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今は見えなくてもいい愛もある 父親から子どもの私への愛

他の人との間にある愛はふれられるのに、父親から私への愛は見えない。
私が父親を愛していたも分かったけれど。

秋口の陽だまりになりたいライフコーチのなほです。
剥がれては還り、芽吹いていく旅の途中。
胸に宿る小さなひかりは、そっと世界を照らしています。
きらきらしたら、ぷかぷかに還るリズムを大切に。

愛がある世界に住んでいるみなさんは、愛が見えないは起きますか?
起きないのかなあ?

愛があるとは思うけど、分からないという感覚です。

私は、父親が私を愛していたということが「見えないや」って思って悲しくなりました。
あったはずと想像できるけど、見えないのか見たくないのか。

愛されていたよね、愛はあったはず、その想像はできるけれど、私は想像じゃなくて過去においても愛されていたをちゃんと見たかった。
けれど、「ない」と認識していたものを見るのは難しくて…。
今は見えなくていい。悲しまなくていい。


父親から私への愛が見えない

「私は父親に愛されている、もうそこに愛はあるんだよ、あったんだよ」という目で見ようとすれば、今なら見つけられることも分かるけど、そうできない。
与えて欲しい、になっている。

これは、私が私のために書いたnoteの一部です。
「愛がある」にOSを更新したから、私は父親から私への愛もあるよね、という目で見られるようになっている。

と思っていました。

「大学生の私」、「もっと子どもの私」のことを考えていて、父親が私を愛している、を見ようとしたけど、見つけられない。

それが、私は悲しかった。

感情がマイナスに振れていたことも関係していると思うけれど、子どもの私や大学生の私が愛されていたと思えなくて「悲しい」が残っていた。

他の人との間においては、私は愛を受けとったり、愛があるって楽しくふれる、感じるが出来るようになってきたから対比で余計に悲しかった。

今の私は愛があるだけど、過去においてはない設定

今は、愛がない設定で生きていたこと、それは私を守るための生存戦略だったことが分かっている。

だけど、大学生の私も子どもの私も過去で、愛がない設定の世界で生きていた。

私がどんな世界を生きてきたか、は今の私に影響がある。

過度に過去に原因を求めるのは好ましくない。

けれど、愛においては影響はある。

両親からの愛はあったけど、感じるにおいては薄かったよね、と理解している。

だから、今の私が見ようと試みたけど、「ない」ものを見ようと、あるよねって目を凝らして見ようとした。

だけど、「ない」から見えない。
過去においては「ない」だったから。

それを「今の目」で見つけようとして、見つけられる可能性もあると思うけれど、見えないという感覚だった。

もともと、父親が私を愛していたの表現がちゃんと受けとれていなかっただけ、と思っていたし、おそらく父親も伝わるように表現してくれていたかは分からない。

また、世間一般においても「母親の愛のかたち」についてはたくさんの表現があって学ぶことが出来る。

ご飯を作る、熱が出たら看病する、褒める。

だけど、父親から子どもへの愛の表現については世の中に情報として量が少ない。

自分の体験としてもほとんど感じられていなかったと思っている上に、外の世界から学ぼうにもサンプルが少ない。

だから、「愛がある」にOS更新しても私にサンプルがないから、見えないし、ふれられない。

だから、悲しまなくていいが分かった。

私は救われた。
メンターさんと話していて、私は救われた。ありがとうございました。

いつか受けとれる日は来る。
タイミングが今ではないだけ。

悩みを悩みのまま持つ

「ともにいる」だ。

悩むもそのままにしていい。

最近出会った言葉だと、「問題を問題のままホールドする」。

その体験そのものが私には必要なのかもしれない。

表層には転居を父親に知らせるのか、知らせないのかという問題がある。

仮に、2択だとするならメリットとデメリット、これからどんな関係になりたいのかを検討すれば、簡単に解決することも出来る。

だけど、そうさせていない。

そうしないを私が選んでいる。

(郵便局に転居の転送依頼は出しているから、その点では時間はある)

さらに、そうできるのは父親が生きているから。

時間は有限。

私にとって、最初の手紙を出すのはわりと早く行動した。
それは、伝えないままに父親が亡くなったら後悔するがあったから。
第一段階みたいなものは、私は完了している。

このテーマと「ともにいる」ことを私は選んでいて、保留にすることが出来ている。
それはコーチングにふれているからだと思う。

まとめ

「父親と私」という関係性においてだけをここに書きました。

俯瞰でみると、私の人間関係の作り方、他の人との関係にもつながっている話で、人間やってるなぁと思う。
それぞれが単体に存在しているのではなくて、私という1人の人間の中ではちゃんとつながっている。

人間関係という同じテーマだからつながっているのではなくて、働くを考えていたら、人間関係につながることもあって、入口や光をあてる面がちがうだけ。

「時間が有限」は確実に頭にあるけれど、心が追いつくには時間が必要。

ともにいるが出来るようになっているなら、ともにいよう。
悲しまなくていいんだよ。

それに、私は私を愛している。大学生の私も子どもの私も愛している。

だから、与えて欲しいって思う、見えるようになりたいは持ってていいけど、すべての愛が「ない」じゃなくて、愛は「ある」。

今の状態を受け容れる、私が私を受け容れるをさせてもらった時間でした。
メンターさんに感謝です。ありがとうございました。

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これからも「愛って何?」「親子関係」について書いていくので、フォローして楽しみにしていて下さいね。

私にある愛を見つけた時は、「それ愛だよ、あふれているよ」って教えてもらえると助かります!

読んで頂き、ありがとうございました!

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