価値観の再編成─「楽しい」がすべてだった私へ
春の日差しになりたいライフコーチのなほです。
楽しいは、自然に訪れるもので気づくもの。
自分で自分に水やりする。
あなたの価値観は何ですか?
こう聞かれて答えられますか?
答えられる人は少ないのではないかと思っています。
生きていく上で大事にしていることは?
これなら答えられるのではないでしょうか。
嘘をつかないこと、感謝の心を忘れないこと、家族を大事にすること、自分がされてイヤなことは人にしないこと、笑顔で過ごすこと…。
いくつか大事にしていることがあるのではないでしょうか。
私はずっと「楽しい」を大切にしてきました。
何でも楽しくやりたい。
どうせやるなら楽しくやろう。
そう思って、生きてきたように思います。
つまらなく思える仕事を楽しくやる工夫を探してやっていました。
自分に自由を許可してからは、「好奇心」をコンパスにして生きるようになりました。
楽しいが向こうからやってくる毎日。
そして、楽しいを自分で作ろうともし続けてきました。
幸せ度が爆上がりした時期があり、それは「好奇心がコンパス」で生きるをし始めた時期です。
けれど今、ふと気づきました。
「あれ、私、疲れてる…楽しいの反対側を見ようとしてないんじゃないか」
光があるなら、そこには影ができる。
好奇心との付き合い方、サブパーソナリティと出会ったことでバランスが大事だということ、静かな私も大事な私ということを知った。
「楽しい」は価値観の1つだった。
サブパーソナリティの2人の光の部分ばかりが強調されていたように、価値観においても同じことが起きているのではないか。
それを考えた時、価値観ピラミッドの順番が変わった。
「楽しい」に傾きすぎていたバランス
「楽しい」という感情は、私にとって幸せに近いものでした。
特別な感情だと理解していた。
でも、気づかないうちに「楽しいかどうか」が生活のすべての基準になっていました。
楽しくなければ動けない、楽しくなければ選べない。
そんなふうに、自分を縛っていたのかもしれません。
楽しいで満たすことが何よりも大事。
楽しいが悪いわけではない。
でも、それ“だけ”では、どこか息が切れてしまう。
だから、私は「好奇心」とのつきあい方について模索してきました(詳しくはこちら)。
サブパーソナリティとの出会い
先月、リソースを探求するコーチングの講座の補助に入らせてもらいました。
そこで出会った私のリソース(私が私らしく生きるために活用できる内外のすべてのもので、価値観、ビジョン、強み、経験、人脈、お金など…)。
3人のサブパーソナリティがリソースの1つ。
2人について書きます。
好奇心あふれる私:きらきらちゃん
自覚していた好奇心あふれる私に名前をつけました。
きらきらちゃん。
冒険大好きで、瞬発力も行動力もある子ども。
光に向かって駆け出す。
彼女が「つまんなーい」と言わないように生きることが私の生きる目的だと思います。
「これ楽しそうじゃない?時間あるよね?」で、どんどん予定を入れてくる。
静かに考え閉じる私:祈りさん
静かな私、閉じて1人でろうそくの灯を灯すような私。
彼女は、教会にいて誰かをあたたかく照らすことも出来る。それに気づいた人に届くやわらかな光の持ち主です。
整える私。
祈りさんと名づけました。
羽を休める時間であり、1人で考える、私に還る時間。
静と動の2人
2人が互いにめぐることで、私は生きられる。
「好奇心とのつきあい方」という視点から私は気づきました。
さらに踏み込んだのが今書いている「楽しい」を再定義することです。
なぜ、「楽しい」について考えることにしたの?
冒頭に書いたように疲れている私がいることもそうだけど、「問い」が投げかけられていたからです。
疲れていると分かった、止まったタイミングとこの「問い」が呼応した。
私にとって、「楽しい」って何?
という問いをもらっていました。
考えてみない?とふんわりと提案してもらっていた。
問われると、人は考え始める。
「私にとって、楽しいは特別な感情なんです。」と答えたはず。
だけど、なぜそれが欲しいの?を深く考えたことはなかったと思います。
サブパーソナリティとの出会いによって、「楽しい」を連れてきてくれるのは、きらきらちゃん。
だけど、活躍し過ぎているから「今はちょっとお昼寝タイムだよ。祈りさんの時間を作ってあげて」と言っている感覚。
静と動、光と影のような2人。
どちらも私を生きるのに必要な大事な存在。
この2人と「楽しい」は無関係ではない。
今まで、きらきらちゃんばかりが活躍していた。
楽しいって何?って問われたら、
自由だったり、水を得た魚の状態、無敵って私は答えているんだよね…2年前の話。
今、問われたら、きらきらしちゃう状態が近いと思う。
完全に私の感覚を言葉にした造語に近いもので、好奇心とかときめきが近い感じで、きらきらしちゃうって思う瞬間が、楽しいと近いと思う。
それは新しいものに出会った時も、人と話している時にも、本を読んでいる時にもあるもので、楽しいなって言葉になる体験をした時。
コーチングをしていても楽しいのはそうだし、桃を食べて幸せって思うのも、きらきらしちゃう瞬間と言える。
となると、好奇心に楽しいは吸収されるのか?
と思うけど、どうなんだろう。
確実に好奇心は「楽しい」を連れてきてくれているのはそうなんだよね。
そして、「楽しい」は感情、状態で、他の価値観と質感が違う。
「楽しく生きる」が最終目標ってしていたのが、初めて価値観ピラミッドを作った時の私。
「楽しい」は好奇心だけが連れてくるのではないんだよね。
だったら、好奇心と近い存在だけど、吸収させるのはやっぱ違うか。
1人で考えるの限界あるなって思う。
価値観というより、たくさん感じたいんだよねって思っている感情が、「楽しい」。
それで、価値観を満たせていたら「楽しい」は生まれているんだと思う。
もう少しなぜ私にとって「楽しい」が大事なの?について考えられそうにも思う。
けど、今は考えるをしないって思っているので、ここでやめておく。
余力がある時に、また考える。
「楽しい」を価値観においているから、糸口になるのが価値観ピラミッドでした。
「楽しい」を私は価値観として握っている。
この感覚として、握っているなんだというのも気づきとしては大きかったです。
価値観、私はコンパスだと思っている。
人生の指針。
だけど、握りしめるようなものではない。
地図を広げて、こっちだよねって方向を確認するためのもので、離せないってなるようなものではない。
コンパスなら首から下げておいて、ちょっと迷った時に見たらいい。
なのに、握りしめていた。
他の価値観、
たとえば「正直さ・誠実」や「自由」「(健やかに)歩く」を、少し置き去りにしていたかもしれない、と思い始めました。
ピラミッドのかたちを組み替える
私はこれまで、自分の価値観ピラミッドを以下のように定義していました。
下から順に、
歩く(健やかさ)
楽しい
正直さ(誠実)
好奇心
自由
という順番で、「下から満たしていくもの」として扱っていました。
でも今回、自分の内側のバランスが崩れたと感じたときに、
この配置を見直したくなりました。
自由は“目指す場所”じゃなくて“インフラ”
これまで、「自由」は私にとって憧れや目標のような存在でした。
(自由の捉え方、1年前とは大幅に変わっていると思うので、どこかで言葉にしておきたい、メモ)
でも今は、それが「一番上」にあるのではなく、
“生きる土台”として、私の中にすでに流れているものだと感じます。
自由は、何かを手に入れたら辿り着く場所じゃない。
すでに息をするように、私の中にあるもの。
それに気づけたことで、ピラミッドのかたちが変わりました。
なぜ、そう思うのか。
それは、私の見ている景色にヒントがあります。
何でも選べる自由な景色を見ました(コーチングセッションで)。
遮るものがなくて、水平線までもが見える所に私は立っていて、360度見渡せる。
砂浜を駆け出すが、私の好奇心のイメージで、そことつながっていて、私は海辺に立っている。
砂浜じゃなくて、干潟。
濡れているんだよね、地面。
そこには道がなくて戸惑っている、みたいな私がいて、道はあるよねになっている(=コーチとして生きるの道だった)のですが、とにかく私は何でも選べるし、どこにでも行ける場所にいる。
自由は、もう私にある。
あまりにも自由過ぎる感じもあるけどね。
こんな自由を渡されたことがなくて、戸惑い。
楽しいは、自然とやってくる
そして「楽しい」は、人生の目的や基準ではなく、
いつでもそこにあるもの。
好奇心がコンパスで生き始めた時、「楽しい」は掴みに行っていたこともあると思いますが、毎日向こうからやって来るものでした。
意識せずとも、毎日やって来るもの。
それを、私は意識して自分で作るを4月やりました。
私が私に好きをたくさんさせてあげる、好奇心が呼ぶ方へ生きるを意識的にやった。
待つだけじゃなく、作ろうの精神は悪くはなかったけれど、追いかける、楽しくあらねばというものに変わっていったのだと思います。
そこから、また戻ったというか常に「楽しい」でいなくてもいい、許容できるようになったと思います。
追いかけるものではなく、
「楽しい」は歩いていたらふいに光が差してくるような、そんな存在。
現に、私は暮らしの中に「好奇心がコンパス」を使ってみようとしていて、外に求めるから、もっと自分の内側に近い所にそれを見つけようとしています。
暮らしを整えつつ、自分を整える。
その中にちょっと「楽しい」が入れられたら、という感じです。
そうすると、あるかも?って目で見られるし、「楽しい」は私にとって特別大事な感情ではあるけれど、それを感じるために何も特別なことはしなくて良くて、いつでも「楽しい」はもうそこにある。
それを感じたらいいだけ。
楽しくできないかしら?ってつまらない仕事に対して工夫していたことを、そのまま暮らしの中で、楽しいよね?って感じることをしたらいい。
そう思えたとき、私は少し呼吸が深くなった気がします。
今の私の価値観のかたち(2025年8月)
今の私の中では、価値観はこういうふうに働いています。
好奇心は私の生きる目的そのもの。
土台(支える):
歩く(健やかさ)、自由(空気のように流れる)
中間(私が私であるために):
正直さ・誠実
最上位(方向性):
好奇心(私を導くコンパス)
楽しい:上記すべてに降り注ぐ光。価値観を満たすことによってわく感情。
以前と価値観そのものは変わっていません。
でも、どんなふうにそれが私の中で機能してほしいのか、
その「配置」や「役割」が変わったのだと思います。
楽しく生きたい。
そこから出発していてそれは違いないけれど、私にとっては、「楽しい」が感情だったり体感として味わうものとしての比重が大きくなっている。
いったん「楽しい」を価値観ピラミッドのお外に出します。
全体を照らしてくれる光。
再編成は、やさしい見直し
この変化を「価値観の再編成」と呼ぶならば、
それは決して、自分を否定して何かを変える作業ではありませんでした。
むしろ、何だか疲れていて合ってないかも?
「楽しい」って追いかけるもの?
そればっかりになって、他の価値観が満たせてないのでは?
を考えたのは、私のこれからの生き方を考える機会になりました。
「これまでもありがとう」
「でも、今の私にはこうしたい」
そんな風に感じた時間です。
自由がインフラレベルで大事なことっていうのも意外でした。
それって手に入らないものって思っていたのに、ちゃんと手の内にある。
今回の再編成は、
祈りさんの声をもう一度聴くための、大切な機会だったように思います。
これからは2人で、
バランスよく、私らしく、生きていきたい。
そんな風に感じた、夏の一日でした。
おまけの問い(よければ一緒に考えてみてください)
今、あなたが一番大事にしたい価値観はどれですか?
それは、どんなふうにあなたの中で働いていますか?
必死に握りしめていたものを、少し手放してみたくなる瞬間はありますか?
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