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下の名前で呼ばれる、呼ぶこと 人との距離感を映す鏡

普段の呼び方と、紹介する時の呼び方の違いに抵抗を感じました。

秋口の陽だまりになりたいライフコーチのなほです。
剥がれては還り、芽吹いていく旅の途中。
胸に宿る小さなひかりは、そっと世界を照らしています。
きらきらしたら、ぷかぷかに還るリズムを大切に。

普段、苗字で呼ばれるのと、下の名前で呼ばれるの、どちらが多い?
さん付け?ちゃん付け?肩書きがついてくる?
それとも役割で呼ばれていることが多い?

私の今の世界は、好きな人か大好きな人でできていて、組織に属していないので肩書きや役割でみられる機会がほぼありません。

なので、今、私は下の名前で基本的に呼ばれていて、苗字で呼ばれる関係性の人がいない、に気づきました。

呼び方、呼ばれ方は相手との距離感をそのまま反映している。
だから、急に外的要因で呼び方を変更することで相手との距離の認識と呼び方の不一致が起きて、抵抗感になる。
下の名前で呼ばれるのは個として存在している感覚。


普段の呼び方とちがうことへの抵抗感

普段は苗字で呼ばせてもらっている人をSNS上で呼ぶ時に、下のお名前で活動されているから、その世界観に合わせて下のお名前で呼ぶということが起きました。

勝手に本名の苗字を私が開示することもできないのは当たり前。

普段呼んでいないからものすごい違和感、抵抗を感じたことがありました。

「変な感じがする」と伝えたことがあります。

尊敬しているがベースにあって、呼んだことがないから。

そして、最近また同じことが起きてやっぱり抵抗感がすごかった。

普段は苗字で呼んでいるけれど、下の名前を書いて(呼んで)紹介するということをしました。

ただ、例外はあって誰かを推したい時は、認知されるためにフルネームがいいよってAIに教えてもらったことがあります。

普段はその方のことも下のお名前で呼んでいて、下のお名前で紹介することもできた。

けれど、あえてフルネームで紹介したことがあります(フルネームで活動されている)笑
応援したいが明確にあった。

距離感の狂い

私は、この人のことも尊敬していて大好きだと思っている。

けれど、ずっと苗字で呼んできているし、下のお名前で呼びかけたことがあるけれど、それはやっぱり下のお名前で活動されているからでした。

その世界で遊ぼうの感じで、下のお名前で呼びかけているけど、抵抗感。

どんな名前で呼ぶかって人との距離感をそのまま映しているんだなって改めて感じました。

上司にちゃん付けしないし、初対面の人をいきなり下の名前で呼んだりしない。

下の名前で呼ぶのは、距離が近くなる。
それが悪いこととは思わないけれど、人との距離感、とりわけ自分から近づくことに私は慎重です。

近づき過ぎない、距離を急に詰め過ぎないようにしないとって思っている。それなのに、下のお名前で呼ぶのは距離が近づくように感じて、抵抗感になるんだと思う。

そして、外に向けた下のお名前で活動している姿と、実際に私が苗字で呼んでいるリアルに知っている姿との間にも距離を感じているの違和感もありそうです。

私の感じている敬意や距離感が、そのまま言葉にならずに、強制的に下のお名前で呼ぶという状況にならざるを得ないから抵抗感(下のお名前で呼んでいいですか?と尋ねずに合わせる形で変えているのももやもや)。

しかも言葉は私にとって大事なものだから、それがそのまま表現できないことも抵抗なんだと思った。

言葉遣いも敬意を表現するけど、どんな風に呼ぶのかにも敬意はある。

結局、「ドアを無理やりぎぎぎぎ」って押しているような抵抗感があるのに下のお名前で紹介するのがしんどかったので、「普段は苗字で呼ばせてもらっているのですが」というやんわり説明を私のために入れた!

読み手の方にとってはどうでもいいけれど、言葉は私の友達で、私のために書くがあるから、心地いいようにしたい。

下の名前で呼ばれる

下の名前で呼ばれるのは、肩書きのある私ではなく、個としての私を見てくれている感じがとてもする。

肩書きのないそのままの私

呼ばれ方って大事なんだな、と改めて思った。

そして、苗字で呼んでいる人もいるけれど、私も相手を下のお名前で呼ぶ機会が増えているな、と思った。

相手の人が呼ばれたい名前を教えてくれる時は、そのお名前で呼ぶけれど、基本的には下のお名前で呼ぶことの方が多い。

呼び方が関係性を作る

下の名前と言えば、親にも私は下の名前で呼ばれているけれど、ちゃん付けで呼ばれている。ここにも私が親からどう思われているかが反映していると思った。

妹のことは呼び捨てにしていて、私は「なほちゃん」って呼ばれている。

妹が「なぜお姉ちゃんは、ちゃん付けなのか」、と親に訴えたことがあり、一時私も呼び捨てにされていたけれど、戻ってしまった。

両親ともが私はちゃん付けで妹は呼び捨てでした。
はじめての子どもだったからというのも影響があるんだろうと思います。

初対面の人に、「なほちゃん」って呼ばれた時はどきりとしたけれど、「なほです」って名乗って、ちゃん付けで呼んでくる人にあまり会ったことがない。

あ、義理の弟(妹の夫)に知り合って間もなく、ちゃん付けで呼ばれたことがあって、それは違うって思ったことがある。
まさに「距離感おかしいでしょ」って私は感じた。
お姉さんじゃない?年齢的にも私の方が上だし。

この関係性では、私は個として扱われたくなかったのか、に今気づいた。距離を保ちたかったんだなー。

そして、甥っ子たちにはおばさんとして扱われたくないから、「なほちゃんだよ」って話しかけている。1人の人間として関係を築きたいが明確にある。

まとめ

名前、呼び方。
そこまで注目したことはなかったな、と思いました。

けれど、単なる呼び名ではなくて、人との距離感がそのままあらわれているし、敬意がこもっている。

親が私を「なほちゃん」って呼ぶのは愛がそこにはあるのかもしれない。

呼び方でいくと、父親のことを「父親」と呼んでいて、一瞬「お父さん」って呼べた瞬間があって、また今は「父親」に戻ってしまっているのも距離感…。
とりあえず「お父さん」呼びに変えてしまってもいいのかもしれない。

ニックネームで呼ぶのも距離感の反映だなと思います。親しい間柄だからこその呼び方。

そして、個として存在している、見てくれているが下の名前で呼ばれることにはある、が分かりました。

苗字でも個として存在しているって感じてもよさそうだし、実際、苗字で呼んで下さいってリクエストされることもある。

私の感覚だと、やっぱり下の名前で呼ばれる方が個として扱われている感じがして、平仮名表記のなほと、漢字表記のなほでもまたちがう感じがする。

結婚で苗字が変わることに抵抗感がある人もおられますよね。

なほ表記は、平仮名の方がやわらかいから好き(漢字表記もかたいけど好きです)。

時と場合によるし、肩書きで呼ぶことで関係性が固定されたり、責任を付与したり、これもいろんな効果や関係性への影響があるんだろうなと思いました。

同じ人を呼んでいるのに、「なんでこんなに抵抗感あるんだ?」と思って考えてみて面白かったです。

単に呼び慣れないからだけではなく、私の距離感や敬意が強制的に変更させられた感を感じているんだなーが、分かりました。

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これからも「コミュニケーション」について書いていくので、フォローして楽しみにしていて下さいね。

読んで頂き、ありがとうございました!

🍃良ければこちらのnoteもどうぞ

▼名前は大事だし、存在を表している

▼関係性にも形容しがたい関係性がある

▼プロコーチのお2人のお話で興味深かった。どこまでの距離感の人に影響を与えたいコミュニケーションタイプ?について


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