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男の娘小説『エリス』ベスト・セレクション⑧:家庭崩壊の最終楽章 たとえこの脚が壊れてもぉぉぉぉっ、僕はあなたを救うぅぁぁぁぁっ!!!

 私のオリジナル小説『ELLIS-エリス- 世界最高の生き方』のエピソードのなかで、Noteに載っけても大丈夫そうなものを選りすぐってアップしよう!!のコーナーその⑧!!
 今回のエピソードは、エリスの”健常者”としての人生、その最後までを描くお話です。極真空手を習い始めてまだ2ヵ月しか経っていない彼が、『心技体』の『心』だけを武器に、恋人とその家族を救おうとします。はたしてこの闘いに勝者はいるのか? 闇と光、絶望と希望の闘いが、ついに決着する!!

第三十九章 - 青春時代② 高校生活 Ep.26:家庭崩壊の最終楽章

エリスの高校生活㉒ 家庭崩壊の第3楽章

 「カッ……ハッハッハッハッハァ……」
 左手で鼻、右手で『みぞおち』を押さえながら床にひれ伏している成人男性が、掠れた咳のような笑い声を上げている。その鼻は、骨折しているのが明白なほど不自然にひしゃげており、鼻孔からは大量の血が垂れ流されているのだ。そんな男が苦痛に歪んだ顔で見上げているのは、前方で興奮気味に立ち尽くしている美少年の顔だった。
 「おみそれしましたぞ、エッリスちゃ~ん……いやぁお強いお強い……護身術でも習ってるんかいねぇ……? 今のはまるで、粗暴な『非行少年』みたいだったぞ――」男が背後の壁によし掛かって、顔を上向けて鼻血の流出を抑えていく。「羨ましいねぇ……世紀の大美人でありながら、喧嘩まで強くってねぇ……きっと『この世の主人公』にでもなったような気持ちで、人生バラ色ハッピーエンドなんだろうねぇ……」その男の呟きには、どこか皮肉めいた響きが含まれている。
 「手荒なことをして、すみません……けどああしないと、あなたを止められそうもなくて……」そう答えるエリスの左肘にも、裂傷と出血が見られる。先ほど酒瓶を受けた際に、破片で切ってしまったようだ(タイミングが悪いことに、今は夏なので彼は半袖の衣服を着ている)。「それと、言うのが遅れてしまいましたが……実のところ僕は男の子で、極真空手を習っています……」ここに来てようやく、自分の素性を明かすエリス。自己開示して相手の戦意を削ぐ狙いもあったが、何よりも隠し事はフェアじゃないと思ったのだ。
 「ほぉ……常人ならざるオーラの正体は、それかい……」男がエリスの『全くモッコリしてない股間』に目を落して続ける(その際ショートパンツの裂け目には気づかなかった)。「なら『そこ』の中には、俺らと同じ『竿』と『タマ』が入ってんだな?」
 「えっと……ごめんなさい、僕は『無精巣症』なので、生まれつき『タマタマ』は無いんです……」馬鹿正直に答えるエリス。しかし彼としては、これ以上の戦闘を避けるためにも、今はこうして対話を続けるべきだと判断したのだ。
 「何と! 『タマナシ』かい!」まるで妖怪か何かの名前でも呼ぶかのように、そう言って笑う男。「なら、ほぼ『テストステロン・シャワー』は浴びてないってこったな? クックックッ……それじゃ『男』とは言えんだろぉ?」
 「そうかもしれません……だけど今は、そんなことはどうでもいいです――」そこで首を横に捻ったエリスは、背後にいる人物に対して切迫した態度で、こう指示する。「ダニエルのお母さん! 至急、救急車を呼んでください! 恐らく旦那さん、鼻を骨折しています! このままじゃ出血多量で……」
 「わ、分かったわ! すぐに手配するわね――」呼びかけに応じた女性が、キッチン・カウンターに置かれたスマホを取り上げて、急いで『144番通報』し始める(144番はスイスの救急電話番号)。その女性の隣では、未だ彼女の息子が身を竦ませて震えている。しかしそれを把握できないエリスは、その女性に対して「それが済んだら念のため、警察にも連絡をお願いします!」と付け加えた後、隣にいる息子に向かっても別の指示を出すのだった。
 「ダニエル! 君は氷を持ってきて! 早くっ!」しかし相手は応えない。いや、『応えられない』と言った方がいいだろうか? 彼はずっと父親に――そしてエリスが認知していない未知の何かに――怯えていて、パニック発作を起こしているようだ。「ダニエルッ!」彼が再度呼びかけるも、やはり相手は動き出す気配がない(実際このときダニエルは、強い不安感とストレスにより自律神経を蝕ばまれており、激しい動悸と眩暈、吐き気、過呼吸に見舞われていた)。
 「無駄むだぁ……」顔中を血まみれにした父親が、赤一色の口を開けてニヤりと笑う。「そいつ、俺がブチ切れるとたまに『そうなっちまう』のよ……全く、情けないったらありゃしねぇよなぁ……こっんな可憐な『お姫様』を闘わせておいて、自分は隅っこで縮こまってるだけなんだからよぉ?」
 「それって、『パニック障害』ってことですか……? そんな……」ついにエリスが男から注意を逸らし、後ろにいるダニエルの様子をうかがってしまう。そしてそこで苦しそうにうずくまる親友を見た彼は、心配そうな顔をして疑念を唱えるのだ。「でもどうして……学校では一度もそんなこと……」
 「それだけ『俺』が怖いってことだろうな……特に、潜在意識の方で恐れてるみてぇだ……いわゆるトラウマってやつ……俺の怒鳴り声とか、デカイ物音とかに反応して……過去の嫌な記憶が蘇ってんじゃねぇかな……ま、今は『別の理由』で起きてんのかもしれねぇが――ぁっ……あぁクソ……俺もクラクラしてきやがったわ……」不敵に笑う男の方も、今や貧血で脳機能が低下してきていた。にもかかわらず男は、なぜか幸せそうな顔で話し続けるのだ。「なぁに心配いらねぇよ……どうせ時間が経ちゃぁ治まるからよぉ……」
 「ダニエル! 大丈夫だから! 気をしっかり持って!」エリスが懸命に語り掛ける。「ずっと辛かったね? 苦しかったね? 誰にも頼れずに、お母さんと二人きりで……これまでよく耐えてきたね? 頑張ってきたね?」ダニエルの目から涙が零れ落ちる。身体は自由にならずとも、ちゃんと心はそこにあって、彼もそのなかで必死に闘っているのだ。「でも大丈夫だよ。もう誰も君を傷つけたりしない……君のお父さんは僕が止めてるから!」
 エリスの目にも涙が光る。好きな人がこれほどの問題を抱えていたとは、露知らなかった彼なので、今はただこの状況への悲しみと、ずっと気づいてあげられなかった自分への怒りでいっぱいだった。「だからねダニエル? もし動けるようになったら、君はお母さんを連れて、すぐここから離れるんだ! いいね? 約束だよ?」
 「おーおー……お優しいお姫様なこったぁ……」いつの間にか立ち上がっていた男が、ゆっくり冷蔵庫の方へと足を引きずりながらそう呟くと、その気配に不意を突かれたエリスが、瞬時にそちらにキッと睨みを利かせては、殺気を漂わせて戦闘モードに移行する。「おっと、そう警戒なさんなって……自分でアイスパック取りにいくだけだからよ……」
 「妙なことはしないでくださいね? もう誰にも傷ついてほしく、ないです……」そう言いつつエリスの目には、相手を抹殺することも厭わないような狂気が宿っている。
 「クハハッ……いい目だねぇ……さぞ俺のことが憎いと見える……もう顔にはっきり書いてあるぞ? 『殺したいほど憎い』ってな……」冷蔵庫に到着した男は、下の冷凍室を開けてはアイスパックを取り出して、それを自身の鼻に当てていく。「まぁ同感だわ……俺も自分ってやつが大っ嫌ぇだ……お姫様にはちと理解しにくいかもしれねぇが、この世には生まれながらにして光を浴びれるやつと、そうじゃないやつがいんのよ……俺は影……闇の方なんだわ……」
 「そんなことないです!」エリスの目から同情心が発露する。「あなたは決して影なんかじゃない! むしろあなたが太陽なんです! だってあなたがいたから、僕はダニエルと出会えました。恋する気持ちを知ることができました。『自分らしくいよう』って……決意することができたんです……」彼が涙を拭って続ける。「だから何よりも理解できないのは、『なぜあなたが彼を愛してあげられないのか』ってことです!」
 「だから言ってんだろ……そこが俺の『影たるゆえん』なのよ……」男が今度は、上段の冷蔵室から『妻用の鉄分補給ドリンク』を取り出しながら続ける。「結局のところ、俺の抱える不満も不幸も、絶望も……俺として生まれた、『俺という人間だけが感じることができる、絶対的な真実』なのよ……他者に理解できるはずがねぇんだ……」栓を開けてドリンクを飲み始める男。けっ……何が愛だ、恋だ、自分らしくだ……くだらねぇ空想の産物ばかり信じやがって……昔の自分見てるみてぇで、反吐が出るぜ――。
 「あなた……もうお終いよ」ちょうど緊急通報を終えた妻が、スマホを耳から下ろしながら確固とした態度で告げる。「今、救急車と警察を呼んだわ……だから私たちの夫婦生活はお終い……離婚しましょ……」そのまま彼女はしゃがみ込んで、隣にいる息子の背中を摩りながら、こう続ける。「ダニエルは私が引き取るわ……あなたは養育費も出さなくていい……ただ、私たちの前から消えてちょうだい……私たちをいい加減、解放してしてちょうだい……」
 「そっか……警察まで呼ばれちまったか……」夫がドリンクを飲み干してから、空き瓶をシンクに置きつつ彼らに背を向けて、黄昏たように呟く。「まぁありがたいわ……おかげでいろいろと『踏ん切り』がついたしな……」
 「り……す……」そのときダニエルがゆっくりと立ち上がり、懸命に何かを訴えようとする。「げ……て……」これには思わず男から注意を逸らして、親友に駆け寄ろうとしてしまうエリス。「ダニエル、大丈夫!? もう動けるの!?」すると今度は彼から、はっきりと意味が伝わる大きさで、こう返されるのだった。
 「えりす……にげて……その、ひと……」
 「じゅうをもってる――」
 パンッ!!
 ピシャッ――。カランッカラァン……。

 えっ――。エリスが何か生暖かい感触を感じて、ふと自分の下半身へと視線を落とすと、なぜか右膝の中央部に真っ赤な穴が空いていて、床には放射状の血痕が広がっているのだった。な、何こ――。
 途端に襲ってくる死ぬほどの激痛――地面に崩れ落ちた彼の絶叫が響く。
 「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
 そして影は闇になり、やがて絶望へと変わる。

エリスの高校生活㉓ 家庭崩壊の最終楽章

 「うあっ……うっ……っ……」地面に倒れたまま、苛烈な表情を浮かべるエリスの呻き声だけが、殺伐とした部屋の中に虚しく響いている。イダイ……いだい、よぉ――。否応なく流れる出る涙、銃創からの血液。彼は薄れゆく意識のなかで、必死に目を閉じまいとしていた。眠っちゃ、ダメだ……このままじゃ……みんなが――。
 そして別の叫び声が響く。
 「何してるのあなたぁぁぁぁぁぁ!!」妻が息子を立ち支えながら、前方の夫へと最大限の非難を浴びせる。「正気なの、あなたぁぁ!? エリスにいったい、何の恨みがあるって言うのぉぉ!? これであなた、『最低10年』は刑罰を科せられるのよぉぉ!?」隣の息子は発作症状を悪化させており、まるで爆発寸前の爆弾のように、過呼吸と痙攣を繰り返している。
 「お前らは黙ってろぉぉ! 今、最高にいいところなんだぁぁ!」男が拳銃を家族の方へと向けては、ハイになっているような、狂った笑みを浮かべながら恫喝する(彼の背後には鍵付きの棚が空いていて、男はそこに拳銃を一丁仕舞っていたようだ)。そしてその圧倒的な武力の差に、丸腰の二人はなす術がない。
 そう、これこそがダニエルが恐れていた事態だった。実は彼の父親は過度な『ガン・コレクター』であり、これまで多大な労力と資金を費やしては、多くの銃火器を収集していたのだ(第三章で少し触れたが、スイスではライセンスさえあれば一般人でも銃火器の購入が可能)。そして父親は常日頃から、愛着を持ってそれらをメンテナンスしており、その実射として週末に射撃場や狩猟へと出掛けるのを、何よりの楽しみとしているような人物だった。
 そんな父親が乱心した末に、いずれ銃を人に向けるようになるであろうことは、もはや予測可能な必然の未来だった。いや、厳密に言えばすでに一度、そんな悲劇は起きていたのだ。ダニエルが14歳になろうかとしていた、あの冬の夜に……。

番外編⑧ ダニエルのトラウマ ~存在が否定された夜~

 それはみぞれが降りしきる、典型的な2月の寒い夜のことだった。その日、どうしても欲しい物があったダニエルは、リビングの暖炉前でソファーに腰掛ける父親のところへ行き、こんなお願いをしたのだった。
 「パパ、僕ね……『液晶タブレット』って物が欲しいんだ……買ってくれないかな?」
 すると、ちょうど円卓の上で拳銃を分解して、各パーツの手入れをしていた父親が、息子には見向きもせずこう答える。「液……何だそりゃ?」ちなみに、彼が手入れしている銃は『CZ SHADOW 2』という、実射性能に優れた競技用のモデルであり、フレーム・スライドともに金属製となる、かなり高価な代物だ。
 「パソコンと接続して使う、『絵を描くことに特化したタブレット』で、液晶画面でも手元を確認しながら使える便利な機械なんだ」ダニエルがそう説明すると、父は銃のバレル内を清掃しながら、「で値段は?」とぶっきらぼうに返してくる。
 「に、200フラン(約35000円)なんだけど……」ダニエルがそう言うと、父親が「無理だ」と即答してくる。
 「じゃ、じゃあせめて、液晶が付いてない『板タブ』って物でも……それだったら50フランくらいで――」と彼が譲歩するも、父はさらに早く「母親に言え」と吐き捨ててくる。こうやって『まともに取り合ってもらえない』のはいつものことなので、普段ならダニエルも極力、父に物を強請ったりはしないようにしていたのだが、今回ばかりはそうせざるを得ない事情があった。
 「言ったよ! 言ったけど、ママ……『今はそんなお金ない』って悲しそうに笑うんだ……『パパにお金取られたから』って――」※母親はシャワー中。
 バンッ! 突如机を叩いて、「あの金のことは言うなっ!」と憤慨する父。そう……ちょうどこのときと言うのは、例の『妻のヘソクリ騒動』が起きたばかりの頃で、母親としては特に家計が厳しく、父親もいつも以上に苛立っている時期であった。要するに彼は、最悪のタイミングで相談してしまったのだ。「『取られた』だと!? いつも俺から奪っているのはお前たちの方だろう!」
 ダニエル「ご、ごめんなさい……だけど僕、どうしてもそれが欲しいんだ……お願い、50フランだけでいいから……」
 父「断る! 絵くらい紙で描いてろ!」
 ダニエル「それじゃできないことがあるから『欲しい』って言ってるだよ! パパの分からず屋っ!」
 「何だと貴様ぁ――」とうとう堪忍袋の緒が切れ、カッとなって息子の胸ぐらを掴む父。「誰のおかげで暮らせてると思ってる!? あぁ!? 生意気な口利きやがって……私立に出してやってるだけありがたく思え!」息子の怯えた顔の上に、父の理不尽な言葉が唾液とともに撒き散らされていく。「ただお前は勉強だけやっていればいいんだ! そんでできるだけ上の大学を出て、就職して……俺に恩を返すことだけを考えてればいいんだ!」
 「い、嫌だ……」ダニエルは目に涙を浮かべながらも、断固とした態度で反抗する。「僕の将来を勝手に決めないでよ! 僕は……僕は……『漫画イラストレーター』になりたいんだっ!」
 父「ガキみたいに寝言ばっか言ってんじゃねぇ! ったく現実逃避ばかりしやがって……漫画だと!? お前の『くだらん絵』なんぞで飯が食えるわけないだろ! そんなもんに需要があると、本気で思ってんのか!」
 ダニエル「僕の絵を褒めてくれる人だっているよ! それに、アニメや漫画は僕に夢を与えてくれたんだ! 希望を与えてくれたんだ! だから僕もそんなふうに、自分の作品を通して誰かに夢や希望を届けたいんだ! たとえお金持ちになれなくたって構わない! ただ僕は、そうやって生きたいんだ!」彼の情熱が、涙となって頬を伝う。
 「夢だと!? 希望だと!? 妄想も大概にしやがれっ――」父が息子を突き飛ばし、息子は絨毯の上に倒れ込む。それから父は激昂したように息を荒げながら、卓上に散らばっている銃の部品を集めては、それらを元通り組み立て始めるのだ。「そんなもん現実にはねぇんだよ! ただ死ぬまでクソみたいな仕事とクソみたいな生活が続いていくだけだ!」息子がしゃくり上げながら号泣しているのを余所に、父の説教は止まらない。
 「なぜ分かるかって? 俺もかつて『そう』だったからだ……そりゃ~俺だってガキのころは、お前みたく夢だ希望だのとほざきながら、叶いもしない未来の成功を思い描いていたもんだ――それもそうだろ? 誰が好き好んで『こんな人生』を選ぶか!」一つ、また一つとパーツを組み上げていく彼の手もまた、悲しみに打ちひしがれるよう震えている。「だが実際はどうだ? 今の俺の姿を見て、何か一つでも夢が叶っているように見えるのか!? あぁっ!?」もはやそこで完成しつつあるのは拳銃などではなく、彼が世界に対して抱く憎悪そのものであった。
 「ゼロなんだよ……それなのに身体はどんどん老いていき、隙あらば病魔が心身を蝕んでいきやがる……こんな苦痛だらけの世界で、夢が何の役に立つってんだ――」とうとう彼の手のなかで、拳銃が元のたいを取り戻す。それと同時に、すぐさまスライドをコッキングさせた父は、そのまま銃口を息子の額へと押し当てては、絞り出したような声でこう言い放つのだ。
 「俺やお前のような『負け犬の血が流れてるクズ』はな、生まれた時点で地を這いつくばる運命なんだよ――」
 そして引き金は引かれ、撃鉄の落ちる乾いた音が彼の鼓動を撃ち抜いた。たとえそこに本物の弾丸は込められておらずとも、チェンバーから発射された『悪意』という名の弾丸が、ダニエルの心に取り返しがつかないほど大きな傷を残したのである。以来ダニエルは、パニック障害を有病することになった。

 そして現在。激しい発作に苦しむダニエルの目の前では、あの夜を凌ぐほどの悪夢が繰り広げられている――大好きな人が右脚を撃たれて、床で苦痛に喘いでいるのだ。ぼ、僕は何てクズなんだ……この期に及んでまだ身体が動かないなんて……早くしないと……このままじゃエリスが、死んじゃう――。
 「エッリスちゃ~ん? すまないねぇ……大人げない武器使っちゃってぇ」右手に拳銃を携えた男が、床で息絶え絶えになっている少年の周りを闊歩している。「言い忘れていたが、俺は射撃が趣味なもんでね……銃の腕にはちっとばかし、自信があるわけよ」やがて相手の外周をグルッと回り込んだ彼は、その場でしゃがみ込んで相手の顔を覗き込むのだ。「で、どうよ……俺様の『SIG SAUER P320』から放たれた『9mmパラベラム・ブリット』のお味はよぉ?」
 「だに……える……にげ……て……」少年の口が弱々しく囁く。もう彼には抵抗する術など残されていない。
 「こんったらときにも他人の心配かい! いやはや、まるで天使だな……この、リアル格闘天使めっ!」そう言うと男は、少年の死に目に会おうとするように、その額に掛かった髪を銃身でどけるのだ。「ったく、光から生まれた『光の化身』みたいな顔しやがって……だがテメェみたいな『類稀なる奇跡』の存在が、この腐った世界を無慈悲に、盲目的に、残酷に! 肯定させちまうんだよ……」
 おもむろに立ち上がった男が、左手で口元の血を拭ってそれを振り払ってから、全身全霊を懸けた、魂の叫びを上げる。
 「もううんざりなんだよっ! 命の価値は皆平等だとか、努力すれば夢は叶うだとか、人は生まれながらにして自由だとか、全てのことに意味があるだとか、生きるって素晴らしいだとかぁぁぁぁぁぁぁ! ゴミみたいな虚言に満ちた、綺麗事だらけの醜い世界にはよぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
 男が冷酷無比な表情で、拳銃を床にいる少年の頭部へと突きつける。
 「命はなぁ、『こいつ(銃)』の前でだけ初めて平等になるんだぁぁ! 分かっか、エッリスちゃ~んっ! あんたにゃ恨みはねぇがなぁ……ここは一つ、天使代表として天界に帰ってくれやぁぁぁぁぁ!」そして引き金が引かれていき、時間の流れが遅くなる。「さ……ら……ば――」奇跡を、殺すっ――。

 「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」間一髪のところでダニエルが父親にタックルし、弾が横に逸れて床のセラミック・タイルに突き刺さる。そのまま父を押し倒した彼は、父の右手を床に叩きつけて武装解除させた後、がむしゃらに父の身体をパンチしていく。「パパなんか嫌いだっ! 嫌いだっ! 大っ嫌いだぁぁぁぁぁ!」これには父親も――さすがに鼻を殴られるわけにはいかないと――ひたすらに顔面をガードしながら、腹部の攻撃にさらされ続けるしかない。
 「自分が――ドスッ――パパの――ボスッ――息子だなんて――ドンッ――思うと――ドカッ――虫唾が走るよぉぉぉぉぉ」ズドンッ! 一発いっぱつセリフでリズムを刻みながら、積年の恨みを重い拳に託して放つダニエル。人を殴るのなんて初めてだった彼なので、当然それらは技術的には拙いパンチではあったのだが、彼の鍛えられた両腕から繰り出されるフックやアッパーは、大の大人を悶絶させるには充分な威力を備えていた。
 「けどエリスはぁぁ、こんな僕を『素敵』って言ってくれたぁぁぁぁ! 『好き』って言ってくれたんだぁぁぁぁぁぁぁ!」彼の涙が汗とともに飛び散って、パンチとともに父のボディへ降り注ぐ。ホントはこんなことしたいわけじゃない……でも今やらないと一生後悔しそうだから……僕はパパを、倒す――。「だから僕は負け犬じゃないっ! クズじゃないっ! パパとは違うんだぁぁぁぁぁぁぁぁ!」筋肉、パゥワァァァァァァァァァ!!
 「えぇい、どけぇぇぇぇぇ!」父の右裏拳カウンターがダニエルの頬を強打する。堪らずKOされるダニエルを余所に、さっそく銃を拾って立ち上がろうとする父だったが、何やら胸の奥から違和感がり上がってきては、途中で咳き込んで左手のなかに鮮血を零すのだ。どうやら肋骨が一部折れていて、そのせいで肺表面が浅く傷つけられてしまったらしい――呼吸の度に訪れる胸痛……がしかし彼は、なぜか愉快そうに笑うのだった。「オー、やるじゃねぇか……ダニー・ボーイ?」
 父は床で伸びている息子と、隣で瀕死になっている少年、そして奥でナイフを握りしめて震えている妻とを順番に目に留めてから、倦怠したように溜息を吐く。「ったく興が削がれちまったぜ……ま、お前らのそのファイティング・スピリットに免じて、今回のところは見逃しといてやんよ……それにどの道この銃にゃ、もう弾は『二発』しか入ってないしな……」そう言うと彼は、三人をキッチンに残したまま、おもむろに廊下の方へと足を引きずっていく。
 あぁそうさ……俺が本当に殺したいのは、この世でただ一人だからな――。
 浅く呼吸を繰り返しながら、満身創痍で廊下の先へとやってきた彼は、そのまま左手で横の手摺てすりを掴んでは――どこを目指してか――のろのろと階段を上っていく。

 この世は嘘ばかりだ……。詐欺師ばかりだ……。偽善者ばかりだ……。
 『この手法で私は、年収○○を達成しました! 秘密を知りたい人は、今すぐ私のセミナーをチェック!』
 嘘だ……。
 『子供にはただ優しく、元気で、素直な子に育ってほしいです! それ以外は何も求めていません!』
 嘘だっ……。
 『私に投票すれば、必ずや! この国を豊かにしてみせます! 偉大にしてみせます! さぁ私に清き一票を!』
 嘘だぁっ!
 『ありのままでいよう! それが最良の選択です! 私たちは皆、神に創られた完璧な存在なのだから!』
 嘘だぁぁっ!
 『神はおっしゃっています! 布施をする者には幸運が訪れると! 善行は来世での祝福に繋がると!』
 『さぁおいで……ここで服を脱ぎなさい……なぁに恥ずかしがることはない……これは神様のため、神様の意向なのだから……』
 嘘だぁぁぁぁっ!!
 『お金が全てではありません! だって美しさも、時間も、健康も愛も、どれもお金では買えないでしょう!?』
 『世界はより良くなっている! 戦争も病気も不平等も不運も、いつかきっとなくなるでしょう! 人間の叡智と科学の前では、不可能などないのです!』
 

 どいつもこいつも、嘘をつくなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!


 ようやく最上段に上がった彼は、そのまま二階の廊下を咳しながら進んでいき、やがて辿り着いた最奥の部屋のドアを開けては、そのハンドルに紅の掌紋を残して向こう側へと消えていく。ドアが閉じられる間際、一瞬だけ『La chambre de Daniel(ダニエルの部屋)』と書かれた真鍮製のネームプレートが光る。
 「どれどれぇぇっ?」息子の部屋を見回しながら、奥の学習デスクの方へと進んでいく父。そしてついに彼は、目的地となる『夕陽に照らされた壁の前』にて足を止めるのだ。「ほぅ……これがそうか……」そこに掛けられているのは、数々の絵――これまで一度もちゃんと見たことがなかった、息子の作品たち――だった……。父は一枚一枚をじっくり眺めていきながら、時折「くだらねぇ、妄想の産物だな……」とか「どれもこれも似たり寄ったりだしよぉ……」などと呟いていく。
 ったく、こんなもんで金が稼げると思ってんのかねぇ……いやそもそも、人生懸けてやるほどのもんなのかぁ……? クソ……淡い期待もろとも、全部破り捨ててやりたいぜ……けどまぁ――。最後の一枚を鑑賞し終えた彼は、穏やかに微笑みながらこう呟くのだった。

 「結構、上手いじゃねぇか……」

 それと重なるように、南西の窓から複数の青い回転灯の光と、うるさいサイレンの音が近づいてくる。どうやらパトカーと救急車が到着したようだ。さてと、おいでなすったな……そんじゃ俺は、最後の『仕上げ』と参りますか――。静かに部屋を後にし、フラつきながら一階へと戻った彼は、そのまま玄関戸を開けて外に出ては、今しがた到着した客人たちを迎えにいくのだった。「事件ですかぁ!?」
 「銃を捨てろっ!」白地に蛍光オレンジのストライプ塗装がされた『Škoda Octavia iV(スコダ・オクタヴィアのプラグイン・ハイブリッド車)』から降りた四人の警察官が、早々に彼に向かって拳銃を突きつけては、お決まりの命令文を声高に叫ぶ。「聞こえないのかっ!? 早くしろっ!」
 「おっ……あんたらもP320かい? お揃いだねぇ?」構わず警察の方へと近づいていく彼に対し、警察の声色がさらに荒くなる。「そこで止まれっ! これ以上近づくと撃つぞっ! さぁ今すぐ武器を地面に置いて、両手を頭の上に!」
 「嫌だね……」んなこと、するわけねぇだろぉ? こいつが俺の『最後の希望』なのによぉ――。そして敷地内の半ばで立ち止まった彼は、ゆっくりと銃口を自分の側頭部に付けては、深く息を吸いながら天を仰ぐのだった。その瞬間から、全ての音が遠のいていく。警察官が命令してくる声も、救急救命士が固唾を呑む音も、近隣住民がスマホでビデオ録画を始める音も、付近を飛び回る小鳥たちのさえずりも、背後から駆けつけてくる家族の声も……。
 「パパァ!」「あなたやめてぇぇっ!」

 途端に蘇ってくる過去の記憶、自分が生きてきた物語……。
 父「何だお前? 小説家になりたいのか? ははっ、やめとけやめとけ。あんな稚拙な文章と、無茶苦茶な話しか書けないで……誰もお前の小説なんか読むわけないだろ? 潔く諦めて、私みたく手に職をつけた堅実なビジネスマンになったらどうだ? その方がよっぽど……何だと? 家具職人にはなりたくないだと? ふんっ、勝手にしろっ!」
 父「え何、俳優にも? 映画監督にもなりたいって? なるほどなぁ……それで自分が脚本を務めた映画を撮って、主演まで務めたいと? ははっ……どこまで夢想家なんだか……。そう言えばお前、前に書いてたのは『劣化版007』みたいなやつだったよな? お前は本気で思っているのか? 『チビで不細工な自分が、いつかジェームズ・ボンドみたいになれる』と――」
 出版社の男「作品拝見させていただきました。ですが率直な感想としては、『リアルすぎて娯楽性に乏しい』ですね……。もうちょっとポップで分かりやすい作品でないと、商業小説としては厳しいかと……はい……と言うわけで申し訳ありませんが、ウチでは取り扱いできかねますね……はい……今回はご縁がなかったと言うことで……。まぁ自主出版オンライン販売という選択肢もありますので、どうぞ気を落さず、これからも精力的に活動を続けていってください。弊社としても微力ながら、あなた様のご健闘お祈りしております」

 ファン「初めましてっ。私、あなたの小説のファンですっ。あの……もしよろしければ今度、ご一緒にお茶でもいかがでしょうか?」
 恋人「ふふっ……私たちも付き合い始めて、もうすぐ一年ですね……? どう、あなた? そろそろ結婚を考えたりなんか……」
 妻「あなた……記念すべき第一子の誕生よ! 男の子だけど、名前はどうしましょう……いい加減決めてあげないと、この子が可哀そうよね……? え? 『ダニエル』がいいですって……? もうあなたったら……本当に『ダニエル・クレイグ』が好きなのね?」
 母「あんたぁ……父さんが死んじまったよぉ……遺産は相続できるけんど、生命保険も入ってながったから大した額には……それどっかあん人、知らん間に投資詐欺に遭ってたみてぇで、いくつか借金までこさえてたみてぇだ……あんた払えっかい? 全部で8万フラン――」
 妻「小説、もう書かないんですか……? 何も自主出版できなくなったからって、そんなにきっぱり辞めなくたって……趣味で書いていればいいじゃないですかっ……私も応援しますから! それに何なら私も、ダニエルが小学校に上がたらまた、働きに出ますよ?」

 ガンショップの店員「いらっしゃいませ、お客様。銃の購入は初めてですか? でしたらまず、ライセンスのご提示を……はい、確認させていただきました。本日はお目当てのモデルなどは……さようですか。でしたらこちらの『SIG SAUER P320』などいかがでしょうか? 性能・安全性・コスパともに定評のある機種で、現在、世界各国の多くの法執行機関で採用されております――聞くところによると我が国の警察でも、一部のカントン(州)で採用しているとか……はっ、さようでございますか! ありがとうございます! それではこちらでご契約を――」
 妻「以前勤めていた施設で、介護職員が足りていないみたいなの……それで主任から『戻らないか』って誘われてるんですけど……え? 『無理して働かなくていいから、これからも家のことと子供の世話を頼む』、ですか? まぁ、あなたがそう言うんでしたら……」
 医者「完全に飲みすぎですね。これからはアルコールは控えてください。さもなくば若くして、肝臓を患うことになりますよ?」
 妻「痛いっ……痛いですわ、あなた! もう……謝るくらいなら最初っからこんなことしないでください……特に子供が見てる前でなんて、絶対に……ねぇあなた、これからお酒は減らしましょう?」
 射撃場の常連客「おぉ、いい腕してんね~あんさん! よかったら今度、射撃大会に出てみないかい? 優勝すれば賞金も出るぞぉ?」
 射撃大会のスタッフ「いやぁ惜しかったですね~! 初出場で4位は大健闘ですよ~! ですが私には今回の試合、勝敗を分けたのは銃の性能差だったように思えます……というわけでどうでしょう? こちらの『CZ SHADOW 2』などは――」
 妻「やめてください、あなたぁ! あの人とは何でもないんですよぉ……黙ってカフェで働いていたことは謝ります、明日辞めてきますから……うっぅっ……だからどうか、彼には手を出さないであげてください……」
 医者「先ほどの検査の結果、肝臓に腫瘍が見つかりました……誠に残念ですが、ガンです……。幸い今はまだステージ2なので、完治の望みは充分にあります……すぐに治療を開始しましょう……いいですか? これからは絶対禁酒ですよ!」

 あばよ、クソったれの世界! 天国だろうが地獄だろうが何だろうが、もう俺はアフターライフなんざいらねぇからよぉ! とにかくもう二度と、どこにも、いつにも、誰にも! 生まれさせないでくれ……願わくば俺に、永遠の眠りをぉぉぉっ!
 彼が引き金を引こうとしたそのとき――背後から血だらけの右足を浮かせた少年が、死に物狂いで片足で駆けてくるのだ。
 させないっ! このまま、逝かせないぃっ! あなただって大切な、一つの命だっ――。
 「エリスッ! ダメだぁぁぁっ!」
 たとえこの脚が壊れてもぉぉぉぉっ、僕はあなたを救うぅぁぁぁぁっ――。
 左足で大きく跳び上がった少年は、そのまま空中で男の持つ拳銃めがけて、正真正銘最後となる大技を繰り出すのだった。
 

 <跳び、三日月蹴りぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!!>


 「バシィンッ!」男の手から弾き飛ばされると同時に、発射作動する拳銃。「バァンッ!」弾は男の頭を逸れ、銃はスライドがブロウバックしたことにより、空中で後ろ向きに回転し始める。そこに蹴りの慣性が合わさって、まるで三次元ルーレットのように複雑な回転運動をしながら落下していく拳銃。
 「危ないっ! 全員伏せろっ!」警察官の一人が叫ぶ。なぜなら『SIG SAUER P320』はたびたび暴発事故を起こして、死傷者を出すことで有名だったからだ。特に初期型はトリガー重量と内部構造に欠陥があり、背面が地面に対し33°の角度で落下した場合に、約40%の確率で暴発するとのテスト結果が報告されていた(ちなみにP320 X5という競技用モデルでは、既存品より6%軽いフラット・トリガーが使われていたため、その場合は暴発確率10%未満となる)。
 もちろん、同機は速やかにアップグレードがなされ、トリガーを軽量化したりディスコネクター(スライドが後退したときに、トリガーとシアーの連結を解く装置)を導入するなどして、現在ではトリガー機構の誤作動による暴発確率は、極めて低く抑えられている。
 とは言え『ストライカー機構の誤作動による暴発』も報告されており、ストライカー(バネの力で薬莢の雷管を叩くための部品)をロックしている部品が摩耗劣化するなどして、『トリガーに触れることなく勝手に発射される』という危険性を依然として孕んでいた。
 よってこのとき、その警官の『伏せろ!』という命令に従った者たちは、賢明だったと言える……なぜならその行動一つで、この『死のルーレット』への当選確率を大幅に減らすことができるからだ……さりとて確率は所詮確率……次の瞬間に何が起こるかなど、誰にも分かるはずがない……ただ銃が無情に地面へと叩きつけられ、ルーレットの針が止まるだけだ――。

 「バァァァァァァァンッ!!」

 そしてP320は火を吹いた。

次回『力なき正義は、無能……』。お楽しみに。

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