愛にも種類があるに気づいた 空気の愛、特別な愛、世界に満ちている愛
「愛を向けてくれる」は、ひょっとしたら違うのでは?
秋口の陽だまりになりたいライフコーチのなほです。
剥がれては還り、芽吹いていく旅の途中。
胸に宿る小さなひかりは、そっと世界を照らしています。
きらきらしたら、ぷかぷかに還るリズムを大切に。
自然から愛を受けとったことはありますか?
きらきらした日差し、心地よい風を感じる、花がきれいに咲いている。
さんぽしている時に出会う景色に、私は愛をもらっているな、と思います。
愛は空気のようにそこに「ある」。
概念としては分かっていたけれど、これも愛なのか、と「受けとる」と「発見」のフェーズにいるので、しばしば忘れがちです。
愛にも種類あるんだが分かったかも。
①空気のように場にある②個人にあてた特別な③世界に満ちている大らかな愛
愛を向けてくれる?
「私に愛を向けてくれて、贈ってくれてありがとうございます。」
受けとるを練習しているので、そんな風に愛にふれています。
けれど、この言葉、正しいけれど、正しくないかも?って思いました。
向けてくれているは違うのでは?
確かに、言葉として愛を贈ってもらった場合、それは私に向けてくれている愛。
笑顔でまなざしが交差する時も私への愛。
けれど、愛は空気のように存在する。
そして、愛がある世界に住んでいる人たちにとって、愛は標準装備だから特別私に向けたものではないのでは?
等しく愛はみんなに向けるもの。
特別な愛も存在するし、ただそこにある空気のような「愛」も存在する。
この種類があるというのが、今は確かにそうだよなって思います。
外の世界で、そんな風に愛が交換されている、すべての人は愛されているは分かっていたけれど、「愛がある」にOS更新したばかりの私は、その辺りがよく感覚として分かっていなかった。
特別に愛する人がいて、恋人や親が子に注ぐ愛は、そこにただある「愛」ではなくて、個人に向けた特別な愛。
愛がまだ非日常
これも愛だったのか!と発見したり教えてもらっている。
そういう段階にいます。
意識して探して、受けとっていたなって振り返る。
だから、気づけないが起きる。
時差もある。
そして、驚いたり嬉しかったり、楽しいフェーズ。
そういう感覚だから、まだ私にとっては非日常だな、と思った瞬間がありました。
これ、今は楽しいけれど、もしや楽しくないフェーズくるんでしょうか…。
と、ふと浮かんだので出しておく。
愛は楽しいだけじゃなくて、厳しさ、緊張感などいろんなものが内包されているから…。
大体、楽しいがあったら、楽しくないもあって波があるよね。
プールに愛が溶けている=そこにある愛
場にただ存在している愛のイメージで、一番私に近いのがプールの水。
そこに愛が溶けているプールの水はあたたかくて、薄い桃色。
人によって違うのだろうけど、これは特別な愛ではなくて、ただ存在している愛。
誰でもプールに入れるし、受けとる量も選べるから、プールサイドに座って足だけつけてバシャバシャできるし、潜れるし、浮けるし、泳げる。
私は愛を光のイメージで捉えていることもあり、その場合は光が満ちた中にともにいる感じ。照らされているのではなく光の中にいる。
「届ける」だと「受けとる」がセット
これを教えてもらったことも、多分この気づきには大きい。
届けるは、個人から個人のイメージで、押しつけている感もちょっとある。
届けるだと、受けとって欲しいになるって教えてもらった。
けれど、そういう意図はないんだよって教えてもらった。
届けた場合でも、必ずしも受けとるはセットじゃないけど、少なくとも受けとって欲しいの期待はあると思う。
これを聞いて、
そうだった。「受けとって」って押しつけられたことは一度もないんだったって思い出した。
選ぶ自由をいつも手渡してもらっている。
すでに世界に愛されていると気づいちゃったなら?
ここまできたら、これにもふれておく。
特別な愛と、空気のようにある愛。
世界から愛されているならの前提に立つ時、それは空気のようにある愛のとてもスケールの大きい版のように思う。
これを教えてもらった時、愛を受けとるに私の中では「愛」は人との間に限定されていたけど、そうか、人からだけじゃないのか、もう全部から私は愛を受けとれるのか、って気づきがありました。
だから、ご飯がおいしいと感じられることも愛だし、おさんぽできれいに咲いている花を見つけたらそれも私に愛のメッセージだ、と受けとれる。
「すでに世界から愛されている」と気づいちゃったなら、何も恐いことはないんだよって語りかけてもらった。
大らかな世界にある愛、プールの水のように場にある愛、私のためにって贈ってくれる特別な愛。
いろんな愛があるんだな~って気づきました。
まとめ
愛に種類あるんだ。
これ、やはり愛がある世界にもとから住んでいる人にとっては当たり前だったのでしょうか?
私も概念的には、家族愛、親子愛、恋人など特別な関係における愛の存在は知っていたけど、本当に知っていただけでした。
それがあるって知っていた私は、「私には関係ありませんので」って愛がない設定にしていたから、知識として分かるのレベルだったのだと思います。
そして、この特別に名前がついているような愛は知識があるから想起されるけれど、空気のようにいつでもそこにある愛はピンときていなかった。
今回、「私に向けてもらって」って思っていたけど、おそらくプールの水のように場にある愛と、特別な私に向けてくれている愛の両方が存在していて混ざっているのに、プールの方にあまり意識が向いていなかったと思いました。
愛は人からだけでなく自然からも、いろんなものから受けとれる。
少し、私は愛を感じたり受けとれたりできるようになってきているよね?
多分、そうだと信じます!
大きな愛を持っていると感じる人と、とんでもなく愛が深いと感じる人に感謝です。
ありがとうございました!
人によって愛のかたちってちがうな~もちょっぴり感じられるようになってきました。
私の中では大きいと深いは違うもの。
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あなたの「空気のように場にある愛はどんなイメージ」もコメントで教えてもらえると、とても嬉しいです!
私にある愛を見つけた時は、「それ愛だよ」って教えてもらえると助かります!
これからも「愛って何?」について書いていくので、フォローして楽しみにしていて下さいね。
読んで頂き、ありがとうございました!
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