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私は愛に足る存在か?とそのままで愛されるの関係 すべての本当の土台は愛

春の日差しになりたいライフコーチのなほです。
私は私に還るだけ。ちゃんとあるから感覚を研ぎ澄ませて。
ぷかぷかの私が一番自然で健やか、今日も光を放ちます。

私は愛に足る存在か。

この問いを私はしばしば自問していて、けれどこれに答える、考えるのは暗い所につながっていそうだったから、寝かせていた。

きれいに寝かせていた。
私自身の価値を問うことだから。

愛を受けとるにふさわしいのか?
こんな気持ちになったことはありますか?

そもそも愛がある世界に住んでいる人は、そんなこと考えなくて、愛されて当然って感じなのでしょうか?

そのままの私には価値があると信じる力、何でもできると信じる力の本当の土台は愛。
愛があることは、私が思うよりも人生を幸せにしてくれる。


愛があると分かることは自尊感情への水やり

そのままの私に価値があるって思えていなくて、だから優等生をしてきたし、看護師という資格、肩書きのある私、役に立つ私になって、自分を保っていました。

そこから、私にはそのままで価値があるって4月に決めたというか、分かるの感覚になって、それを育ててきました。

そんな中で、愛があるって体感する、分かったかもってなったことは、「愛に足る存在か」という言葉になっているように、自尊感情と関係があると思って、考えることにしました。

愛に足る存在か=私にその価値はあるの?

愛がない設定はすべてにおいて影響する

愛がない設定で生きていた私は、愛というものがない土壌に植えた苗を育てようとしていて、それってカラカラに乾いた土壌で育てているようなものだった。

水がないなら、育ちにくいよね…。

愛っていうふかふかの肥料のある土壌があって、水もやれている。
そういう環境なら、育ちやすいのは明らか。

自己肯定感や自尊感情を育むの根底に愛があるって私は知らなくて、どうして教えてくれなかったの?って思いました。

愛がある土壌があってこそ、自尊感情という苗は育って、葉や花という自己肯定感が育つ。


土台となる土に愛があれば、そこから生える木の幹も葉もあたたかいものになる。すべてを育む土がふかふかならば、そこに咲く花は美しいものになる。

私のnoteから

どんな言葉を発するの?について教えてもらった時の学びとつながった。
「愛がある私」が発する言葉なら、決して自己中心的にはならないよ、って教えてもらったことがある。

私には愛があるって自分ではよく分かっていなかったけど、周りの人がそう伝えてくれるから、あるのはあるよねというのが当時の私。

愛があるのに、ない設定だった。
「ある」って信じる、自覚することが大事だったんだなーと思うのが、今ここです。

多くの人は愛がある世界に住んでいる

もしかしたら、「愛が大事だよ」って私に伝えてくれた人がいたのかもしれない。
けれど、それが私には分からなかったし受けとれなかったのだと思う。

言葉としては、「すべては愛だよ」って聞いたことはあるけれど、私には関係ないものカテゴリーだったから、スルーしていたと思います。

そして、多くの人は無意識で愛がある世界に住んでいるから、わざわざ言葉にしない。

親子関係において、そのままで愛されてきた、感じてきた人たちにとって、愛がない世界に住んでいる人がいるなんて想像もしたことがない。

愛は、空気と同じように存在しているもの。

だから、愛があると分かることが大事って言葉にすることも発想にない。

しかも、愛は頭で分かるものでも、知識として教えてもらう種類のものでもない。

今の私は、愛に頭で近づくをしようとしていて、イメージの世界で考えたことで体感として分かるには近づけたけど、これからたくさん実際に体感していくことが大事になってくる。

愛はすべての土台

人とあたたかい関係を自分から作りたいって練習しているのですが、そこにもポジティブな影響があると思います。

拒否されたらどうしよう?っていう恐さがあって、それは愛がない設定の世界にいたからその恐れが大きかったと思います。

みんなに愛があるし、私にも愛があるって思えてたら、恐さはみんなも持っているけれど、私ほどの大きさではないと思います。

これは、私が今課題感あるなって思って取り組んでいることについての一例ですが、愛はない設定の世界から「ある」にOS更新したので、いろんな場面で世界が変わっていくのだと想像します。

まとめ

そもそも、「愛に足る存在か」。

この問い自体が、自分の価値をはかろうとすることで、不適切なのかもしれない。
愛がない設定の世界に住んでいるからこそ生まれる問いだと思いました。

愛がある世界にいる人は、そんなこと多分問わないんだろうなって思いました。

すべての人は、そのままで愛される存在。

だから愛を受けとるに値するか、愛を注ぐ対象か?なんてことは考えない。

そういうことなのかな、と愛の形を探している途中で、頭では愛が分かるに近づけた感のある私の考えたことでした。

愛のある世界にもともと住んでいるみなさん、どうですか?
この感覚で近いですか?

「愛が恐い」を入口に、愛って何でしょう?について考えるという方向から近づくを試みてきました。

愛が頭で分かるではなくて、感じる、ふれるというように体感して分かるものだとは思うので、おおよその所まで考えられたら、手放してみようと思います。

愛が分かるになることは、単に愛そのものが分かるだけじゃなくて、すべての土台っぽい

幸せと感じられる、生きやすくなるという、考え始めた時よりも想像を越えた影響があると気づきました。

ひとまず、「私は私のままで大丈夫だし、何でもやりたいようにやっていい」。
前よりも愛があるって自覚できた私は、私にこれをより届けられるようになったと思います。

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私にある愛にふれた時は、「愛を受けとったよ」って教えてもらえると助かります。

これからも私の「愛って何?」について書いていくので、フォローして楽しみにしていて下さいね。

読んで頂き、ありがとうございました!

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▼私の価値について、あるという話

▼親子関係と自尊感情との関わりについて

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