「変わらない」という静かな愛のかたち
10月とまったく変わってない感じ~。
冬の静けさと灯りになりたいライフコーチのなほです。
剥がれては還り、ころん、と生きる。
きらきらしたら、ぷかぷかに戻るリズムの中で、私のままで、もうすべてそろってる。
いつも変わらずに接してくれる人って思い浮かびますか?
おじいちゃんやおばあちゃん。
職場の上司がいつも冷静で穏やか。
子どもたち。
先日、マイナンバーカードの手続きで市役所に行ったのですが、転入してきた時と同じように親切に対応してもらった。
そこから考えたこと。
以前と変わらずに丁寧に接してもらったことに安心をもらった。
けれど、人間は常に変化していて、変化しているのに変わらずにいてくれることは愛を含んでいる。
同じようにあたたかい
同じ人だ!って分かったのは、おそらく転入してきた時も私はその方の対応が親切だなって心に残っていたのだと思う。
役所での手続きにおいて、重要なのは正確さと早さだと思います。
特に、いろんな手続きがある中で、引っ越してきた時の私は、転入届けの提出、健康保険、マイナンバ―カードの手続きがありました。
入口で整理券を取る時に立っておられた女性について印象的でした。
何をしに来たのかを伝えた私に対して、「ではこちらですね」、って2択のうちの1つのボタンを押して整理券を手渡しつつ、暗証番号は覚えているか、カード自体の期限は切れていないか、という質問をしてくれた。
おそらく、本来の私の目的をクリアするには、暗証番号が順番が回ってきた時に分からないと手続きが滞るのと、伝えてはいないけれど、カード自体の期限も切れている可能性があると瞬時に考えて、尋ねて下さった。
それによって、「待っている時間に対応しとけば良かった」みたいな小さな穴が回避されました。
単に整理券を渡す以上の仕事をこなされていたことに感動だし、スキルすごい!と思った。
しかも、丁寧に対応してもらっていて、10月の対応とまったく変わらないなって感じた。
変わっていないように感じさせること
常に同じ一定の質を保ったサービスを提供する。
当たり前のことかもしれない。
けれど、元気な日もあれば、しんどい日もある。
そして、私は変わらなさに安心を覚えた訳だけど、おそらくその人自身は変わっていないことはない。
だから、変わっているはずなのに、変わっていないように感じさせることに、私はすごいなってまず感じました。
いつも同じであるかのようにそこにいること。
今までにもそういう人はいたな、と私は思い出していた。
けれど、「変わっていないことはないよな」、ということを感じるので、そのすごさに改めて目を開かされている。
そして、私が気づいていないだけで、小さな変化は足されているんだろうなとも想像します。
変わるのが自然
昨日と今日では、私は変わっている。
新しい私になっている、というまでの劇的な変化はないかもしれないけれど、髪の毛は伸びるし、爪も伸びる。
考え方も、ひょっとしたら変わるということも起きるかもしれない。
誰かの言葉に、自然に、または自分の中で考える内に、考えや感じ方が変わることは起きる。
変わらないでいるというのは難しいし、無理だ。
移ろう、変わる、成長する。
いろんな言葉があるけれど、一定であることは難しい。
だから、錨を下ろす、戻れる場所を持っておく、軸を作るというようなことをしようとするのかもしれない。
静かな場所を持っておくことで、自分に還れることはある。
変わらずいてくれることは愛
実際には変わっている。
むしろ、変わらずにいることは不可能に近い。
だからこそ、いつもと同じトーンだったり、同じように接してもらうこと、変わらずに私にあたたかさを持って接してくれることは愛だと思った。
いつも平常心、同じように接してくれる先生がいて、私は仏だと思っていた。手術に際して、感情剥き出しだったり、人格が若干違ったりする先生というのもいたけれど、どんな手技でも同じ丁寧さとトーンでコミュニケーションをとってくれる先生でした。
過度に感情を表現はしないけれど、「サンキュー」が口癖の先生でした。人に感謝をちゃんと伝えられるのいいよね。
その時は、感情の波がない、コントロールできるのって素晴らしいなという視点で私はその先生を捉えていたけれど、いつも同じように手術に臨むという姿勢を作ること、「同じ」だと感じさせてもらっていたのは、技術でもあるけど、安心をやっぱりもらっていたから、愛も入っていたんだなぁと気づきました。
子どもとして扱ってもらうこと
また、変わらずにというのとは少し違うけれど、親が私に対して気にかけてくれることも、愛だなと思った。
「ただ健康に生きてくれていたらいい」と私は親に対して思う。
けれど、親は私のことを子どもとして扱ってくれている側面があって、そうやって子どもとして扱ってくれるのは、愛だと思った。
私は大人になっていて、親子という関係ではなく1人の人間として付き合いたいと思ったり、家族という距離でいたかったり、不安定とも捉えられる移ろい方をしている。
子ども扱いされたくない、という感情もなくはない。
だけど、変わらずに私を子どもとして扱ってもらうことも愛なんだな、って思った。
親という立場を経験していないから、分からないことで、親になったことのある人からすると、「何歳になっても、いつまでも子どもは子ども」という感覚は当たり前なのかもしれない。
まとめ
変わっていないように装う、同じであるかのように装うという、あえてしている作為的な感じはない。
けれど、人は変わっていくもので、変わらずにいることは難しいことだと思う。
だから、変わっていない、同じようにここにいるよって接してもらうことには愛があると思った。
変わっていない、というよりは、ある状態を維持する努力に愛は含まれているのかもしれない。
きっと、これだ。
伝統を引き継ぐという文化の継承にも通じる所がありそう。
変わることの方にはエネルギーが必要だよねって、そこに敬意が生まれやすい。けれど、同じ状態を維持し続けることにも愛はあるんだから、もっと敬意を払おうと思いました。
変わることと等しく、変わっていないように、同じ状態を維持することにもエネルギーは使われている。
今日もここまで読んでくださり、ありがとうございます。
この場所に、その日の気づきを静かに置いています。
また、書きにきます。
もし、この文章を読んで少し話してみたいと思うことがあったらプロフィールnoteに静かな入口を置いています。
よかったらこちらのnoteもどうぞ
▽敬意を伝えることも愛があるから
▽自分を表現することは自分への愛
▽心配も愛から生まれているんだ
いいなと思ったら応援しよう!
あなたと私の間に愛が循環していきますように。いただいたチップは、私が健やかに生きられるようにチョコ次郎を買うために使わせて頂きます。