100名城RTA(068-069/100): 丸岡城・一乗谷城
この記事は「100名城RTA」シリーズの構成記事です。いきなりこちらの記事にたどり着かれた方は、Indexページも適宜ご参照ください。前回はこちら。
'25/10/11: 丸岡城(No. 36) - 068/100
10/4, 5は両日ともに地元で予定があったので珍しくお城に触れない週末だった。それを取り返す、というわけでもないが、この3連休はしっかりやっていく。
今回の2城は福井駅を拠点として回ることになる。
福井駅への最速到達手段は「かがやき」の一番列車に乗る方法で、9時15分頃到着、ただし新横浜出発が5時頃。次点は、最速行動で米原に出て、北陸本線普通列車で敦賀、そこから「つるぎ」に乗りかえて9時30分頃到着と、最速と15分しか変わらない上に新横浜出発が6時18分。ちなみに最速で京都に出てサンダーバードでも同じ結果になるけど、湖西線でなにかあって遅れた場合に、その後の旅程が壊れるので不採用とした。
さて、この二択だとどう考えても後者。というわけで、米原到着。指定席じゃないことに若干警戒したけど、なんの問題もなく余裕で座れた。

敦賀で「つるぎ」に乗り換える。西日本の駅で東の車両(W7系だったかもしれないがそういう話じゃない)が待っていることにちょっと不思議な感じがした。


毎度のようにレンタカーを借りて丸岡城へ。3連休ということでお祭りイベントの開催日だったようだけど、開場前の滑り込みに成功。危うく駐車場難民を食らうところだった。

丸岡城には8年ほど前に来たことがある。確か現存天守のラスト1的な感じで来たんだと思う。その頃にはなかった新しい資料館・観光案内施設ができていて、時の移ろいを感じるなど。

丸岡城は本丸エリアの小山と天守が残るのみ。


広場にある管理事務所でチケット買ったら目の前は天守。




早速中を観覧。





天守から出て本丸敷地内を見て回る。




資料館から内堀を模した池越しに天守を一枚。

そしてスタンプ撮影の儀。

聞くところによれば、今年限りで見学は一時終了とし、久々の修繕工事が始まるとのこと。広島城天守も合わせて微妙にこういうタイミングが重なるもんだ。
お祭り開場でなにか食べるのも手だったけど、ここにきてステーキ串や富士宮焼きそばを食べても・・・ということで、一乗谷入口の道の駅にて昼をいただく。舞茸天ぷらそばと、クソデカ厚焼。

・・・前来たときにも、ここでこれを食べたのを思い出した。厚焼はハーフ版だったかもしれないが。
'25/10/11: 一乗谷城(No. 37) - 069/100
丸岡から30分程度で一乗谷に到着。上で書いた食事を入れても1時間はかかっていない。
さて、この一乗谷は「城」というよりは「街」。朝倉氏が信長に滅ぼされて灰燼に帰した後は、農地とかにはなったにせよ長らく打ち捨てられていた結果として、街そのものがしっかりそのまま埋まって残っており、今も発掘のたびに新しいことが判明するという。

最後に行った博物館内の図だけど、ここで出しておく
まずは比較的奥、朝倉氏居城があるエリアを回る。



武具の鍛冶師がいたらしい

米津地区奥の諏訪館後へ向かう。



奥に石の庭園跡


さらに山手に進むと朝倉孝景(初代当主)のお墓である英林塚がある。


山手側には切通しで地区間を移動できる道が整備されている。

この切通しを抜けると南陽寺跡に出る。



切通しの真ん中くらいからハイライトといえる当主の館地区の裏手に降りられる。


裏手の中腹にも庭園跡。湯殿跡と呼ばれるが、本当に風呂場的なところだったかはわからないとのこと。

湯殿跡を後にしてもう少し下ると当主館を見下ろせる。前に来たときは礎石が並んでいるだけで、おそらく床面を再現したアクリルの遊歩道はなかった気がする。ここも今日は祭りで、演奏の準備をしている様子だった。


以下の2枚の写真はちょっと覚えておいてほしい。


このエリアには朝倉義景公の墓所がある。滅ぼされた後に供養のために建てられたもの。



復元されているのは南側だけ




以上3つの地区の道路(及び一乗谷川)を挟んだ向かい側は街並み復元地区がある。







入場受付のところでいただいたスタンプを休憩所で撮影の儀。

なお、実は山城エリアもあるのだけど、流石にちょっとこれは許し亭許して。

このエリアを後にする前に、あと一箇所、一乗谷の東の終端である上城戸跡を見ておく。



一応メインの見どころさんは見終えたので、後は自由行動。せっかくだから、奥の一乗滝を見ておく。

知らんかった





続けて博物館に寄る道中で、もう片方の町外れ側を見ておく。ここも町割りと礎石が復元されている。






寺の名前と思しき地名がこのあたりに残っているが、
本当にそうだったかはわからないとのこと
もう一方の終端である下城戸跡に向かう。





最後は一乗谷エリア入口にある博物館を観覧する。ここもきれいに新館ができていて、前来たときの建屋は分館になっていた。前は普通の歴史資料館だったけど、大掛かりな新しい展示があったのでハイライト的にそれを。
まずは発掘された石畳の道の現地現物展示。この近くの寺への参道説と、川からの荷揚げ場説があるらしい。

続けて先程の当主館の一部原寸大復元。



そしてさっき現地で見てきたところと構図を揃えて撮ってみる。




なかなかすごくないですか。この記事を書くに当たって改めて並べてみるとちょっと感動した。
遺跡自体が発掘の進展で「進化」したのに加え、博物館も強くなっていて、そこにお陰様で見る目も養われた状態できたものだから、なかなか満足感高い回だった。
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多分来週。冬休みでストックができるといいのだけど(振り)。→冬休みのストックで1/17公開しました!
