写真には、愛も写っていた。 #人生シェア会
子どもの頃のこと、あなたはどれくらい覚えてる?
春の日差しでありたいライフコーチのなほです。
剥がれては還り、ころん、と生きる。
私は愛だから、いつでも私に愛を注ぐよ。私は私の手をずっと離さない。
2026年8月6日に全2回開催された『人生シェア会 愛と自分の現在地編』。
スピーカー側でお招き頂き、しゃべってきたよ!
占星術を軸としたセッションを提供されている魔法使いのaimiさん(主催)と、ブリーチして自由の色・金髪に磨きのかかった私の2人の人生をシェアしました。
当日、場を分かち合い、人生を、愛を分かち合って下さったみなさん、本当にありがとうございました。心から感謝しています。
▽aimiさんのnoteはこちら
前半は、私がこのシェア会で受けとったもの、感じたこと。
後半は、私のシェアした愛を思い出す旅の途中、現在地をシェアしたいと思います。
aimiさんのシェアを通して
「私、愛されていた、愛されてきたんだな。」
それって、どうやって気づきますか?
当たり前にそこにある愛、愛されていると幼い頃から感じている人にとっては気づくものではないかもしれない。
だけど、私にとってはそれは気づく、思い出す対象でした。
はじめて思い出すことに自覚的になれたのは、ラジオを聴いた時。
「子どもの頃から愛されてきた方だと思います。小さい頃から、両親だけでなく、おじいちゃん、おばあちゃん、お父さんが営んでいる工場に勤めているおばちゃん、ねこ、近所の人。たくさんの人に愛されてきたと思います」
私は、両親からの愛だけしか見えなくなっていて、それも頭では愛されていたと思う、想像できるけど、愛されていた実感がありませんでした。
思い出す子どもの頃の私は一人ぼっちで、寂しい私だった。
だけど、この話を聴いて、私もおばあちゃんから愛されていたし、近所のおばさんからも、親戚のおばさん達からも愛されていたな、と視野を広げられた体験がありました。
その体験を踏まえて、aimiさんが見せてくれた写真。
そこには赤ちゃんのaimiさんを連れて温泉を訪れたご家族が映っていた。まだ下のご兄弟が生まれていない頃。
私も両親にとっては初めての子どもでした。
だから、妹よりは手をかけて育ててもらったのだと思います。
お母さんから聞く話でも、私の時は、泣いたらすぐに構っていたけど、妹の時は少々のことは大丈夫って感じで乗り越えていた、と聞いたことがある。
下の子どもは親も経験があるから、余裕が生まれたり、どの程度世話をしたらいいのか分かってくる。
写真には愛も写る
写真には、撮る人ー撮られる人の関係性が写り込むと私は思っています。写真はコミュニケーションなのだ。
写真には関係性だけじゃない、愛もちゃんと写るんだね。
私は、1枚の写真を思い出しました。
フェリーのデッキでふざけたポーズをとる私と妹が映っている写真。
兵庫県に住んでいた私たち家族が、徳島県にあるお父さんの実家に帰省するためにフェリーに乗った時に撮ったであろう写真。
今の私はお船が大好きです。
フェリーに乗ることも大好き。
その原体験はきっとこの時にあると思っている。
「実家に帰省したら、ぜひアルバムを開いてみてね」とおすすめしてもらった。
aimiさんが一時帰国でお母さまと一緒に訪れた場所が、「実は赤ちゃんの時に来たことがあるんだよ」、とお母さまが写真を探して見せてくれたそうです。
そこには家族から愛されている赤ちゃんのaimiさんがちゃんと写っていた。
私が贈る手紙
私には、1歳になった甥っ子たちがいます。双子です。
かわいい妹が私に連れてきてくれた家族。
組み立てられるメッセージカードを私は甥っ子たちに贈っています。
字は読めない。
読めないけど、私はあなたたちを愛しているよ、大好きだよという気持ちを伝えるために贈っている。
写真もだけど、手紙にも愛は宿るし、妹が残してくれていたら、大きくなって字が読めるようになったら、愛を感じる、思い出すよすがになる、と思った。
「愛しているよ」と伝えてくれる人は、1人でも多い方がいいと私は思うから、そうしている。
愛がこんなにも見える
写真というその瞬間を留めた1枚。
写真を撮られることが得意ではない。
けれど、これからはもっと積極的に写真を撮ったり、撮られたりしようと思った。
ただのイベント記録、お出かけ記録、おいしい・楽しいの記録だけじゃなくて、愛がそのまま見える、それを記録して保存しておけるなんて、写真って魔法のアイテムだと思った。
話を聴いてみることで思い出せる愛もあるし、
私が贈っている手紙に宿る愛もある。
抱きしめられた温かさを思い出すことで、愛を思い出すかもしれない。
愛の足跡は、至るところにあるのかもしれない。
写真にも。
手紙にも。
記憶にも。
体にも。
その時には愛だと分からなかったものも、あとから振り返ると、「ここにもあった」と見つけられることがある。
愛という概念は、分かる。
だけど、どこか遠い存在のような気がする。
愛のない世界と、ある世界のあわいにいる人たちへ、
愛を思い出すひとつのきっかけとして、写真があれば、ぜひ見てみませんか?
私は世代的にビデオ(VHS)の時代だったので、子どもの頃のピアノの発表会や運動会などの動画を見ることはできません(捨ててしまっている)。
だけど、見られるならぜひ動画を見返すことも、愛を思い出す旅への扉となってくれると思います。
対話の中から
私やaimiさんの愛についての物語をきくことで、あなた自身の人生を感じる時間になったら嬉しい。そういう願いがありました。
aimiさんが、愛されてきたんだ、そしてこんなにも愛されているのだから、その自分に自分が愛を向けないでどうするんだ!という感じのお話しをされていた。
愛を自分に向ける。
自分にやさしくすることも、そのひとつ。
私は、わりとこれまでの学習の応用で「愛されたい」は切実な気持ちだったけど、まずは自分が自分に愛を注ぐだ!とやってきた感があります。
周りに求める前に自分でそれが出来ることが先だと思っている。
自分に向ける、家族に向ける。
人だけじゃなくて、あらゆる方向に、モノに、自然に、愛を向けることができる。
私は愛に足る存在か。愛される価値があるのか。
何かができる私、優等生の私、期待にこたえる私でないと、愛されないのでは?
そうやって、役に立つ、認められることで、私は私を成立させていた。
愛がない世界で、私を守る方法。
まさしく、その通りだと思った。
自分のことが好き?
この好きかどうかと、自己受容の境界があまり私はピンときていなかった。
好きだけど、好きじゃない、みたいな感情があったように思います。
あなたはどうですか?
親にも親がいることも改めて感じさせられた。
私は、本を読むことで、両親の両親がどう子どもと関わってきたかが私への関わり方に影響しているということを理解した。
お母さんからたくさんの愛をもらっている、という話があった。
健やかな親子関係を育んできた人が、私は愛のネイティブスピーカーだと思っている。
尊いなーと感じる。
体が開く、自然にふれるなどして、リラックスすることで、愛を受けとりやすくなるのかもしれない。
これは、ありそうだな~って思う。
「自分がいなくなった後も、愛を注ぐ仕組みを作りたい。」が、心に残った。
愛を未来に伝えるために、もっとも愛される必要があるのは子ども。
そう私は聞いたことがある。
それともつながっていて、写真、手紙、愛された体に残る感覚。
それらは、未来に残していけるのではないか、と思った。
愛の中に立つまで 私のシェア
人生シェア会でお話ししているので、詳細については、aimiさんのnoteからアーカイブ動画をご覧ください(note記事をご購入頂く形です)。
aimiさんのシェアについても上記リンクのnoteから読むことができます。
今、愛を思い出したい人へ
「こんな歩みもあるよ」と分かち合いたい。
もし、今愛を感じられなくても、必ず愛を思い出せる日は来ると信じています。
私のスライドを見ながら、一言ずつ書いてみます。


恐かったというか、愛が与えられないかもしれないという恐れがあったのだと思う。

とんでもなく愛が深い人と出会わせてもらった。
私がもらっているもの全部が愛だと気づいて、途方に暮れた。

愛を受けとるのは恐いけど、私は愛を知りたかった。

愛のイメージを私は3つ持っている。
光、お花畑、海。
今回のスライドは海のイメージを借りました。
あたたかい温泉に浸かるようなイメージだった。

半月が昇るピアノを聴いた帰り道。
たった1人の名前のある人にこのままの私が愛されている。
誰がなんと言おうと。

私には愛がある?愛はない?
あるとか、ないとかじゃなくて、私の存在そのものが愛。

春風のような愛の人が、私に軽やかに「愛してるよ」の言葉を伝えてくれた。
私は、この言葉がほしかったんだ、と気づいた。

選んだ愛を能動的に受けとる。
それが、飲む行為。

愛の中に立っている。
時には足だけを浸して、時には肩まで浸かって。
愛を思い出しながら、忘れても必ず思い出せる。

この旅をもっと一緒に歩いてみたくなったら、ぜひこちらのnoteから動画をご覧下さいね。
話してみて
やっぱり私は確信しているんだと思った。
今、愛が感じられない、どこか人ごとのように感じていても、必ず愛を思い出すことはできる。
私は愛を思い出せた。だから私は信じている。
私が、「愛があるのは分かります。けど、それって私に関係ないですよね?」と愛がない設定の世界を生きていた所から、愛のOSを更新して、愛がみえる、ふれられる、受けとれるになったから。
だから私は、今は愛が分からなくても、いつか思い出せる日が来ることを信じています。
概念としては愛が分かるけど、自分のこととまったく結び付けられなかった私が、恐いという気持ちも抱きながら愛にふれて、浸かって、受けとって。
とうとう、私の本当の名前、愛でした!を思い出して、今は自分も愛と関係していい、愛の中に始めからいたんだね、と気づけました。
だいぶこの1年で、愛を思い出してきたなぁと改めて感じた時間でした。
この場を分かち合ってもらったみなさん、場を開いて下さったaimiさんに感謝です。
ありがとうございました。
愛が流れていた時間でした。
私として力いっぱい生きること、生を楽しみましょう。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
何かが残ったら、
そのまま持ち帰ってもらえたら嬉しいです。
スキやフォローは、余裕のあるときにどうぞ。
もし、この文章を読んで少し話してみたいな、と感じたらはじめての対話のご案内を、こちらに置いています。
軽くおしゃべりするような時間で大丈夫です。
愛について、まだ言葉にならない気持ちも、そのまま持ってきていただいて大丈夫です。あなたの中にある光を、一緒に見つけられたらうれしいです。
▽愛を思い出せなかった頃から、思い出せた瞬間までをZINEにしています。販売中です。
よかったらこちらのnoteもどうぞ
▽私の愛を思い出す旅をマガジンにまとめています
▽開催前の私の気持ち
▽私について
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