見出し画像

#30|実家じまい③ 兄という呪縛

認知症の母とMCIの父。
海を超えた遠距離介護を続けています。

▼連載一覧はこちら
フランスからの遠距離介護


ようやく、
家の買い手が見つかった。

私は父に伝えた。

「年末の帰省で、売買契約ができそう。」

父の表情が急にこわばった。

「でも、あいつと全く連絡が取れない。」
「帰ってきた時に、住む場所がなくなる。」
「やっぱり売らずに、お前が管理するのがいい。」

兄のことだった。

私は言った。

「何言ってるの。今売っておけば、
帰ってきた時に住宅を買うお金を援助できるって話したよね。」

「今売らなかったら、空き家にお金が出ていくだけ。
みんなが損をする。」

「帰ってきても、リフォーム代も必要になる。
たかしとは連絡も取れないんでしょ。」

父は、黙っていた。

四年前、
父は言った。

「来年、たかしが帰ってきて一緒に住む。
あいつがこの家を引き継ぐからな。」

私は言った。

「家を引き継ぐのはいいけど、同居だけはやめた方がいい。」
「帰ってくるなら、少なくとも母が施設へ入ってからの方がいい。」

介護が始まった時、
三十年の沈黙を経て兄へ送ったメールの返信には、
こう書かれていた。

お前は赤の他人だ。普段は思い出すこともない。
でも、親のことは別。
協力してやってもいい。
就職して東京に来たのは、母親から離れて暮らしたかったからだ。

父親も、最近は同じことを何度も繰り返す。
しつこい。
情けない。

二人ともボケてきたから、帰るしかない。

私は兄に言った。

「無理して同居するのはよくないと思う。」
「介護は私がやっていく。」
「必要になれば、お金も負担する。」
「フランスからでは、どうしてもできないことだけ手伝ってほしい。」
「実家のマンションは、たかしが引き継げばいい。
名義変更だけはしてほしい。」

返事はなかった。

両親が実家で暮らした最後のお盆休み。

帰省した兄は、
母と口論になった。

「もう好きにしろ。」

そう言い残して、東京へ帰っていった。

父は私に言った。

「全然だめだ。あいつと母さんは会話にならない。」

私は言った。

「だから言ったでしょ。昔から、何も変わってない。」


昔、
兄は母に暴力をふるっていた。

それは、
いつも父が仕事で外出している時だった。

父が帰ってくると、
兄はいつもおとなしかった。

父は、
そんな兄しか知らなかった。

父は言った。

「もう昔のことだろう。」

私は何も言わなかった。

そのあと、めずらしく兄からメールが届いた。

母親との同居は自信がない。
認知症がひどくて感情むき出しで話にならない。
もう放っておく。

そう書いてあった。

同居だけは免れそう。

内心、ほっとした。

「母が施設へ入ってから実家へ帰ってきて、
気持ちに余裕がある時に施設へ面会へ行けばいい。」

そう返した。

両親が施設へ入居するまで、
動いたのは私一人だった。

両親がケアハウスへ入った。

父は兄に言った。

「俺たちは施設に入る。」
「空き家にしておくのはよくない。」
「マンションに住むなら早く帰ってこい。
帰ってきてから仕事を探せばいい。」

兄はまた言った。

「仕事が見つかってから帰る。歳のせいで難しい。」

私は父に言った。

「マンションの年間維持費は50万円。
たかしが管理費は払うと言ったのに、
お父さんの口座から引き落とされたまま。」

どうなっているのか、
父から兄へ聞いてもらった。

管理会社の連絡先を知らないから、
手続きをしてくれたら払ってやる。

そう言っていたらしい。

振替用紙を管理会社から兄の自宅へ送ってもらった。

それでも何も進まなかった。

自分が住むはずの家の様子を心配することもない。

そんなのおかしいよ。
子どもじゃないんだから。

父は黙っていた。

しばらくして言った。

「最近は、電話をかけても全然出ない。」
「生きとるのかもわからん。」

私は言った。

「電話が鳴るなら、まだ生きてるんじゃない?
毎日充電してるってことでしょ。」

「そりゃ、そうだな。」

そう言って、
父は悲しげな目で笑った。

父は続けた。

「昔は、スキーにも、登山にも連れて行った。」
「大学まで出してやった。俺は中卒だから。」
「できることは全部してやった。」

私は言った。

「お父さん、自分が50代の頃、
親が自分の住む場所を心配してくれるなんて思った?」
「子どもが、親の心配をして当たり前の歳だと思うよ。」

「俺が50代の頃か。もう親は亡くなっていたから、わからん。」

「でも、お前はできるから、お前が管理すればいいだろ。」

その瞬間、
私の中で、
何かが切れた。

「私がどういう生活してるか、知らないくせに。」
「フランスで遊んで暮らしてるとでも思ってんの。」
「年間75万円の旅費を、どうやって工面してると思ってんの。
帰省している間は、収入もゼロ。」
「毎日、深夜にビデオ通話して、睡眠を削ってやってるのに。」
「お前はできるから?私とは縁を切るといってきた兄のために?」
「新幹線で日帰りできる距離に住んでいるあいつのかわりに、
片道だけでも24時間かかる私がやればいい?」
「ありえない。何言ってるかわかってんの?」

父の横にいた母が、 突然言った。
「近所に聞こえる。大きな声でみっともない。」

ビデオ通話を切った。
声を出して泣いた。

夫が隣の部屋から飛び出してきた。

「どうした?」
「何があった?」

「朝四時に起きて、日本に電話してるの知ってるよね。」
「収入を削って、日本に帰ってるのも知ってるよね。」
「お前はできるから、兄のために家の管理を続けろって。」
「兄って誰? わたしにはそんなのいない。」

もう言葉にならなかった。
そのまま 泣き崩れた。


← 前の回 #29|実家じまい② 空き家は、売れるまでお金を吸い続けた
次の回→ #31|実家じまい④ 家を空にした日

#遠距離介護
#介護
#認知症
#エッセイ
#実家じまい


いいなと思ったら応援しよう!