愛を交換できるのは、私は愛だから
交換するには、私もそれ持ってる!じゃないと出来ないんだ。
春の日差しでありたいライフコーチのなほです。
剥がれては還り、ころん、と生きる。
私は愛だから、いつでも私に愛を注ぐよ。
私は私の手をずっと離さない。
あなたが最近交換したものは何ですか?
シール帳を持ってるから、シール。
お互い仕事をがんばろうってエール。
お金とおいしいご飯。
循環じゃなくて、愛を交換したい。
それって欲張りで、厚かましくて、望んでいいことなのか。
そういう気持ちがあったけど、交換したいと思う私を受け容れた。
それは、私と同じ温度で、深さで、そして互いに私のままで交換するが叶った体験を通して、交換してもいいと思えるようにしてもらった。
愛がほしい、私に愛があるの?あなたは愛のかたまりさんですよね?と思っていた私は、私自身が愛だったを思い出させてもらって、愛の循環を感じてきた。愛を交換するを体験した私は、交換してもいいと思えた。
交換できるのは、私も持っている、私が愛そのものだから。
愛がほしい
少し前、私は愛がほしいんだと思っていて、それを言葉にしていた。
本当の気持ちだったから。
私にとってとても大切なテーマだったから。
ほしいってずっと言えなかった、置き去りになっていた願いで、子どもの私の願いでもあり、大人の私の願いでもある。
そんな風に感じていた。
だから、愛を与えてほしくて、ふれたくて、受けとりたかった。
”もっと”愛がほしい、だった。
同時に、周りに求める前に自分で自分に愛を注ぐ、注げることが先だ、とも思っていたから、その努力もしていた。
私が私に愛を注ぐこと。それが一番大事。
私にある愛を分からないふりをしていた
そういう時期がありました。
愛がほしい、と思っていたから。与えてほしい。
まだ私はその季節にいるんです。
だから、与える側に立たされる訳にはいかない。
ひとたび私にある愛を自覚してしまったら、あるって認めてしまったら、私は愛を与えなければいけなくて、それはもう与えてもらう側になれないことだと思っていた。
私の思い込みであって、与える側にも受けとる側にもみんななれる。
だけど、自己犠牲で生きてきた私は、自分が与える側に立つことはあまりしたいことではなくて、そうしているうちに、どんどん自分の愛は減っていって、枯渇すると思っていた。
だから、私に愛があるの?って見ようとしていなかった。
周りの人から、あるよって言ってもらうことで他者を通して認識することはしていて、ほんとかな?って認めたくないってやんわり拒否していた。
それを、愛を持ってるとか、持ってないとかじゃないよ。
あなたは愛だよ。愛そのもだよって、私の名前を思い出させてもらった。
交換は持っている人しかできない
愛は循環しているな~。
愛にふれて、浸からせてもらって、自分で選んだ愛を口から飲むをし始めた。受けとれることもあった。
循環も素敵なことだけど、私、交換したい。
愛を交換したいんだ!
そして、愛を交換してもらった。
それも、とても美しい人に。
私をやわらかに受けとめて、あなたの海と私の海の重なる所で交換しましょうって。
愛を交換したいを叶えてもらっていて、交換してもいいって私に許せた。
そして、ふと気づいた。
愛を交換できるのは、私が愛を持っている、愛そのものだから出来るんだ!!
交換は、持っている人しか出来ない。
もし、私という器が空っぽなら、愛は与えてもらうもので、補給で一方的なものになる。私は受けとる人。
愛がもっとほしい、そう思っている私なら、与えてほしいで、相手の愛をただ求めるだけで、やっぱり交換ではなく、満たしてもらうもの。
実際には、私は愛を漏らしているんだな~の感覚はあったので、ゆるく交換は起きていたかも。
けど、私には私の愛という海があって、私の器に入っている。
そして、相手にも相手の愛の海があって、相手の器に入っている。
だから、分かち合えるし、重なる所があるって感じるなら、そこで交換することが出来る。
必ずしも重なっていなくても交換は出来ると思うけれど、私は私と同じ温度で深さで交換したい、と思っているから。
近い周波数ですね。私の音が届いたよ、で応答してもらった。
私は愛だよ、が当たり前になってきたかも
私にとって、愛がある世界というのは特別だった。
空気のように愛が存在している世界。
ときどき、愛のネイティブスピーカーだと感じる人たちの感覚を聞くと、そんな風に世界が見えているんだな、って距離を感じることがある。
受けとるかどうか。そこに重きはないんだよ。自由にしていいんだよ。そもそも、届けようという感覚ではない、と聞いて驚いたことがある。
私にとっては特別で、非日常。
だから、私の世界の普通になったらいいなって。
私は、愛がない設定の世界から愛があるにOS更新した。
愛を思い出す旅の途中にいる。
その途中で、私は愛そのものだった、を思い出させてもらって、ほんとにそうかしら?って戸惑っていたら、そうだよ。こっちだよって、私も愛だから、仲間だよって腕を引っ張ってもらった。
私、愛だったんだ。
それが嬉しくて、愛として生きるをし始めた。
愛がある世界は、少しは私の特別ではなく当たり前に近づいたのではないか。
愛だから交換できた
交換するには、互いに持っていなくちゃ出来ない。
それに、一方的に届けたり、与えたりも必要なことがある。
けれど、双方向であたたかい関係を私は人との関係において作りたいという願いを自覚している。
だから、愛も交換したいんだ。
互いに交換できる愛があること。
私に愛がある、愛そのものだから交換が出来る。
そんな事実に気づいて、私は愛を思い出す道を歩いているな、と感じた。
『Prema』、凪いでる海のような人、水と風を感じるあなた、よっちゃん、美という文字を名前に持つあなたに感謝です。
やっぱり人との出会いが私の愛の世界、愛を思い出す旅を進めてくれるんだよね。不思議だけど、そうなの。
愛と出会うから、私はどんどん愛になっていくのかもしれない。
今日もここまで読んでくださり、ありがとうございます。
この場所に、その日の気づきを静かに置いています。
また、書きにきます。
もし、この文章を読んで少し話してみたいな、と感じたらはじめての対話のご案内を、こちらにそっと置いています。
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よかったらこちらのnoteもどうぞ
▽愛だよって思い出させてもらった時
▽こっちだよ。私自身が愛そのものだというのはほんとだよ。
▽愛を交換してもらったんだ
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