就職氷河期の不条理・ロスジェネ世代の覚悟・想定外のなし崩しを描いてきた濱口竜介監督の次回作に期待を寄せて -宮野真生子・磯野真穂 『急に具合が悪くなる』と偶然性と必然性と①
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今日から第4弾「宮野真生子・磯野真穂 『急に具合が悪くなる』と偶然性と必然性と」をお送りします。と言っても、無料部分もけっこうあるので、みなさん、途中までお楽しみください。
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さて、早速、本題に入っていきましょう。
今年の5月、濱口竜介監督の最新作として、『急に具合が悪くなる』が来年公開予定と公式発表されました。
濱口監督といえば、『ドライブ・マイ・カー』でアカデミー賞国際長編映画賞とカンヌ国際映画祭脚本賞、『悪は存在しない』でベネチア国際映画祭銀獅子賞を受賞するなど、現代日本を代表する映画監督として国内外で高く評価されています。
ゆえに、新作の情報も広く話題を呼びました。特に、この映画は『急に具合が悪くなる』という同名タイトルの本が原作なのですが、これは小説でもなく、ノンフィクションでもなく、多発性がんで余命いくばくもない哲学者と人類学者の間で交わされた手紙10往復の記録というから驚きです。いわゆる往復書簡というやつで、その映画化は前代未聞でしょう。
ただ、この本を実際に読んでみると、なるほど、濱口作品の傾向と重なる部分の多い本なので、すごい映画になるんじゃないかという期待が高まります。そこで今月は『急に具合が悪くなる』の魅力に迫りつつ、この中で言及されている偶然性を深掘り、かつ、これと逆の概念である必然性についても考えていく予定です。
今回はまず、「濱口作品の傾向」について考察していきます。

1978年生まれの濱口監督。自身は建設官僚の父親を持ち、東大卒から東京藝大の大学院で映画作り学ぶなど、いわゆるハイソな環境で育ちつつも、ポスト団塊ジュニア世代(1975-84年生まれ)にあたり、好むと好まざるとにかかわらず就職氷河期世代として映画を作ってきました。
世間的に濱口監督の映画に注目が高まったのは2012年にENBUゼミナールの卒業制作として公開された『親密さ』。255分という長尺のほとんどが演劇の稽古と本番を記録したようなドキュメンタリー風映画なのですが、途中、北朝鮮が韓国の都市をミサイル攻撃し、戦争が始まるという展開が差し込まれ、演劇に出演していた韓国人が出兵のため役を降りるなど、想定外に物語が壊れていきます。
この「想定外に物語が壊れていく」こそ、濱口竜介映画の特徴でバブル崩壊によって、普通の未来を脈略もなく奪われてしまった氷河期世代の境遇と重なっていきます。また、想定外とは東日本大震災が発生し、福島第一発電所で原発事故が明らかになったとき、東京電力や政府の人たちが会見で連発した「想定外」という言葉とも呼応しますね。
ところで、カンヌ映画祭とアカデミー賞を受賞した『ドライブ・マイ・カー』(2021)のあらすじは以下の通りなのですが、キーワードとなる「正しく傷つく」という要素は見逃せません。
『ドライブ・マイ・カー』あらすじ
妻の浮気現場を目撃してしまった劇作家が、そのことを問いただせないでいるうちに、突然、妻がくも膜下出血で亡くなり、傷ついていないフリを続けるしかなくなってしまう物語。
彼は広島の演劇祭に呼ばれ、万が一、事故を起こしたら炎上するからと、主催者に寡黙な女性運転手をあてがわれ、最初は嫌がっていたけれど、日々の積み重ねで愛車を他人に任すことに慣れていくうち、心のうちもポツリポツリと女性運転手に明かせるようになっていく。
やがて、彼女と互いのトラウマを共有していく中で、「正しく傷つくこと」の重要性に気がついていく。
氷河期世代視点で「正しく傷つく」を解釈すると、バブル崩壊後、本来はバブルを謳歌した世代でちゃんと清算すべきだったのに、それを誤魔化し、バブルの恩恵を受けていない新入社員採用を減らす対応をとり、いわゆる失われ30年や少子化を招いたことの反省に聞こえてきます。そして、それを引き受ける主人公の選択は次世代に遺恨を残さない決意に見えてきます。
他にも、昨年公開された『悪は存在しない』(2024)では、東京の芸能事務所がコロナ禍の助成金で生き残るため、長野の静かな町に必要のないグランピング場を建設するというやたらリアルな物語を描いていました。本人たちは自分たちの生活を維持するため、仕方なく働いているだけだけど、客観的には自然を破壊し、地元住民たちを不安にさせ、全員にとって最悪な結末に向かわざるを得ない不条理はあまりにもむごかったです。
そんなわけで、濱口作品は就職氷河期の不条理・ロスジェネ世代の覚悟・想定外のなし崩しに特徴があり、時代の声を代弁してきたところに魅力があるとわたしは思っています。
こういう代弁傾向はアジア出身の監督には多く見られ、それによって世界的な評価を得ているケースが増えてきています。有名なのは韓国で活躍してきたポン・ジュノと中国出身のクロエ・ジャオです。

2020年に『パラサイト 半地下の家族』でアカデミー賞作品賞を受賞したポン・ジュノは韓国で1969年に生まれました。386世代(90年代に30代で、80年代の民主化運動に関わった60年代生まれ)に当たります。
そのため、1997年から始まるアジア通貨危機(IMF危機)で緊縮政策指導を受けた結果、非正規労働が増え、格差は拡大し、自殺が増加するなど未だに続く韓国経済および政治の不安定に影響された世代として映画を作ってきました。『パラサイト 半地下の家族』はそんな世代の苦しみと強かさが前面にでた作品で、誰もが誰かに寄生し、寄生されている現実と真正面から向き合いました。

2021年に『ノマドランド』でアカデミー賞作品賞受賞したクロエ・ジャオは中国で1982年に生まれました。
15歳でロンドンの寄宿学校に進学し、ロサンゼルスの高校に移って卒業。マサチューセッツ州の大学で政治を学び、不動産のプロモーターやバーテンダーとして働いた後、ニューヨーク大学で映画製作を学んだそうです。その後、2017年のノンフィクション『ノマド: 漂流する高齢労働者たち』を原作に映画『ノマドランド』を監督します。
この本は2008年のリーマンショックをきっかけに、アメリカのリタイア世代が投資や融資の担保だったり、生活費のため家を失い、自家用車で寝泊まりしながら各地のAmazon倉庫などで働く様子を記録したものです。表向きはそんな放浪生活に人間らしさを見出していくアメリカ人の話なのですが、登場する人物がみな白人で、白人なら老いても貧しくても生きる術があり、放浪しても逮捕されないし、差別されないという人種の歪みが浮かび上がっていました。アジア人として西洋社会で生きてきたクロエ・ジャオのメッセージが暗に込められているようでした。
このようにアジア出身の監督は自分たちの世代が背負ってきた不条理を描き、負の連鎖を断ち切ることにフォーカスを当ててきました。そういう意味で彼ら彼女らの新作が上映されるたび、わたしたちは同時代を生きる者として、その切り口に切実なものを受け取るわけです。
だから、濱口監督が次回作の原作に余命いくばくもない哲学者と人類学者の間で交わされた手紙10往復の記録『急に具合が悪くなる』を選んだことにわたしは興味津々なのです。
先に挙げた映画.comの記事に濱口監督のコメントが掲載されていました。
今はパリで撮影の準備をしております。約4年前にオフィス・シロウズの松田広子プロデューサーからこの本を映画原作として提案されてから、ずいぶん長い時間を経ました。お二人の往復書簡から成るこの本を初めて読んだときの感覚は「心を強く動かされた」という言葉では足りません。往復書簡という形式、しかも二人の学者の全キャリアと魂を賭けたような議論に対していったいどう取り組んだらよいかは、まったく見当はつきませんでしたが「映画にしたい」という火が心に灯ったような感覚がありました。その灯火に導かれて、随分と遠くまで来てしまったように思います。
次回はそんな『急に具合が悪くなる』がどんな本なのか、その魅力に迫っていきます。
ここからは有料部分で、バブル崩壊と就職氷河期をめぐる考察をまとめていきます。もしよかったらメンバーシップにもご加入ください!
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