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探求することが私にとっては大事そう 価値観レベルで大事

人への好奇心が高い方。

これをもっと近づいて観察すると?

秋口の陽だまりになりたいライフコーチのなほです。

剥がれては還り、芽吹いていく旅の途中。
きらきらしたら、ぷかぷかに還るリズムを大切に。
窮屈さを感じたら、より自由を感じる方へ踏み出して。

基本、好奇心はある人間。
だから、学び、吸収、成長が近いところにあって、好奇心のわくことにふれていくのが楽しい。

単純に学びを得る、知るというよりも、「探求できること」がどうやら大事なのでは?
と思い当たったので書き残しておく。

好奇心にふれることは、やってみる、考える、学ぶ、吸収が簡単にできる。

探求できる、そのプロセスそのものを私は楽しんでいて、それは価値観レベルで大事なこと。
あらゆる手段で、私は探求しようとしている。
「探求」は全身に血をめぐらせるためのポンプで心臓。


まずやってみる

やらないと分かんないよね。

という精神で、未知のことでもやってみるをすることがあります。

なかなか1人でやるには勇気が必要だったりするけれど、好奇心が向かうことにはものすごい瞬発力で行動に移す笑

慎重な私もいるので、調べることはするしリスクを考えて検討もするけど、何とかなるでしょ、という感じの楽観的な私もいる。

好奇心を満たすことが私が生きる意味。

本を読むのが好きだから、いわゆる知識としての探求も私は好きだけど、自分でやってみる体験してみるが大事そう。

自分で考える

自立が大事、頼るの苦手な面があるので、それがプラスに働いた結果、まず自分で考えるを基本的にするようになった。

教育のおかげでもある。
自分で考える、調べるをした上での質問する。

考えることが好きなので、考えることが苦にならないのも関係している。

考える時間がないのは私にとってしんどいこと。

考えるは探求している時間。

考えることは書くことと同じで、考える時間は私の世界に閉じる美しくて静かな世界。
とっても神聖な時間なんだよね、感覚として。何者にも侵されない私だけの世界。

外へ冒険しに行ったら、自分の内側に還っていく。
考えるとは自己対話。

考えるのイメージが、シャボン玉の中に入って夢遊病のようにふらふらすることなんだけど、これ考えるではあるけど、このイメージの派生が探求だ。

好奇心にふれるものはシャボン玉から腕だけ出して掴んで取り入れている感じだったから、夢遊病じゃなくて、対象を定めて目が覚めた状態でこれをやるのが、探求。

より方向があったり意思がこもっている。

頭の私を手放さなきゃもチラついていて、けどこれを私から奪うことは閉じてる美しい世界がなくなっちゃうからそういうことではない。

だから手放すではなくて、感じるだよって言い換えている。
やめなきゃではなくて、感覚の方に意識を持っていく。
2択じゃなくて、バランスの話。

体の感覚とも言える。
さんぽで感じるをもっとする。

学ぶの先にあるもの

純粋に知らないことを知ることが楽しい。

それらがつながることも楽しい。
今までの学びとつながることもある。

学びがある時、そこからさらに考えることがおそらく楽しくて、つながりあるなの派生だったり、私の中で深まることが楽しい。 
 
学びを書くことで私は再体験しながら再構築していて、吸収している。

永遠に学んでいたい。

人への好奇心の先は?

純粋に知りたいがある。
知った先にその魅力を伝えたい。
私の目から見えるものが形になるのが嬉しい。
知るというより感じるかも。

ここは割と考えたことがある。

「あなたはどうやって作られたの?」

という好奇心が私にはあって、大好きだと思うと、その人の世界を解き明かしたいと思う。どんな物語が流れていて、どんな構造なの?って知りたくなる。

ただ知るだけじゃなくて、それを感じて言葉に翻訳する。
言葉にしたら、世界に存在させられるから。

人の魅力を探求して、言葉に翻訳するのは無敵の趣味で遊び。
だから、人への好奇心の先は、言葉にして世界に存在させること。

誰かに届いたら、その領域は奇跡だと思っている。

探求にもいろんな面がある

実際に自分で体験していくことで、探求する。
頭の中で思考したり、外からの学びを得て探求する。

1人で探求もあるし、誰かと一緒に探求もある。

そして、自己探求が好きの延長線上に人を探求することがある。
自分への興味と同じかそれ以上に私は、好きだと感じる人を、相手を探求することが楽しいのだと思う。

相手を探求することは、私を探求することにもかえってくる面があるからだ。

「探求」も私を支える土台の価値観

「自由」について振り返ったのでそこと関連させると、自由はインフラ、空気のように存在するものだった。

探求したいの衝動は、価値観という枠の中でみると、原動力の役割だった。

今思い出したのは、「世界を解き明かしましょう」って言葉をかけてもらったことがあるのだけど、めちゃくちゃきらきらしちゃったんだよね!

楽しそう、って感じた。
これは、多分「探求」そのものだから。人を探求するも、世界を探求するも、自分を探求するも、私にとっては「楽しい」こと。

もともと価値観に「探求」は入っていない。
好奇心と近いから、一緒にしてもいいのだけど、自由と同列に土台としてありそうだから、入れちゃう。

探求することで、好奇心が満たされるし、エネルギーがめぐる。
互いにめぐらせている、なくてはならないもの。

感じて、考えて、そこから新たな問いが生まれるという探求しているプロセスそのものが私にとって大事なことで、その先に何かを得たいというよりも状態そのものが私を生かしている。

「探求」は心臓で、「自由」が酸素。
「好奇心」という血が流れていて、「正直さ」は神経で、「健やか」であれと思うのは、筋肉や骨格。

「歩く(健やか)」という価値観を置いているので、まさに歩くためには筋肉と骨格がいるんだよね。

解剖で説明すると、そんな関係だと思います。
人体で説明するの、ちょっと面白そうだからやってみた。

そもそも、こんなに頻繁に価値観は更新しないし、変更もしないもの。
だけど、私が変わっていて、より深く自分のことを理解?感じる?をし始めたから、変わるというか、気づけていなかったことが見えるになった。

【参考】

私の価値観のかたち(2025年8月)
今の私の中では、価値観はこういうふうに働いています。
好奇心は私の生きる目的そのもの。
土台(支える)
 歩く(健やかさ)、自由(空気のように流れる)
中間(私が私であるために)
 正直さ・誠実
最上位(方向性)
 好奇心(私を導くコンパス)
楽しい:上記すべてに降り注ぐ光。価値観を満たすことによってわく感情。

人体で説明する、私の価値観(2025年10月)

人体にするのは、私が看護にふれていて、なじみがあるから。
そして、「自由」はインフラ、環境で空気のようにある。それは酸素だ、と思った所から着想を得ています。

「自由」についても、少し深く考える必要を感じている今ここ。

「自由」は環境で酸素でもあるけれど、私の中に血液のようにめぐっている。
というか、酸素だから、赤血球が運んでいるしやっぱめぐっているか。

外にもある、環境として必要だと思う側面と、私の中にあると思う内側の側面と両方の自由を感じるけど、まだぼんやりしてる所がある。

土台(支える)
「自由」という酸素を私は呼吸によって取り込む。なくなると息ができなくなるので、環境としてそれは常に必要なものです。

「探求」という心臓。このポンプが働いて、体中に自由を運びます。ポンプが働くことによって全身に酸素と栄養が行き渡り、生きることができます。
「探求」は、エネルギーの源です。

「歩く(健やか)」は、自分の足で歩くにはそれを支える筋肉と骨格が必要です。

中間(私が私であるために)
 「正直さ・誠実」は脳神経系です。自分に正直であること、相手に誠実にあること、この価値観を通して私は全身に動きを伝えたり、言葉にしたり、五感でキャッチしたことを受けとります。

最上位(方向性)
「好奇心(私を導くコンパス)」は、血液そのものの流れです。
私の中をめぐるもので、心臓から送り出されています。「探求」と「好奇心」は互いに協働しているものです。

楽しい:まなざしに現れる。価値観を満たすことによってわく感情。私のふれる世界にあるもの。

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💡良ければこちらのnoteもどうぞ

▼夏にバランスを考え直している時の価値観2025年8月

▼2025年6月の価値観


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