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本音を伝えても関係は壊れない。信頼という土壌の上で私のことも尊重する

いつでも私のままで人と接する小さなトライ。

冬の静けさと灯りになりたいライフコーチのなほです。

剥がれては還り、ころん、と生きる。
きらきらしたら、ぷかぷかに戻るリズムの中で、私のままで、もうすべてそろってる。

我を出す、ということではなくて相手を尊重しつつも、私も尊重するコミュニケーション。

勇気というか、前の私なら出来なかったと思うことが出来たから残しておく。

あなたは、無理して相手に合わせることはある?

場合による。
相手による。
無理しがち。

私は、いけないこともないよな、と感じると多少の無理には目をつぶりがちでした。

相手を尊重できること、合わせられることは美点と捉えられるが、一方で他者の前に自分を尊重して大事にする視点がなかった。
けれど、感情としてストレスを感じたことで、安全な関係の場で、自分の気がかりを出すことが出来た。


日程調整は最大限合わせることが普通

伝えるだけに留まらず、日程調整も今までならわりと無理をして合わせることが私にとっての普通だった、と気づきました。

これは、おそらく勤めることを辞めたから拍車がかかったのだと思います。

私には自由な時間がたくさんある。
子育ても介護もないので、100%私のために時間を使える。

そして、大体において相手の方は私よりも忙しかったり、時間の融通が利かないことが多くなった。

となると、無意識の内に私が相手に合わせなきゃ、になっていたのだと思う。

コーチングスクールで学んでいた時、課題としてお互いにコーチングをする、グループでメンターコーチングを受けるなどたくさんの日程調整が必要でした。

そこで、時間の自由が利く、みんなは勤めていて私は勤めていないから時間の調整が利くことが分かっていて、だから必要以上に合わせていたのだと思います。

融通の利く私が合わせなければの思考。

良かれと思ってしていることだし、現実的に忙しい人に時間の融通の利く人が合わせるのは理にかなっている。

けれど、いくら時間の融通が利いても、まれにタイトなスケジュールになってしまうこともあった。

無理に合わせるということが起きていたと思います。
また、人よりも受けとったものの消化に時間を要するという自覚もなかったので、しんどかったのだと思います。

最近は、ちょっとしんどいかもしれない…という日程調整は、無理して大丈夫と言うのではなく、自分の意向を伝えられるようになった。

自分を抑えているという感覚はなくて、そもそもの「私が存在していない」にやっぱり関係してそうなんだよね。
存在していないというか、欠落している、透明。

私が意思を表示してもいい、相手の意向に否と唱えていいがちょっと薄い。

勤めていないに固執しないこと

ここから離れられたことも大きいのだと思います。

コーチングスクールで学んでいた時は、働いていないのが何となく引け目に感じていた。
過去にも私はメンタルダウンのような状態で仕事を離職したことがあるので、そこまで働いていないことに抵抗は持っていなかったと思う。

働いてはいなかったけれど、自分の暮らしは自分でちゃんと成り立たせていたし、学ぶためにそこにいた訳だから。

けれど、周りがみんな働いている環境だと気になり始めるよね。

今振り返ると、私は組織に属すことに固執していたと思います。
メンタルダウンするまでにも私は転職を経験しているのですが、まったくのブランクなしで転職しています。

新卒で就職した会社を1年経たずに辞めた時でさえ、次の仕事にまったくのブランクなしで転職しました。

それ位、社会人として働いている私というのがすべてだったんだよね。

今思うと、どうでもいいよね。

というか、あの時もまあまあ精神的なダメージはあったから本当なら休んでも良かったと思う。

対等で信頼がある

今回、私は小さな気がかりを相手に尋ねてみるということをした。
ちょっともやもやしていて、けれどどうなのかな?と思っていた。

尋ねないという選択肢もあったし、また折を見て尋ねるという選択肢もあった。

けれど、今の私のもやもやは先送りにした所で消えないし、ただ保留として残り続ける。
ちょっとしんどいと思った。

だから、伝え方には配慮しながらも、尋ねてみたら状況が流れていった。

これが出来たのは、対等で相手に信頼があったことが大きいと思う。
私の気がかりを伝えてみた所で、関係性が壊れたり悪くなるかもしれないという私にとっての危険が少なかった。

相手を尊重することは自然に出来ても、私に我慢を強いないで尊重することはちょっとまだすんなり出来ないことがある。

迎合しない、で自然体

ここにつながる。
いつでも自分のままで、何でもかんでも思ったことを正直に場に出してしまえではない。

相手を尊重したり、空気を読んで自分を曲げる、健やかでいられないにならないようにすること。

今回は、正直でいられないではなかったけれど、ストレスを抱え込むような形になりそうだったから、伝えるに踏み切りました。

まとめ

相手の状況を考えること、配慮することは確かに大事。
だけど、それには程度がある。

もともと空気を読んできた人間なら、空気を読まないとした所で大事故は起きないんだよって教えてもらったことを思い出しました。

だから、相手を尊重すること、優先することだけでなく、自己犠牲にならないように、私のことも同じように尊重することを改めて意識したいと思いました。

ただ私が私のままふるまったことで相手に嫌われるなら、それは相性が合わなかっただけだよって教えてもらった。

そして、私は世界から愛されちゃっているんだってことも思い出しておく。

こうやって何度も私は学んだことを反芻しながら、私を生きるに近づいていくのかな、って思った。

お互いに魂のかたわれたちだと思う2人に感謝です。ありがとうございました。

今日もここまで読んでくださり、ありがとうございます。

この場所に、その日の気づきを静かに置いています。

また、書きにきます。

もし、この文章を読んで少し話してみたいと思うことがあったらプロフィールnoteに静かな入口を置いています。

よかったらこちらのnoteもどうぞ

▽空気は読まなくても大丈夫。

▽私が無理しないで迎合しないことが自然体

▽相手を尊重とは、境界を踏まえた上ですることが大事


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