟んで反対側の一角に、その手の店は集結していた。ここでも澤北は、特に決まったお店・お気に入りのコなどは作らず、予算と気分に合わせ店舗を選んでいた。
『イメクラ』業態の店に来たのは初めてだった。
店の女の子が、様々なコスチュームを着て、そのシチュエーションを演じてサービスをしてくれる『イメージクラブ』。入店して、受付スタッフの流れるような内容説明に圧倒されているうちに案内された部屋は、病院の診察室を模したような一室だった。
「はじめましてぇ」
現れた女の子の姿を見て、澤北は後悔した。受付の男が「ウチで一番人気のコですよぉ」と豪語していただけあって、確かに可愛い顔立ちをしていた。だが、身に付けたピンクのナース服はいただけなかった。
(……制服をリクエストすれば良かったのか)と思ったが、取り敢えず一番の譲れないポイントだけはしっかりとリクエストした。
「動かないでもらいたいんだ。横になったまま、人形のように」
少女Aの再現こそが、澤北の望む物だった。
「あー、また来てくれたんですねぇ。うれしぃ」
給料日を待たずに、翌週も澤北はももかに逢う為に店を訪れた。
彼女が気にいったというワケではない。こと細かなリクエストを、繰り返しする手間を省くだけの為だった。
「コレを着るんですかぁ?」
澤北は今回は、衣装を持参してきていた。
少女Aが着用していた制服の記憶を辿り、色・形をネットで検索し、それが県内でも指折りのお嬢様学校・M女学院の制服だという事をつきとめた。そして同校の制服を、怪しげなサイトのネットオークションで、高額でGETした。
それをももかに着せようとしていたのだ。少女Aを再現する為に。
事前に衣装はスタッフの手によって、妙な細工が施されていないかのチェックを受けてから、ももかに手渡された。
中肉中背、黒髪ストレートのももかは、制服を着ると想像以上に、あの少女を思い出させるビジュアルになった。
「この前と、同じポーズをとればイイんですよねぇ」
リノリウムの冷たい床に、制服を着たももかが仰向けに横たわる。両手を投げ出し、足は若干開いて、膝の角度にもこだわり、首を右側に少し傾け、顎は上げ気味に。
前回来店時に澤北が出した、細部にわたる要望通りに、ももかは少女Aを演じてくれた。
「いい。すごくイイよ。最高だ」
澤北の欲望が満たされていく。
けれども、この擬似的行為による欲望の充足は、そう長くは続かなかった。
違う。
違う違う違う。
これじゃない。これじゃないんだ。ダメだダメだダメだ。
「瞬きすんなって言ってんだろ!」
澤北が発した怒気をはらんだ声に、ももかは瞬時に身体を起こし壁のコールボタンに手を伸ばそうとした。
「あ、ごめんごめん。つい気持ちが入っちゃって。ごめんね、大きい声出しちゃって」
スタッフを呼ばれてはお終いだと、咄嗟にその場を取りつくろった。
「無理だよね、瞬きすんなだなんてね。ごめんごめん。ホントごめん。だから怒らないで続きさせて」
両手を合わせ、風俗嬢に必死に懇願する自分を愚かだとは重々分かっていた。だが、澤北にしてみれば、己の欲求を満たす為なら泥を舐める事だって厭わなかった。そうでなければ壊れてしまう。澤北は必死だった。
「声は絶対に出さないで」
「瞬きはできるだけしないで」
「呼吸も最低限で。胸や腹を動かさないでして」
要求がどんどんエスカレートしていく事に、自分自身で恐怖も感じていた。自分はどこまで少女Aの身体をももかで再現すれば、満足できるのだろうかと。
澤北が感じるそんな恐怖は、ももかにも伝わっていた。
五度めの来店時、澤北は入店を拒否された。
最初はやんわりと。だが喰い下がる澤北に、それまで物腰柔らかに接してくれていたスタッフの金髪の男が、いきなり声を落とし
「二度と来んじゃねぇよ、このド変態」
と、噛みつかんばかりに顔を近づけ吐き捨ててきた。
少女A(仮)は、奪われた。宙ぶらりんとなった欲望を晴らす術《すべ》を、仮の肉体をまた新たに見つけなくてはならない。
突き返された制服が入った紙袋を胸に、澤北はネオンまばゆい繁華街をひとり、あてもなくさ迷った。
(……給料日まで、あと五日もあるのかよ)
スマホに入れたアプリで銀行口座をチェックして、自分の貯金残高を確認した澤北は、深いため息をついた。
ここ数ヶ月で、澤北の貯金額はみるみると減り、先日ついに最後の定期預金も解約してしまった。それすらも、既に諭吉にしたらギリギリ野球チームが作れるくらいしか残っていない。カードの引き落とし、公共料金の支払いもあるのに、澤北はまだ風俗店通いが止められないでいた。
ももかの店を出禁になってから、他のイメクラを渡り歩いた。少女Aに似たコを求めて、稼ぎをつぎ込みまくった。
しかし「動かぬ身体」を要求する行為がいつもエスカレートしてしまい、澤北は地元の店では、どこからも入店を拒否されるようになってしまった。
それならばと、澤北の悪評がバレテいない他県まで、出掛けて行くことにした。群馬、茨城、風俗街はどの街にだってある。
休みの日になると、澤北はバッグパックにM女学院の制服を詰め、愛車のバイクを近県の街まで走らせた。
ようやく念願のバイクに乗ることができたにもかかわらず、その喜びよりも、澤北にとっては、少女Aの妄想を少しでも具現化させることの方が重要だった。水中で息ができずにもがき続けている様な、常に息苦しい現状を打ち破るには、この方法しかなかったのだ。
青空の下、大自然を走りたい、そう願っていたはずの澤北は、バイクで夜の街を目指す日々を送っていた。
休みの日だけでは足りずに、有給休暇まで使って、イメクラ通いを続けていた為、澤北の懐は一気に寂しくなっていった。
いよいよキャッシングに手を出そうかと、思案していたところ
「……澤北さん、最近顔色があんまり良くないですけど、大丈夫ですか?」
そう声を掛けてきたのが、澤北の会社に勤める女子事務員・佐々木和歌子だった。
「東京ディズニーランド」が東京の地に存在しないように、澤北の勤務先である「フォレスト食品・宇都宮事業所」の所在地は宇都宮市ではなかった。
県庁所在地・宇都宮のある宇都宮市に隣接する「郡」の中の小さな町。澤北は当初、その住所表記を見たとき愕然とした。自分は「都民」、いや「東京23区民」から北関東の片田舎の「町民」になり下がってしまったのかと。
佐々木和歌子は生まれてからずっと、「町民」として生きてきた。地元の公立高校を卒業し、そのまま地元で就職をした。世間知らずの箱入り娘かと思えばそうでもなく、今どき珍しい貧乏子だくさんの六人兄弟の四番目という微妙な立ち位置だった彼女は、大して両親の愛情を受ける事もないまま、当然のように高校を卒業すると働きに出た。現在は会社の女子寮で暮らし、さほど高くない給料から実家に仕送りをしているというなかなかどうして、真面目な娘だった。
体調を気遣って、自分に声を掛けてきてくれた和歌子のことを、あれ以降澤北は密かに観察していた。
本社からこちらへ出向した当時、「東京から来た二十代独身男子社員」と、色めき立っていた女子社員達とは少し離れた場所から、和歌子が自分に熱い視線を送っていたのには気づいていた。地味で田舎くさい印象しかなかった存在だったが、改めてじっくり眺めると、和歌子の素朴さが澤北の関心を引き寄せた。
ひとつにまとめた黒い髪、化粧気のない白い肌、少々肉付きが良すぎではあったが、小柄な体型を取ってみても、和歌子に少女Aのイメージを重ねてみても悪くはなかった。
―― こんな身近に、イイのがいたじゃないかよ。
新たな発見に、澤北の気分は一気に高揚した。
「嘘みたい。私なんかが、澤北さんとこんな風になれただなんて」
澤北のアパートのシングルベッドの中で、和歌子は頬を赤らめて幸せそうに呟いた。
食事、映画に続いて、三回目の誘いで、澤北は言葉巧みに和歌子を自室に誘い、事に及んだ。二十三歳の和歌子が、澤北が初めての男だったのには、多少なりとも感動を受けた。『自分の思い通りに染められる』、そう考えたのだ。
あの少女は果たして処女だったのだろうか……
痛みに耐えつつ、健気に澤北を受け入れる和歌子を組み敷きながらも、彼の思考を占めるのは変わらず少女Aの事ばかりだった。
男性との体験どころか、異性と付き合うこと自体初めてだった和歌子にとっては、澤北の行動すべてが「愛ゆえ」なのだと信じて疑わなかった。
ダイエットを勧められたり、髪を下ろすように言われたり、化粧を止められたり、男女の行為の際に、制服を着せられて「人形」の振りをさせられる事さえも、自分を大切にしてくれる故のひとつの形なのだろうと思い込んでいたし、嫌われることを恐れて、拒否する事も出来なかった。
もし和歌子に、恋愛に関して相談に乗ってくれる友人や親兄弟が身近にいれば、澤北の異常さを指摘してくれたであろうに、内気で人付き合いの苦手な彼女にはそのように打ち解けあえる人間はおらず、ただ従順に澤北に従い続けた。
そして何より澤北も、和歌子が周囲の人間と深く付き合いをしていない事を知った上で、彼女を誘っていたのだ。
どんな行為を要求しても、和歌子が断ることはない、誰かに告げ口する事はない。その確信があったからこそ、澤北の暴走は加速していったのだった。
和歌子という玩具を手にした事によって、むしろ澤北の「少女A」に対する歪んだ欲心は日増しに膨らんでいった。
和歌子を抱いたすぐその夜に、少女の夢を見て夢精した。夢の中の少女は、完璧なる「骸」だった。和歌子が演じる偽物ではなく、あの日見た本物の「魂の抜け殻」だった。
澤北は、己の感情に限界が近づいてきている事に、気づき始めていた。
「あれ? 澤北さん、ついにバイク引退ですかぁ?」
アパートの駐車場に停めた、銀色のレガシィから降り立った澤北に、同じく寮に住む後輩社員が声を掛けた。
「中古だけどね。そろそろ四輪でしっかり地に足をつけようかなって」
「じゃああのHONDA、手放しちゃったんですかぁ? 俺、密かに狙ってたのにぃ」
売り払ったバイクの金は、車購入の資金に充てた。中古のレガシィは事故歴ありの代物だったからか、二十万円を切る破格で手に入れることができた。
とにかく用途を満たしてくれて、すぐさま手に入るのだったら、事故歴があろうと曰くつきの車だろうとどうでもよかった。
急がなければならなかったのだ。
和歌子の身体には、既に死斑が浮き出し始めているのだから。
和歌子を手に掛けてしまったのは『衝動的』や『計画的』の言葉で語るより、『必然的』だったと言うのが澤北の正直な感情だった。
殺さなければ、冷たくなった和歌子を抱かなければ、自分が狂っていた。あれは必然的な犯行だったのだ。澤北は後にそう述懐する。
死後硬直を始めた和歌子の身体を無理矢理押し開き、何度も犯した行為こそが『狂っていた』行為だと言うのに ――
「海樹さんには、誰か忘れられない人がいるんですか?」
和歌子が澤北に尋ねた、その質問がきっかけだった。
「……どうして、そう思うんだ?」
「だって、私にこんな服を着せたり、痩せろって言ったり、髪形とかだって、誰かに似させようとしているのかなって……」
「イヤなのか?」
「違うの。 イヤとかじゃないの。……でも、もしそういう人がいるんだったら、私はその人に適う日がいつかくるのかなぁって」
裸の和歌子が身を摺り寄せてくる。
先ほどまでの交わりの名残で、その白い肌には玉のように汗が浮かんでいる。
澤北は汚い物を避けるようにして、ベッドから出た。
―― 死体は汗なんてかかねぇんだよなぁ。
ぼんやりと、そんな事を思いながら。
「ねぇ、どうやったら私。その人に勝てる? 私、海樹さんの為だったら何でもするよ? 何でもするから」
澤北の向けた背中に、和歌子は必死な声で訴えてくる。キンキンと脳内に響く耳障りな音に、『死体と交わりたい』、そんな望みを抱き続け、常軌を逸脱しそうになりながらも、なんとかまだ一線を越えないでいた澤北の感情の糸が、プツリと切れた。
「じゃあ、おまえ、死んでよ」
飛びかかる様にして、和歌子の首をあらん限りの力で両手で締め上げた。
「……え? うぇ……、げぇ……ぇ……」
叫び声をあげる間もなく、両目を剥いて赤い舌を見せながら、ゆっくりと和歌子は堕ちて行く。
「……ミスったな」
ベッドの上の、事切れた和歌子の身体を見下ろして、澤北はつぶやいた。
「頭殴りゃ良かった……」
少女Aの死体は後頭部が破損していたと聞いていた。だから白く美しい顔のままだったのだ。
だが自分が手掛けた和歌子は、目は充血し顔面は赤黒く膨張している。
それでも少女Aと同じに、物言わぬ肉体と化した和歌子を、澤北は初めて心から愛おしく感じていた。
季節が冬だったのを幸いに、澤北は和歌子の死体と二日間を共にした。
そして和歌子の身体が異臭を放ちはじめる前にと、急きょ手に入れた中古車に遺体を載せてアパートを出た。
少し走らせれば、捨て場所に出来る人気のない山はいくらでもある。北関東の片田舎に感謝した。
そのまま、澤北は二度と独身寮のアパートに戻ることはなかった。
和歌子の遺体を山中に捨てたあと、車を走らせ次から次へと若い女性に声を掛け、言葉巧みに誘っては殺害し、犯し、遺体を処分するという行為を繰り返した。
犯罪の範囲を北に広げて行ったのは「寒い方が、遺体の”持ち”も良くなると思った」からだと言う。
最終的に、青森県・八戸市の警察署に澤北が自首をしてきたのは、和歌子を殺害してから半月が過ぎてからだった。
澤北による自供と、実際発見された遺体の数とで、被害者は和歌子を含め八人にも及んでいた。
自首をしてきたのは「逃げ切れない」と判断したからか、という取調官の問いに、
「もう充分、いつでもいくらでも思い出せるくらい、充分に”やった”から」
と、うっすら笑みを浮かべながら澤北が答えたという衝撃的な記事が、週刊誌にスクープされた。
澤北のこの告白を耳にしてしまった被害者の母親らのうち、数名が精神に異常をきたし数名が自ら命を絶った(中には両親ともに心中を図ったケースも)。ちなみに、澤北の母親はこの前者に該当する。
※ ※ ※ ※ ※
あの日、「自分が死んでも世界は変わらない」と叫んだあの少女は、知る由もなかった。
ひとりの女子高生の死が、澤北海樹という狂った欲望に取り憑かれた、稀代の連続殺人犯を産み出してしまう未来を ―― 。
