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仕事は、楽しく生きるためのラッキーチャンス(クライアント) コーチング

冬の静けさと灯りになりたいライフコーチのなほです。

剥がれては還り、ころん、と生きる。
きらきらしたら、ぷかぷかに戻るリズムの中で、私のままで、もうすべてそろってる。

コーチには守秘義務があり、コーチングセッション(コーチと2人で対話する時間をこう呼びます)で話したことが外に出されることはありません。
このnoteは、私がクライアントとしてコーチングセッション(練習でした)を受けた記録、それをさらに深めた内容です。

※noteをご覧になったコーチからのコーチング相互セッションはお受けしていません。

私にとって仕事とは、もはや楽しく生きるための1つの手段でしかなくて、お金のためにするものではない。
外の世界で仕事がどう考えられていようと、私には関係がない。
ラッキーチャンスだから、楽しいなの感覚を大事に。
循環するのが理想の姿。
私は私のまま呼吸しているだけでいいのギフト。


きっかけ

アルバイトを週に2日くらいしたい。
お金を稼ぎたいではなくて、地域の人とつながりたいな~。

そんな話をした時に、今までの私の仕事に対する考え方からだいぶ離れているということをフィードバックされて気づいたことがありました。

お金は生きるためにいる。

だけど、自分の余白を奪うような働き方はしたくなくて、アルバイトもお金を得られたら何でもいいではなくて、フェリーで働きたい~ってなっていた。

船が好きだから、船に乗れる仕事いいな~の安易とも言える考え方。

そこで、私は仕事がすべて、という生き方をしていた頃があったので、ずいぶん遠くまで歩いてきたな、と思ったのでテーマにしました。

仕事・働くとは?
これまでも何度も考えてきたことではあるけど、変わってきている、どう仕事観が更新されたのか、を考えてみたいと思いました。

仕事が私のすべて、私から仕事をとったら何も残らないと思っていた時期があって、今は仕事は私の一部だ、という認識までは出来ていた。

地域とつながるをしたくて、アルバイトをしたい、と話したら、他に仕事にどんな意味がある?ということから始まっていった。

楽しく生きるためのもの。

お金を稼ぐは基本にあるんだけど、圧倒的に優先順位が下がっている。
私は、好きなことを仕事にしてそこで自己実現もしたいタイプでした。

今も自己実現を仕事に求める考えは変わらないし、それが良しとされない考え方があることも承知している。

外の世界との比較から

非常識だと思う。

と私は話していて、それっていわゆる世間一般の仕事観から見ると、非常識ということだ。

楽しく生きることが私の大前提で、楽しく仕事したい。
楽しいが一番優先されていて、楽しくもないことはしなくていい、になっている。

これは、お金に起きたこととも同じだとつながっていて、お金は特別価値のあるものとされていたのが、他の楽しいものと同列に並ぶようになった。自由や楽しいと交換するためのチケットだ。

仕事も、私は仕事からすべてを与えてもらっていた。
存在価値と言ってもいい。
役に立っている私、信頼、お金、評価、やりがい、成長、すべてを仕事に求めていた。

けれど、今は、私の全部ではなくて一部であると同時に楽しく生きる一部でもある、が分かった。

私の世界では起きるべくして起きた更新

外の世界の常識、いわゆる仕事の第一義はお金を稼ぐことである。
それと比べると、楽しく働くが最も優先だ!という考え方は非常識だと感じていた。

だけど、それを切り離して、私の世界だけで見ると、起きるべくして起きた仕事観の更新だと思えた。

私は「楽しい」って感情を味わいながら生きたいと思っている。
理解が深まってカチッとはまるがたくさん起きるのが好きだし、好奇心がコンパスで生きることが私を生きることだ。

だから、私が楽しく生きたいに向かっていく中で自然と起きたことだと思った。

楽しく生きるの一部に仕事があって、外の社会では仕事・働くと呼ぶのかもしれないけれど、私にとってはその概念はちがう、合わなくなっているということだった。

そのラベルは、社会から見たらそうだけど、私にとっては楽しく生きる、そこに「仕事」という呼び名がついていて、お金ももらえること。

それを何て呼ぶ?って名前をつけるなら?って尋ねてもらったので、

「ラッキーチャンス」と呼ぶことにした。

楽しいなってそこで思えてすることに、お金までもらえちゃう。
ラッキーチャンス。

なかなかいい呼び名だわ。

帰り道を歩いている

ここに至るまでは「変化」があったのでは?という問いかけがあって、確かに変化と言えると思う。

けれど、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」、みたいな感じで、私はフィードバックされるまで、仕事が地域とつながるためだとか、お金が第一義ではない、役に立っている私を証明するツールではなくなっていることにも気づいていなかった。

だから、「変化」という言葉が少ししっくりきていなかった。

私に還っていっただけ、と捉えていた。

玉ねぎの皮を剥いていって、芯に近づいた。

本来の私に還るための帰り道を私は歩いていて、そこに近づいていっただけで、A→Bという変化をした訳ではない、と話した。

全体性を回復し続けていて、今も私の全体性の一部が回復された。

仮にお金を目的として働くをするとしても

働くとなると、前の私に戻りそうだというリスクも見えた。
お金をもらうからには責任がある、お金以上の価値を提供せねば、全力で向き合う、みたいなのが私の働くだったから。

めっちゃ第2の私の匂いが漂っている。

けれど、仕事にもいろんな層がある、が分かった。
お金を稼ぐという層、楽しいを感じながらする層がある。

だから、仮にお金を得るために働くなら、そこに楽しいがなかったとしてもそれはお金のためだよねって、ちょっとクールに見られそうだと思った。

今までの私なら、必要最低限のことしかしない、省エネモードで働いている、出来るだけ楽をしたいという働き方の人を目の敵にしていた。

だから、全力で働かない自分は許せなかったと思うけど、そういう働くを選ぶとしても、ラフに働けそうだと思った。
ラッキーチャンスの働くをする。

自信があるように見える

コーチが感じることをギフトとして贈ってくれることがコーチングを受けることの喜びだと思う。

とても自信があるように見える、と言葉を贈ってもらった。

それは、そうなんだと思う。
前の私が自信がなかったのか、と言うと必ずしもそうではない。

肩書きのない、仕事のない私には確かに自信はなかった。
けれど、それを補完するために私は看護師として働くことに情熱を燃やす、それがすべてと言えるくらいに努力して全力で向き合っていた。

その世界しか知らなかった私は、その世界では立てるようにして立っていた訳で、今の地点の私から見ると、不幸かもしれないけれど、その世界しか見えていなかった私にとっては、自信は肩書きによってあったのはあった。

今は、ただ呼吸しているだけで私は自信がある
たとえ何も生産的なことをしてなくて、ベッドで一日ごろごろしてスマホをいじっていただけだったとしても、自信がある。

自己信頼。

今回のコーチングでは、表面的には、私にとっての仕事観の更新、仕事は私の全部ではなく一部、それも私自身の一部というよりも楽しく生きるための一部だ、と更新された。ラッキーチャンスなのだ。

そして、私に還る道を歩いてきた中で、私は仕事によって自信を補完することで立っていた私から、そのままの私で私を信じるが出来るようになってきた、をちゃんと見つめて、祝福してもらった時間だった、と思う。

仕事観の更新を言葉にすることと、私がどう生きるか(=私が私を信頼する、自信が育っていること)のインテグレーション•ジャーニーで言うところの「成長・帰還」のフェーズを耕してもらった。

ラッキーチャンスとして働くをするには?

自由を許すこと。

コーチとして生計を立てることにもっとリソースを割けよ、向き合えよ、という声も聞こえるけれど、地域とつながるのアルバイトも私にとって楽しく生きるに関わること。

バランスでもあり、コーチングにすべてを背負わせない、背負わせ過ぎないだと思った。

私の人生の庭にはいろんな花が咲いている。

コーチとして生計を立てるに向き合うこと

私は、コーチとして生きるについては引き受けていると言い切れる。
ただ、生計を立てる、お金をコーチングで稼ぐというお皿の上にのせると、雲行きが怪しくなる。

とてもふんわりとしか向き合っていない、と話した。
けれど、それをしちゃうと私のコーチングが息ができなくなるみたいなことも分かった。

コーチとして生きると決めている今の私が、コーチングだけで看護師の時と同じようなお金を稼げたらいいけれど、今すぐにそれをやろうとするのは、私が健やかに生きられない。

循環するのが理想

仕事や働くが、循環するのが理想だと話していた。

コーチングという場で起きていることととても近い。

互いに何かを与えあっていて、受けとっている。それは目に見えるものかもしれないし、癒しや感情的な動きかもしれないし、エネルギーかもしれない。

そして、そこにお金も自然と循環する。

そういう働くが理想だ。
お金も含めたすべての私とあなたの間で循環が起きていくこと。
ラッキーチャンスの理想のかたち。

生計を立てることにこだわることが大事で、コーチとして生きるにそれも含まれることは分かっている。

けれど、コーチとして生きるを引き受けている今ここの私は、「生計を立てる」を背負うには少々重いと感じているようだった。

まとめ

仕事観は多様であって良くて、かつての私のように仕事そのものが私の生きる意味であってもいいし、面白くないことを我慢してお金をもらうのが仕事という捉え方もあっていい。

私にとっては優先順位の入れ替わりが起きていて、ラッキーチャンスになった。
また、私が「私」を信じる力を昨年の下半期握って生きてきたのが、ちゃんと育まれているよ、をコーチに見せてもらいました。


コーチに心から感謝です。
エンジェルがたくさん巣立っていて、私の所にも今日また新たなエンジェルさんが舞い降りてきてくれた時間でした。
ありがとうございました!

銀杏の木なのは、きっと照らされているからだ、と思いました。
明るいだけではないんだ。

私は大きな木のようだと感じていて、それは銀杏の木だった。

黄金色(黄色じゃなくて黄金色だ、が分かった)の銀杏は私を照らしてくれていて、あたたかく照らしてくれる所が大好きです。

銀杏の木が落葉する中に見上げながら私は立っている感じ。

楽しいままで幸せになるを許すは、だいぶ出来ているし、コーチングが楽しいままでいいよも、ちゃんと許せているなぁも、書いてみて気づいた。

コーチングが楽しいままではいけない、という呪縛もかつての私にはあった。

生計を立てるには?にもう少し向き合う必要がある、がはっきりした時間でもあった。
ふわふわさせている自覚はあるからだ。

同時に、少し息苦しい、背負うのは重いと感じている私もいるから、未来に向かってちゃんとその種に水をやり続けるし、まず一回腹を決めて向き合うだ、とも思う。

背負うなの?という問いもわいてきてしまったのだけど、諦めるつもりはなくて、コーチとして生計を立てるもちゃんと私は描きたいです。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

何かが残ったら、
そのまま持ち帰ってもらえたら嬉しいです。

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よかったらこちらのnoteもどうぞ

▽2019年の私が考える仕事とは

▽2024年のコーチとして生きるを一部にしたい私

▽仕事は人生の本業じゃないのよね~


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