相沢ハルが死んだ日。⑩【創作大賞2025】
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※この小説では、時間軸が過去に向かって進みます。
※最初から読んでも最後から読んでもストーリーをお楽しみいただけます。
2023年10月6日
「ナツミちゃん、こっちこっち!」
「はーい!」
優弥の息子の伸弥と、ハルの娘のナツミが、協力し合って芋掘り体験を楽しんでいた。
サワナミ市民吹奏楽団でトロンボーンを吹いている農家の鈴木さんが、ご厚意で秋のサツマイモ掘りに招待してくれたのだ。
「優弥くんとこも、ハルちゃんとこも小さいお子さんいるからね。楽しい体験になるし、食べ物や生きていることに感謝できる機会だと思うよ」
そう強く勧めてくださる鈴木さんの言葉に押されて、四人での芋掘り体験が実現していた。
普段からしょっちゅう水遊びや土遊びをしている伸弥だが、今日は大好きなサツマイモが取り放題なのだから、滅多にないイベントだ。当然、ワクワクして参加していた。
ナツミにいたっては、都市部に住んでいた時期が長いため、農家を訪れる体験自体が珍しい。最初は少し緊張していたが、同世代の伸弥と、子ども好きな鈴木さんのお陰で、あっという間に打ち解けた。
二人は軍手をつけ、スコップを片手に、根っこを掘っていく。
「そうそう、もう少しだ」
「あとちょっと!抜けそうだね、頑張って」
「よっしゃ~~!!」
大人たちが見守る中、なんとか子どもたちでサツマイモを一束引き抜くことに成功した。
「サツマイモの根っこって、こんな風になってるんだね」
興味深々のナツミに、鈴木さんが目尻を下げて微笑んでいる。
「土に生かされてるんだよ。僕たち人間も、食べ物もね」
収穫したサツマイモを黄色いカゴに集めた優弥が、汗を拭きつつ鈴木さんに歩み寄る。
「鈴木さん、ありがとうございます。子どもたちにとっても、貴重な食育の機会ですね」
「いやいや、伸弥くんもナツミちゃんもよく頑張ってくれたし、毎年来てほしいもんだよ」
「毎年、お邪魔していいんですか?」
思わずハルの方が上ずった声をあげた。
「ああ、いつでも。みんなが仲良く収穫してくれて、美味しく食べてくれるのが一番よ」
「ありがとうございます」
休憩所にある水道の蛇口をひねり、交互に手を洗う。
順番待ちをしていると、鈴木さんがニヤニヤしながら優弥の肩をポンと叩いた。
「人生色々あるけど、二人ともまだ若いんだから、いくらでもやり直せるよ。もう一度夢を見るのも、悪くないと思うけどねえ」
「鈴木さんったら、もう」
ハルがきまり悪そうに遮ると、鈴木さんはフッと振り返った。
「いや、おじさん本当のことを言ってるのよ。涙の数だけ、人は根っこが広がって、大きく優しい木に成長できるの。一度傷ついた二人が手を携えたなら、もっともっと強く根を張って、たくさんの人の心に寄り添える。必ず大きな枝を広げていけると思う」
意外にも、彼は真剣な顔でハルを見据えていた。
と、思いきや、
「なーんてね。ま、老婆心ってやつよ」
とおどけた笑みを残して、子どもたちの方へと向かっていった。
鈴木さんは、普段の明るい口調とは裏腹に、どこか悲しみを抱えた表情をすることがある。
奥さんを早くに亡くしているからかもしれない。
やはり、倍以上の年齢を重ねた人からの言葉には、経験に裏打ちされた深みのようなものを感じる。
いつか、鈴木さんのように、若い世代を温かく見守り、アドバイスができる優しいおばあちゃんになれるかしら。
オレンジ色の穏やかな日差しが差し込む中、机にサツマイモを並べては大きさを競うナツミたちを見て、ハルは感傷的な気分に浸っていた。
……子供たちは、一体どんな大人になっているんだろう。
……おばあちゃんになった時、一緒にいられる人は、誰なんだろう。
2023年9月11日
里美が植物状態になってから三年目を迎えた日。
優弥は病室で一人、花を差し替え、ボーっと彼女の顔を見つめていた。
会いたいという感情も、寂しいという感情も湧いてこない。
生き返ってほしいのか、このまま縁を切りたいのかも分からない。
そんなことを心の中に抱えているなんて、誰にも言えない。
籍を抜いていないのは、妻との間に生まれた息子の伸弥のためだった。
正直、里美の日々の暴言には、耐えがたいものがあった。
里美は上昇志向が強く、産休に入る前から、子育てによって自分のキャリアが中断されることへの強い不満を述べていた。
妊娠期のノイローゼのせいで、子どもが生まれれば気持ちは変わるだろう、と思っていたのだが、優弥の感覚は、大きな誤算だった。
伸弥が生まれてからというもの、里美の精神は崩れに崩れた。
「こんなはずじゃなかった。社会でたいした役割でもないくせに、男というだけで育児から解放される優弥が憎い」とまで言っていた。
別に、優弥だって育児から逃げて職場に行っていたわけではない。
むしろ、職場でも家庭でも一切気を抜く場所がなく、泣きたくなるのは優弥のほうだった。
一方、里美は明らかに赤ん坊の世話に苦手意識を感じているようだった。夜泣きの止まない伸弥を見てはイライラして優弥に当たり散らし、しばしば物を投げることすらあった。
「優弥には騙された。もっと仕事が出来てカッコよくて優しい旦那を選べばよかったのに、優しいだけの能無しを選んだ私がバカだった」
などとのたまわった。
実際には、高学歴・高キャリアの先輩に振られて食べ物も喉を通らないくらいに疲弊していたところを、同窓会で再会した優弥が助けたというのに。
優弥に対する暴言だけならまだしも、伸弥に対して「うっせえ、このクソガキが!黙れよ!」と怒鳴り散らし、恨めしそうに睨みつける姿を見て、純粋に息子の生命の危険すら感じた。
自分がいなければ、とっくにこの人は息子の首を絞めてしまうのではないか。
そんな恐怖心すら感じていたある日の夜。
里美は裸足でフラフラと家を出て、道路を走るトラックの前に飛び出した。
伸弥に手をかけるのではなく、自分の命を終えにいったあたり、辛うじて母親としての愛情があったのかもしれない。
幸いなのか、新たな苦しみの始まりなのか、里美は一命を取り留めたが植物状態となり、一度も息子と会話をすることがないまま、今日までの日々を過ごしている。
優弥としては、毎日罵声を浴びせられる日々から解放された面では、心のどこかでホッとしていた面があった。
ただ、母親の自殺未遂という重みを伸弥に与えてしまってはいけない。
夫婦関係が最悪の宙ぶらりん状態のまま、意思疎通ができなくなってしまった妻をどうしたらよいのか。
行くも地獄、帰るも地獄の日々である。
それでも、どんな親であれ、両親共に揃っていた方が子どもの精神面のためには良いだろう、というのが優弥の当初の考えだった。
伸弥が生まれた際に、「たとえどんなことがあっても、親としてこの子の未来を守り抜く」と決意したことも、優弥にとっては大きな責任となってのしかかっていた。
誰か、俺の窮地を察して助けてくれる、最後の女神のような人はいないか。
それとも、ほんの一瞬だけでもいい。
自分の孤独を埋めてくれるような、温かい人はいないか。
心優しい人は、自分のことを心から理解してくれる人は、本当にこの世界に一人もいないのか。
優弥は時折、夜道で叫びたい衝動に駆られていた。
気づけばいつも、自分の居場所に枯渇していた。
そんな時、心のすき間をふわっと埋めるかのように、入ってきたハル。
なぜだか、ハルは自分の全てを受け入れてくれる気がして、一緒にいることが心地よかった。
決して自分を裁くでもなく、寄り添うことに徹している。
こんな風に接してくれる妻だったら、さぞ良かったのに、と思うこともあった。
時々、大きな顔で言うやつがいるだろう。
「出会った順番が逆だっただけ」
あの開き直り方を優哉はどうも好きになれず、苦手だった。
そんな自己正当化で済まされるようなことなのか、と突っ込みたくなる。
でも、自分が実際にその状況に立たされてみたら、同じようなことを感じてしまうかもしれない。
結婚ってなんだ?
法で縛っておけば、自分以外の異性に目を向けることを裁けるってなんだ?
じゃあ、結婚した相手との間の愛が死んでいることは、誰も裁かないのか?
当然、愛を交換し合う充電基地であるはずの家庭が機能していない。
むしろ、相手を憎しみ、痛めつける地獄の場と化していても、誰も救いの手を差し伸べてくれるわけではない。
社会のルールってなんだ?
苦しみから逃れたいのに逃れられない人はどうすれば良い?
精神を病んだ配偶者から逃れるにはどうしたらいい?
死ぬこと以外に助かる方法は一体何になる?
そこで他の者の助けを得てはならないのか?
「人は一人では生きていけない」と、誰かに寄りかかることがそんなに罪なのか?
病室で孤独に窓の外を眺める優弥から、無数の涙が零れ落ちた。
(⑪へつづく⇓⇓)
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