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全部を受けとらなきゃ?愛を受けとる

春の日差しになりたいライフコーチのなほです。
楽しいは、自然に訪れるもので気づくもの。
自分で自分に水やりして、私が私に愛を注ぎます。

人から何かをもらったり、与えてもらった時に、抱えきれないと思うことはありますか?

こんなにたくさんもらっていいの?と戸惑ったり、嬉しいけどこんなにいらないと思ったり、多すぎるけど、幸せだと思う?

私には、何かを受けとる時の基本設定が「全量モード」しかなかったっぽい。
与えてもらうもの、渡してもらうものは、全部受けとる。
「いらないよ」なんてしない。

「選択モード」が搭載されてなかった。

これだけで大丈夫です。
必要なものだけを頂きます。
ひとまずこれとこれだけ受けとります。

という「選んで」受けとるがなかった。

それは、愛を受けとるについて、ぼんやり考えていた時に思ったことです。
全部を受けとらなきゃって思ったから、「愛が恐い」になったという側面がありそうだと思った。

こんなに大きくて深い愛を向けてくれる人が、目の前に急に現れたって私は感じたから恐くなった。
それが愛って気づくのに時間がかかっていた。だから突然現れた感。

どうしたらいいのか分からない。

いくつかの要素があるけど、その1つが「全部」受けとるのは出来ないって感覚。

自分のペースで愛にふれたらいいんだってことを「恐い」を抱きながら近づくにはを考えた時に思い当たっていて、それは自分で調整していいってことだった。

全部を受けとらなきゃは、人との間で私を守るために培われた。
愛だけでなくあらゆるものを私は「全量モード」で受けとるが基本だった。
けれど、選択していいを伝えてもらっていたから、これは思い込みでは?の問いが立った。
選択していい、常に全力でいることは消耗が激しい。


愛と父親から持たされた時の感覚が近い

感覚として、愛が深い人で私にそれを向けてくれていると気づいてしまった時の近づくのが「恐い」と、父親から1人で持てないと思うような重たいものを持たされた時の感覚が近かった。

愛と父親から持たされたものって、対極にありそうなのに同じような感覚だった。

父親から持たされたと感じたのは、心の支えになって欲しいという言葉。

私は父親に支えて欲しいとは思っていなかったけれど、自分が支えるという役割はおそらく最も避けたい役割だった(いつまでも子どもとして扱われたい子どもの私がいるから)。

世間的には「年老いた親を子どもが支える」は普通なのかもしれない。
けれど、私にとってその役割は引き受けられないものだと母親との関係を通して私は学んでいる。

急に重過ぎる責任を持たされた(持たされそうになったから、私を守るために持たないを選んだ)。

重過ぎて1人で持てないってなってしまった私は、潰れた。

ぎりぎり潰れていなかったのかもしれないけど、泣いている感じがした。

実際は、感じることをやめようって防衛反応が多分働いていて、感情を感じることをゼロにした。
だから、一瞬泣いただけで泣けなかった。

この2つの共通点は、相手から渡されたもの全部を私が持たなければ、受けとらなきゃいけないと感じた所だと思う。

そして、どうしたらいいのって分からなさに立たされる。

「受けとる」と「持たされた」というのは異なるけれど、私にとって大き過ぎる、重た過ぎるものだ。

それを持てる分だけ、とか受けとれる分だけという選択肢がなくて、全部を1人で持たなくては、の前提があった。それも今すぐに。

全量モードしかない私

愛はそもそも探索中なので、ちょっと置いておきます。

基本、私は何かを与えてもらったら、全部を吸収しようとする。
私の中では当たり前。

例えば、学びが典型です。
これは学ぶの大好きが拍車をかけているけれど、全部をきちんと理解しよう、吸収しようとする。

これ、イメージとしても印象に残っていて、成長のイメージが雨が降ってきたら全部を体に吸収するだった。全部の雨を吸収する。

情報についても多分そうで、必要な所だけというのが苦手そう。

読書もそうで、基本全部を読んで正しくしっかり理解したい。
だから、学びという視点があるものについては、受けとるのは全量になって、選択して何かを受けとらないがない。

相手に対する誠実さ

全部を受けとることが私にとっての誠実さと結びついている。
ちゃんと聞いている、理解している、そういう態度が私にとっての誠実さ。

だから、流したりすることがなくて(出来なくて?)、受けとるのは全量。

そこには聞こえが良いように言うと誠実さだけど、全部を受けとらなかったら、相手との信頼が壊れたり、嫌われるという恐れがあります

完璧さが欲しい

そこまで完璧主義だとは思っていなかったけれど、看護師という仕事で培われたのだと思います。

捨てていいこと、見逃していいことなんて存在していなくて、抜けや漏れがないように全部をちゃんと受けとるというか観察する。

また、全量を受けとることは、自分を安心させる面もある。自分を守る。

そして、全量を受けとれるという完璧さは誇りでもあったんだと思います。

優等生の私

いろんな所で出てくる私。
親や先生の期待にこたえる私を長いことやっていたから、すべてのオーダーにこたえることが私の生存戦略だった。

出来ないとか、やらないという選択はそこではおそらく消去されていて、やるしかなかった。

これも受けとる時は全量モードしかない。
の背景にありそうでした。

受けとるというより全部をキャッチする、顔色をうかがう。

また与えてもらうものが、とても多かったと思います。
子どもの私は与えられるままに全部を受けとっていた。

選ぶということもだけど、やりたくないも、そもそも意思表示できない子どもでした。
いらないって言うこともなかった。

完全な受けとるは全量モード。
やりたくないも受けとっていた。

書いてみて少し分かったのが、
たくさん与えてもらっていたことは感謝すべきことって私は今まで思っていて、何も言えない引っ込み思案な子どもだったと思っていた。

それは私の責任で、私に意思はなくて透明だったと思っていた。
けど、透明ではなくてイヤだと思う気持ちはあった。

たくさんのものを与えてもらっていたのは、良いことなの?
良いことだから、受けとるの?

たくさん与えてもらうことが良いことかどうか、違ったのかもしれないと、初めて思いました。

親に感謝しないと、って思っていたけれど、私は本当はそんなにたくさんいらないって思っていたのかもしれないし、イヤなものもたくさんあった。

図鑑も童話集も、習い事も、全部与えてもらっていたけど、窒息しそうになっていたのではないか。
そんな風に思いました。

有無を言わさず受けとらされていた。
そういう見方もできると思いました。

強みとしての全量モード

その場に起きていることをとりこぼさずに理解して整理することが出来る。

他者と共有したい場合、これはとても便利です。特に伝達が必要な勉強会などでは全量モードで学びを受けとることが必要。

noteに学びを書いている時も、私視点ではあるけど、全体を漏らさずは出来ていると思う。
昆虫採集してピン留めしている感じです。

記録を残す必要がある場合も活かされていて、何が起きたのかを詳細に時系列に沿って記録しないといけない場面、私は得意でした。
議事録も得意。

また、私はクライアントとしてこの感じが活かせると発見していて、コーチングを自分が受けている時に、その時間に話して起きたことを最後にほぼ正確に話すことが出来る。

何度か驚かれたことがあって、私としては自分が話したことだから普通に要約してるだけなんだけど、ぺらぺらしゃべっていると驚かれる。

言葉にすることで意味を成してくるから、私にとってのその時間の意味を持ち帰ることが出来る。

一貫して受けとるかどうかを選ばせてもらっている

「全部を受けとらなきゃって思い込みがあるのでは?」って問いが立ったのは、態度で示してもらっていたから。

そもそも、全部を受けとらなくていい、これは1つの意見だから、いつでも選んだらいいって態度で一度もブラさずに接してしてもらっていたからです。

選択権をずっと持たせてもらっている。
受けとるか、そうしないかは、私の自由。

「全部を受けとって」って一度も言われていないし、強いられていない。

だけど、私の世界では、全部を受けとる以外の選択肢がなかった。
「いらない」って言う選択肢がなかった。

これは、学ばせてもらっているという関係性が働いているので、学べることは何でも吸収したいの気持ちが働いていたはある。

けれど、渡してもらっていた愛、全部を受けとってと言われていない。
だから、「受けとれる量を受けとる」が出来るようになれたらいいのだと思う。

愛に限らず相手から渡されるものは全部を受けとるが基本設定だからこうなっているんだけど、選択していい。
選んでも、相手が機嫌を損ねたり私を嫌うかは分からない。

全量を受けとるが必要だと思う場面で、それを発揮したらいい。

私の直感を頼る。
相手が悲しい、困っている時、私は全量モードでいけばいいし、大事な人なら全量モードで接したらいい。

常に全量モードは消耗が激しい

全てに対して、等しく全部を受けとらなければの態度で過ごしていたから、消耗が激しかったんだ、が分かりました。
人に対しても学びも読書もふれるもの全部。

選択モード、ちゃんと搭載して意識して使っていくが大事。
本気の学び、大事な人、相手がピンチの時、共有する必要がある時は全量モード。

遊びだったり、疲れている時は選択モード。
私の心が動くを基準に面白い、楽しい、好奇心にふれることだけを選ぶ。

全量モードで受けとるのは、消耗が激しいから元気のある時でないと難しい。

基本設定を選択モードにして、必要な時に全量モードで受けとるにシフトさせるが必要。

感情に対しても、私は受け流せないことでしんどくなったことがある。
今は自覚して距離を取るようにしているから、感情を全部引き受けるはしていない。

そうする時は、意思がある。
あなたの心を預かりたいという意思。

けど、おそらく全部を受けとるが基本設定も影響があったのでは?と思う。
主な原因は相手の責任の範囲まで私が引き受けていたこと(線引きがうまく出来なかった)だけど、感情を受け流せないのは消耗する。

選択できるように練習

まずは、読書から練習。

全部を読むはやっていいけど、学びという点では、面白いとか好奇心とか、そういうものがある所は真剣に読んで、流してもいいし、均一に読むではなく、濃淡をつけて選ぶ。

愛を受けとるについては、どうしたら受けとれる量だけ?は謎だけど、ふれるペースは調整していいって見えているから、ひとまず、「ありがとう」でいのかな?と思う。

「恐い」って発作が起きたら、止まったらいい。

私は愛に足る存在か。

っていうのもあるけど、置いておく。
(愛だけじゃなくすべての根幹の課題だと分かるから)

愛の深いあなたが元気に自由に過ごせていますように。
「ありがとうございます」の気持ちをここに置いておく。

まとめ

全量モードで世界と対峙するのは、がんばっている。
それが必要な時もあるけれど力が入っている。

だから、もっとラフに私は存在していい。
軽やかに自由に人生を歩いて行ける私になる。

これは何かを受けとる全般に言える話でもあるし、愛を受けとるにしても、もう少し軽く捉えてもいいのかもしれない。

愛が軽いものだなんて、思えないけどね…。

けど、深刻に扱うのも違うような気がする。

あたたかいものだから、大事には受けとるけど、ふれるもので感じるものだから、楽しくできたらいいな。

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今日も人間やっている、私。

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