相沢ハルが死んだ日。⑧【創作大賞2025】
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※この小説では、時間軸が過去に向かって進みます。
※最初から読んでも最後から読んでもストーリーをお楽しみいただけます。
2024年12月25日
辛い。苦しい。死にたい。
辛い。苦しい。死にたい。
死にたいと思っても、優弥には言えない。
「生きることが苦しくなっちゃった」
ぐらいしか言えない。
「死にたい」と言った瞬間に重く感じられるかもしれない。
「死にたい」と言ってくる恋人に疲れすぎたと言っていたから、「死にたい」と言った瞬間に離れていくかもしれない。
嫌われるかもしれない。
いい子でポジティブだと思っているから、一緒にいるのかもしれない。
ハルは辛いと思っても優弥を頼れない。
かといって、他に頼れる家族もいない。
自分でもどういうわけかが分からないのだが、ハルは何かの傷つくスイッチが入ると、通常のポジティブモードが一気に崩れ、希死念慮が出てくる自分を止めることができない。
辛いとか死にたいとか毎日のように簡単に言って人の気を引くのに、ずっと何年も生きている人はズルいと思ってしまう。
自分はもう、死にたいとは絶対に優弥には言わない。
優弥に言う前に、一人で死ぬだろう。
未遂に終わって中途半端に生き長らえるのは嫌だから、死ぬときは住んでいる高層マンションのビルから一気に落ちると決めている。
迷惑かもしれない。
巻き込まれる人が誰も居ませんように、と願いながら、下を歩いている人がなるべく少ない時間帯を狙う。
非常階段の踊り場の一画に椅子を置いて登り、体重をバルコニーの外に傾ければ下に落ちられると知っている。
自分にとってはこれがベストな消え方だと思っていた。
出来れば自殺だと思われないように、交通事故でドン!と一気に轢いてもらう案も考えたが、優弥から全力で止められたことがあった。
「万が一死に損なって、植物状態になんてなったら何十年も地獄だぞ」、と聞いて、その方法はやめておこうと思った。
それから、大量服薬で死ねる可能性も低い、ということも優弥から学んだ。
死にきれなかった友人が、腸内洗浄をして死ぬほど苦しい思いをして、「こんんなことなら薬を飲まなければ良かった」と悶え苦しむほど、地獄の苦しみを味わったというのだ。
優弥のお陰で、死に方の悪い例には詳しくなったから、結果的に自分の死に方を考え抜くことができたと思う。
今日こそ、この世でのすべてを終えよう。
ハルは椅子を持ち、屋上へと繋がる非常階段へと向かって歩き始めた。
そうだ。念のため、優弥とのLINEのやり取りも、過去に遡って消去しよう。
一度椅子を置き、スマホの画面と向き合った。
一つ一つ、確かめつつ消していく。
ぎくしゃくして傷つけ合った言葉の数々が、消えていく。
愛に溢れた言葉の数々が、消えていく。
幸せそうな二人の思い出写真が、消えていく。
……この数年で、こんなにたくさんのやり取りをしていたのか。
消し始めると、とても一時間では終えられない。
数か月分の会話を消し終わったところで、ハルは決定的なことに気づいてしまった。
(あれ、自分の端末ではメッセージを消せても、優弥の方の過去のトークルームは消えないんだっけ。)
そのことに気づいた瞬間、全身から力がフッと抜けていく。
――私はバカみたいだ、一体何やってるのだろう。
途中でバカバカしくなって、消すのをやめた。
……ということは、トーク履歴が消えていくのを、優弥に気づいてほしかったのかもしれない。
途中で気づいた優弥から、慌てて電話がかかってくるのを期待していたのかもしれない。
微かなSOSサインを出して、見事に気づいてくれるかを試していたのかもしれない。
でも、結局自分の端末で消しているだけだとしたら、こんな滑稽な話はない。
強いて言えば、死後の持ち物調査で優弥との関係がバレにくくなるだけだ。
なんだ、そんなことか。
言葉にならない深いため息をつき、LINEのトーク画面を閉じようとしたその時。
優弥から電話がかかってきた。
時刻は午前二時。てっきり寝ていたと思っていたのに、意外だった。
ハルは思わず通話に出た。
「優弥、どうしたの?」
「……なんかさ、昨日のLINE元気なかったから、気になって。そしたら、最新のLINEが消えてたから、ちょっと……」
「変だと思って?」
「うん。俺消されるのイヤなんだよ、一方的でさ」
「……ごめんなさい」
やっぱり死のう。分かってもらえるなんて思った自分がバカだった。
スマホを持つ片手が痙攣し、全身の震えへと変わる。
声を遠ざけようとスマホを耳から離し、立ち上がる。
すると、優弥の声が響いた。
「ハル、なんでこんな夜遅くにかけたと思う?愛しているからだよ」
「愛」と言う言葉が耳に残った。
少しの間、スマホに耳を傾けてみる。
「優弥にとっての愛って何?お子さん?ご両親?」
「もちろん、家族愛も大切だよ。家族はいつだって変わらず同じ場所にいてくれる。バカやっても、失敗しても、家族はいなくならない」
「そうだよね。最近、すごく分かってきたんだ。優弥にとっての家族に、愛すべき対象に、自分が入ることはないんだなってこと」
「待って。それは家族じゃないもの。違って当然でしょ」
「でも、家族が一番なんでしょ?恋人は一時的に寄り添えばいい相手ってことね」
十秒くらいだろうか。しばらくの沈黙があった。ハルにとってとてつもなく長く感じられた沈黙の後、優弥は堰を切ったように話し始めた。
「……俺が思うにさ、家族と恋人は明確に位置付けが違うよ。家族への愛情は一定。でも、恋人への愛情は時に家族を超えることがある。それも、世界中の全ての事象よりも優先されるくらいにね。パートナーとの最高の愛情関係は、とてつもないエネルギー源になる。うまくいけば、どんな不可能なことも可能にできるプラスのエネルギーになり得る」
じゃあ、どうして……。そう思うハルの思考を先読みするかのように、優弥の持論が続く。
「でも、その関係性は、変わることがあるんだ。最高の愛情を交換し合っていた相手と、憎しみ合う未来が来ることもある。だから恋人は不確定要素であり、一定の存在ではないと思う」
なんだか哲学的なことを言っている。
「つまり、何が言いたいわけ」
「それはつまりね、家族は大切で愛しているけど、ハルにかける愛情とは種類もパワーも全然違うものなんだよ。だからつまり……何度も言うんだけど……ハルを愛しているっていうこと」
ここまで言われて、やっとハルの全身の震えが止まった。
短絡的に、自分とそれ以外の人への愛情の量を比較しているのが、とても恥ずかしくなり、穴があったら入りたかった。
同時に、物事を深く洞察している優弥のことを改めて尊敬したし、この人について行こう、と思い直していた。
この日、ハルが死のうとしていたことを、優弥が知っていたかは定かではない。
ただ、この日、優弥が何か違和感を感じてハルに電話をかけなければ、ハルはこの世から忽然と姿を消していただろう。
(⑨へつづく⇓⇓)
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