愛は誰にも奪えない一生の財産になる
感覚として分かることに、名前をつけてもらった感じ。
春の日差しでありたいライフコーチのなほです。
剥がれては還り、ころん、と生きる。
私は愛だから、いつでも私に愛を注ぐよ。私は私の手をずっと離さない。
あなたには愛の財産はありますか?
両親からたくさん愛情を注いでもらったよ。
パートナーから。
子どもたちから愛をもらっている。
体験してきたことから生まれる言葉、ただ信じ切って手渡してもらう言葉の強さに焦点が当たっていたけれど、愛を分けてもらっていた。
愛をもらうこと、その体験は愛の財産になる。
▽このnoteでふれたことのあるエピソードです
愛を分けてもらってたんだ
信じて手渡してもらった言葉は、光となって相手の中で光を放ち続ける。
そして、そういう言葉を手渡してもらったことがある人は、その言葉を同じように誰かに手渡せる。
自分の体感から出てくる言葉に勝るものはない。そういう切り口で当時の私は受けとっている。
けれど、あれは愛を分けてもらっていたんだ。
相手の人は、本当にそうなると信じていると私は感じていて、私が全然信じられないことを信じてもらっているから、どうしてそんなに信じられるのか、言い切れるのか、と私は尋ね返している。
だから、記憶に残っていて、またこのエピソードにふれて、思い出しました。
その人は、お母さんから、「絶対、運命の人と出会えるからね!」という愛をもらっていて、だから、その言葉を同じように私にかけてくれた。
絶対という強い言葉にも私は反応していたし、結婚というのも、なかなかふれたくないものでした。
そもそも、愛が分からない、ない設定の世界に当時の私は生きていたので、結婚自体が違う世界の話過ぎて、なぜ私が絶対に素敵な人と出会って結婚できる、と言い切れるのか、信じ切れるのか、びっくりして、不思議でした。
けれど、お母さんから自分もそうやって信じもらって同じ言葉をかけてもらったことがある、という話を聞かせてもらって、私は「謎が解けた」と書いている。
そうやって、ずっと心の中で光を放ち続ける、誰かにもらった言葉が光となり支え続けてくれる。
それもお母さんから贈ってもらった言葉。
そういう言葉を持っている人は強いし、素敵だ。
当時も書いているけど、純粋に羨ましいな、やっぱり。
愛の財産は誰にも奪えない
「究極の許可出し」
「根拠はいらない、一切いらない」
「信じている」ことの強さ。
究極の許可出しを他者からもらう経験がどれだけ大事か、それを肌身で知っているというのは、私が母からもらった、誰にも奪えない愛の財産である。
と結んであった。
愛の財産なんだ、というのがつながって、私が感じていることは、これだ、と思った。
たった1人に愛されていると分かったからもう十分
大事な人のお母さんに、私、今愛されている、って体で分かった瞬間がありました。ストンってお腹に落ちてきた。
今の私のままで愛されている。
完璧じゃないのに、愛されている。
自分が愛されていい存在だと思えていない、許可できていなくて、愛に足る人間か、という問いがあった。
何かが出来る私でいなければ、価値がないと思っていた。
だから、このままの私で愛されているというのは、本当に大きな出来事でした。
あなたは愛されている、愛されていい存在だよ、という究極の許可出しをしてもらった、とも言える出来事だったのだと思います。
両親との間でその愛を感じられていたら良かったのにな、と思うことはあるけれど、特別不幸だとも思わない。
だいぶフラットに見られるようになりました。
そして、あ、私、愛されている。
誰が何と言おうと、今この瞬間、私は愛されているや。
って分かりました。
世界から私は愛されちゃっている。というおまじないを授けてもらっていた。
けれど、名前のある、存在している実感のある人に、私は愛されているということが分かった。
それまでも私は愛されていて、愛をたくさんもらっていたけど、頭で分かるレベルで、腹落ちしていなかった。
この時に、たった1人の名前のある人に私は愛されているって分かったから、もうこれでこの先の人生、一生、生きていけるって思った。
この実感、この瞬間がありさえすれば、もう十分だって思った。
この、愛されているという実感が体で分かったからそれを持ち続けて生きていける、奪うことは出来ない、というのが、愛の財産を私はもらったんだ、ということだと今回、気づかせてもらった。
当時は、この愛があればこれ以上はもういらないって思っていたけれど、今はもっと愛を受けとっていいんだな、って思えるようになりました。
「愛してるよ」って言葉も受けとれる私になりました!
ハリーのお母さんの愛
「肌身で知っている」という言葉にふれて、この物語を思い出しました。
ハリー・ポッターはご存じですか?
生き残った男の子。
ハリーの両親は命を落としたけれど、どうして生き残れたのか。
それはハリーのお母さん、リリーの愛がハリーを守ってくれたから。
愛の護り。
だから、ヴォルデモートはハリーにふれることが出来ない。
無償の愛という言葉があるけれど、それが可視化されたのが、リリーの愛の護りなのかな、と思いました。
そして、この物語の中では、魔法として守ってくれている、という部分もあるけれど、
現実世界でも目に見えないけれど、愛された記憶、言葉、感覚は、私たちを支えてくれて、守ってくれる、と感じました。
愛は財産になるから。
まとめ
誰も私から愛を奪えないな、と感じます。
愛がない設定の世界から、愛があるにOS更新して、愛がある世界の中にもういた、私も愛と関係していいんだ、ということが分かった。
だから、愛がないかもしれない、愛が恐いって揺れることがあっても、もう愛がない世界には戻らないし、戻れない。私が愛そのものでもあるし。
ここから先の人生は、私は愛がある人生を生きていける。
それはもう誰にも奪えないなって。ここに私は確信がある。
この瞬間があったことを忘れなければ、生きていけるって思ったのは、愛の財産をもらったからだね。
あのピアノの夜の瞬間だけじゃなくて、私は、私以上に私を信じもらう、愛をたくさんもらっている。
言葉だけじゃなくて、まなざすことでももらっている。
言葉は愛の通貨。
これは、私の受けとりやすい愛のかたちが言葉だから、そう呼んでいるのだけど、愛は財産にもなるんだね。
凪いでる海のような人、私を愛してくれているって感じさせてくれたあなたに心から感謝です。
ありがとうございます。
今日もここまで読んでくださり、ありがとうございます。
この場所に、その日の気づきを静かに置いています。
また、書きにきます。
もし、この文章を読んで少し話してみたいな、と感じたらはじめての対話のご案内を、こちらに置いています。
愛について、まだ言葉にならない気持ちも、そのまま持ってきていただいて大丈夫です。あなたの中にある光を、一緒に見つけられたらうれしいです。
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