ありのままの私に価値はある? あるってことが「分かる」になった
コーチングの学びとクライアントさんと出会うの両立を実験中のなほです。
毎日楽しいが向こうからやって来るけど、自分でも作ります!
ユートピアに住めるってなった時以来のパラダイムシフト(常識や価値観が大きく変わること)が起きたので、残しておきたいと思います。
ありのままの私には価値がないから周りに拒否される。だから役に立つ仕事をする。
「私は価値がない」と言葉にすることでそれが負の強化になる。
役に立ちたい、役に立つか立たないかの物差しでしか自分の価値をはかれないことに気づく。周りの人からあたたかい言葉をかけてもらうことでありのままの私にも価値はあるよねって教えてもらう。
だけど、自分でそれが出来るようになることが必要。自分で定義する、決めたら良いよね?の革命がおりてきた。
ありのままの私は受け容れてもらえるというか、自分で作る
まず、私はかつてありのままの私に価値がない設定で生きてきていて、ユートピアと呼んでいる世界は、ありのままの私が他者から受け容れられる世界をそう呼んでいます。
コーチングセッション(コーチと2人で対話する時間をこう呼びます)で話している時に、
ありのままの私は拒否されるんですよね~って話をしていた時(わりと私にとっては普通のことで、だから何か役に立つ私でないと受け容れてもらえないは当然)に、そうではない世界を想像した時に、口から出たのが、「そんな世界はユートピアですね」って話していて、そんなのは実現しないって思っていました。
ありのままの私は受け容れてもらえない、拒否されるの世界に生きていて、だから外の世界は怖い、私を傷つけてくるって思っていました。
怖いから自分から輪に入ることも出来ないし、何かが出来る自分であることが大事でした。
分かりやすく看護師という肩書きがあり働いている私に依存していて、仕事が全てになっていました。そこで評価されていれば仕事を取ったら何も残らない私を保てるからです。
そこから、他者が自分を傷つけてくる存在ではなくて、私が自分からあたたかい関係を作る、それが欲しいなら自分で掴みに行け!
に書き替えてパラダイムシフトが起きたので、今は自分から人と関係を作る、それも私の望むあたたかい双方向の関係を作ることを練習しています。
自己受容もあんまり出来ていないし、むしろ自己否定の状態です。
そんな感じで、自己肯定感が低い、自尊感情が低い、自分には価値がない、自信がないという言葉になっていていました。
自己肯定感の低い自分は受け容れていて、低いなら努力して上げよう、ちゃんと上げる方法はあるし、上がった方が生きやすいよねっていう理解はあったので、努力するものだ、としてきました。
そして時間もかかるものと思っていました。
負の強化が起きているのでは
また、いつまでも自分に自信がない、価値がないって言葉を使うこと自体がそもそもその信念をさらに強化しているのでは?も最近は思っていて、もうそうやって口に出すこと自体をやめた方が良いのかな?と思っていました。
そして、本を読むなり、自己承認を意識的にするなどしてきました。
頭での理解
また、コーチングセッションでふれたりして、論理的には人の役に立つ私ではなくても存在するだけで価値はあるし、今も役に立っていることはある。そして、仮に役に立っていないくても私には価値はあるを頭で理解しました。
その時に、私は、「私の価値を自分で定義したら良い」と走り書きしたことを覚えていて、役に立つ、立たないではなくて、自分で自分の価値を定義しようみたいに思って、考えなきゃなって思って走り書きしました。
「私には価値がある」と人から伝えてもらうこと
また、数日前に自分の存在自体を肯定的に捉えたり、存在価値みたいなものをあまり信じられていないという話をちょっとした時に、コーチに正面から「なほさんには価値がありますよ」って声をかけてもらいました。
人から正面切って、あなたには価値がある。って言ってもらうことってあまりありません。
これまでも私は、「私には価値があるよ」っていうのは、出会ったあたたかい人たちから伝えてもらったことがあって、その積み重ねが今日まで私を支えてきてくれたと思っています。
感謝です。
自分で水やりする
自分でそれを認識できるようにならなくてはならない
を私は感じていて、私の言葉だと自分で水やりできるようになるということです。
人から水やりしてもらうことも大事だけど、やっぱり自分で自分のことを認めたり、信じることが出来るようになるのが大事だと思っています。
自分の価値は自分でちゃんと判断する、人に委ねてしまうのは良くない方向へいってしまうことがあります。
先日先輩コーチとお話ししていて、やっぱり私は私という人間そのものにあまり価値があるって信じ切れていない、そのために上げる努力が必要で、時間もかかると思っている。さらに、そもそも自己肯定感が低いっていうこと自体を話すことでそれが強化されている節もあるんですよね、ということを話しました。
また、その努力の質感も、私が生きたいように生きるために必要なことだから取り組まなければっていう感じで、必要だからするというあまり楽しい空気がありませんでした。楽しいが私にとっては大事。
努力すること多いな
私、けっこう努力しなければって思っていることが他にもたくさんあって、努力しないと何も手に入らないって思ってそうです。
これは、気になるのでメモ。
基本、何でも掴みに行くというのも私はよく使っている言葉で、努力とも近い気がするなぁと思います。待っていても何も起こらないっていう感じです。
「成長」と近い感じで努力することに義務感の匂いがちょっとします。
努力が義務だった時代が私にはあります。
努力出来ることは素敵なことだけど、もっと楽しく出来る道はあるのでは?と思ったりします。努力じゃない呼び方あるはず。
もしくは、努力と呼ぶなら、楽しい質感が欲しい。
「楽しいと成長の調和」だ。つながってちょっとすっきり。楽しいと成長の調和の感じに近づけるような努力を私は望んでいます。
これは、コーチとして歩く道をそうやって歩いて行くと「決めて」歩き始めました。
決めたら良いんじゃ?
話していた時に、
私は価値ある人間だって、私が決めるだけで良いのでは?
そう決めるだけで時間がかかるとか努力が必要っていうのは確かに一面的には正しいけれど、そういうのを手放して、
もう今すぐに価値ある人間、ありのままの私で価値があるの世界に行けるって腑に落ちました。
パラダイムシフトが起きました。
「決める」ということを私は以前よりは軽く出来るようになっていて、それを積み重ねてきたから、今というタイミングで決めたら良いよね?って思えました。
決めるだけで、そう出来るというのを感覚で私は分かっています。
決めたらそっちに引っ張られる力が働くし、言葉の力にも引っ張ってもらっています。
例えば、コーチとして生きるも決めたし、好奇心が呼ぶ方へ生きるも、私を一番優先して生きていくも決めました。
重く決めるはもうしていなくて、好奇心と、本当にやりたいのか、私の人生だけに責任持ったら良いを考えたら、あとは本当に軽く決めています。
違うってなったら、また違う道を選んだら良い。
ユートピアにはちゃんと定住していて、住民票も取れている(これもコーチにかけてもらった言葉で栄養にしている)のですが、そのユートピアが広がるんだって思いました。
イメージ的にはちゃんと家を建てて住んでいて、全部が淡いピンク色の世界です。ファンタジーな世界です。
近所しか行けなかったのが、見えている世界というかほんとに面積が広がるような感じに思いました。遠くまで街が広がっているんだなっていうのが初めて自分の目で確かめられるようになった感じです。
ありのままの私には価値がある。
これをちゃんと握りたかったので、湯舟につかりながら考えました。
やっぱり自信がない、私には価値がないに振れることが起きると思うので、そこからまた価値はあるよって世界に振るための縁になるものが必要だと思いました。
私の価値をイメージで言うと、どんなもの?を考えました。
最近のコーチングセッションで私は「自分の主導権」をカギだとイメージしていて、「それは人に簡単に渡してはいけないよ、ちゃんと持っておく」はそのイメージの力を借りて、ちゃんと胸にしまっておくが出来ています。
剣
ありのままの私の価値を何か物にイメージするなら、剣です。
けっこう攻撃的なイメージだなって思いましたが、剣だなって思いました。
私を強くしてくれるものなのかなって思いました。私を強くしてくれる存在だから、剣。そして常に身につけておける。持っているだけで私を強くしてくれる。
けれど同時に武器になり得るものだから緊張感ももたらすと思いました。
剣だけじゃなくて防具もちゃんと身につけてるなって思いました。
私はこれから戦いに行くのか?
けど、戦うのに使う感じのイメージはありません。
持っておくだけで、この剣を使えるように鍛錬するだけでもう役割は果たしている。
使う時、あるんかな?って考えましたが、
何かを切りつけるイメージはやっぱりなくて、その剣を振る練習をする私はイメージ出来るけれど、誰かに切りかかって血を流す感じはない。
護身用でもないんだよな~。やっぱり戦う目的ではなさそう。
今は何のために使う剣?がよく分からないけれど、
これから私が行く道で阻んでくる私に出会ったら、その時にはこの剣で切るのか?
やっぱり切るとはならないなぁ。剣を抜いて構えることはあるのかもしれないけれど、傷つけるためには使わない。自分を守るために構えはするのかもしれないけれど、切りつけはしない。
「私が血まみれになるかも」はマイコーチと話した後に思ったので、やっぱり私が血まみれになることはあっても相手を傷つけたりは絶対にしない。
心を鍛錬するためのものとしての剣なんだと思いました。
構え方、切り方みたいなことはちゃんと学ぶけれど、それは切れ味の鋭い武器になるものを扱うことを通して、自分の扱い方を学ぶ感じだと思いました。
どんな剣?
わりと細い剣です。私でも振れる感じです。
その剣は、ちゃんと私がありのままの私に価値があるって信じていないと鞘から抜けません。そして、私が私を信じることは無限に強く出来ると思っているのですが、その気持ちが強くなればなる程、鋭く切れ味も良くなります。
私の価値を高める、自己研鑽することでも刃は研ぎ澄まされる。
また逆に私が私の価値を信じられない、そのままの私ではダメだってなると刃はボロボロになります。
けれど、その剣自体の価値っていうのはちゃんと存在していて、それは、鍔の部分に赤い宝石が埋め込まれているので、たとえ剣として刃が切れなくなっていても、その埋め込まれている宝石自体に価値はあるので、価値がゼロになることはありません。
どんなに私が私を肯定出来なくても、自信を失ってもなくならない価値はちゃんと存在している。
私の価値=剣だからそれをちゃんと扱うためには方法を学ぶし、扱い方も緊張感を持って扱う必要があるんだなと思いました。
またたとえ剣の刃に輝きがなくなっても、その剣が鞘から抜けないなって思っても、そこには赤い宝石があるのが見える。
私がそのままの私の価値を信じる力は無限に強くしていけるし(これはちゃんとコーチとイメージしたことがあります。私が私を信じることのイメージ)、それは流動的で、上がり下がりはある。だから、下がったときは、鍔を見て思い出したら良い。そこにいるだけで価値はある。
まず、ちゃんと抜けるかを確認だし、ちゃんと扱えるように鍛錬する。
まとめ
かなり私の「思考の庭」をそのまま書いているので、何を言っているのか分からない部分もあるかと思います。
けれど、私が私の価値、ありのままのそこに存在しているだけで価値があるんだって思えるようになるには、時間もかかるし努力が必要だし、しかもあまり楽しいことではないの思い込みを手放して、
今日からもうありのままの私には価値あるって決めたら良いって素直に思えたことは、すごく大事なことなので書きました。
経験を通して自分の価値を信じることも大事だけど、私が私の価値をそのままの私であるって定義する。
また、すぐにこれが定着して自尊感情、自己肯定感が爆上がりみたいなことにはさすがにならないので、ユートピアが広がるんだって入口に立てた、風穴があいたこの感覚をちゃんと言葉にしておくことで、私がその世界を自分に染み込ませる助けとしたいと思います。
自己効力感の上げ方の本も読んだばかりだし、剣も手に入れたので、正攻法で上げる努力ももっと楽しく出来るし、風穴から差し込んだ光を目指して歩いて行こうと思います。
具体にすると、これを染み込ませるために言葉を作って私が私に語りかけようと思います。
ありがとうございました。
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