【noteでBL】In his own sweet world【3000字小説】
ジャンル
ヒューマンドラマ
※作中、暴力行為を直接描写する場面はありませんが、示唆する表現があります。
あらすじ
ジャズバーのオーナー・窪奏介と、ピアノとジャズにしか興味を示さない、専属ピアニスト・柳井瑞貴。
二つ年下の幼馴染である瑞貴を、窪は子どもの頃から見守ってきた。
些細で穏やかな日常の中にあっても、いまだ窪が思い出すひとつの事件がある。
真相がわからないまま、触れられない傷になった子どもの頃の出来事は、窪の時間をいびつな形で止めていた。
《錆び付いた扉が動こうとしている。》
瑞貴が出会った青年・星野の存在が、ゆっくりと、けれど確実に、瑞貴の世界に変化をもたらしている。
その変化は、瑞貴を見守り続けてきた窪の世界をも、静かに動かしていく。
In his own sweet world
「奏介、今のマルチーズ見た?」
店の買い出しの帰り道。
珍しく楽しそうな声で聞かれて、一瞬、その声音の朗らかさばかりに気を取られてしまった。
「え、何? 何のこと?」
何の話かわからなくて、咄嗟に誤魔化すこともできなかった。
素直に聞き返してしまったのは、まずかっただろうか。
「見なかったの?」
憮然とした声だ。
瑞貴の機嫌は急降下して、もう窪が何を話しかけても全然返事をしない。
べつに無視をしたつもりもなければ、怒らせる予定もなかったのだけれど。
辺りを見回しても、瑞貴の言っていた「マルチーズ」の姿はどこにも無い。
「なー、おい瑞貴」
窪が声をかけても無視をして、ずんずんと前を歩く瑞貴はいつも通りの不機嫌さだ。
(……ったく、子どもっぽい)
そう思って嫌になるかと言えば、ならないのが、多分良くないんだろう。
窪奏介と柳井瑞貴は幼馴染だ。
学年は二つ違いで窪のほうが上だ。
家が近くて、小学生の頃はよく一緒に登下校をした。
瑞貴は今もあまり大きくはないけれど、昔は本当に小さくて、なんとなく放っておけない雰囲気をしていた。
他の連中も、きっと窪と同じように感じていたのだろう。
通学路で、彼のランドセルを持ってやりたがる男の子がいた。
昇降口で、上履きを出してやりたがる女の子がいた。
教室へ行けば、クラスメイトに囲まれ、困らせるなと教師が庇う。
端的に「モテる」と表現するには異様な人気ぶりだった。
けれど、なぜかいつも長続きせず、瑞貴のそばには、窪だけが残った。
瑞貴は、自分の周りに集まる何者にも興味を持った様子がなかった。
そんな瑞貴が、唯一子どもらしい朗らかな顔になるのが、窪の家に遊びに来た時だ。
窪の家には、古い、ジャズのレコードがたくさんあって、瑞貴はそれを気に入ったのだ。
窪の家族は、近所に住む早熟な少年を、実の子どものように迎え入れた。
窪の家のいちばん奥の部屋。庭に面した和室は、ながらく窪と瑞貴の秘密基地だった。
デューク・エリントン、ルイ・アームストロング、オスカー・ピーターソンに、エラ・フィッツジェラルド。
二人で並んで、あらゆる有名なジャズを聞いた。
瑞貴はビル・エヴァンスの繊細なピアノが好きで、窪はアート・ブレイキーの技巧的なドラムが好きだった。
小、中とそんな調子で、変化が起きたのは、窪が高校に上がったときだ。
瑞貴が、窪を寄せ付けなくなった。
家にも遊びに来ない。
べつに、それ自体を責めるような理由はない。小さい頃の幼馴染といつまでもつるんでいるというわけにもいかないだろう。
窪も、高校生活ともなると、忙しくなって、幼馴染どころではなくなった。
二年後、瑞貴は窪と同じ高校に入った。
窪は、瑞貴とまた同じ学校になったことが嬉しかったのだけれど、瑞貴の周りにいる人間たちの雰囲気が、気になった。
相変わらず瑞貴はモテているようだったけれど、あまり良い感じのしない人間に、囲まれている気がした。
学校に来ても、教室にいない。どこで、何をしているのか。
「あいつ、誰とでも寝るんだってよ。男でも女でも、どっちもイケるんだってさ」
と笑いながら言ったのは誰だったのか。
全然覚えていないのに、あの声だけはずっと窪の耳に残っている。今でも。
まさか、と思った。
調子づいて大げさになっていく噂話は聞くに堪えないもので、憤りで目の前が真っ赤になった。
下卑な噂の真意を確かめる気は無かった。
それでも、放っておく気になれなくて、窪は瑞貴を探しまわった。
大して広いわけでもない敷地の中だ。それまですれ違っていたのは何だったのかというほどあっさりと、窪は瑞貴を見つけた。
古い講堂の舞台裏の倉庫で、瑞貴は調律の狂ったアップライトピアノを弾いていた。か細いハミングは、ワルツ・フォー・デビィ。
天井の明り取りから午後の光が差し込んで、埃がキラキラと光っていた。
乱れた制服の下から覗く、瑞貴の首についた、明らかに人の手の形をした青黒い痣すら、綺麗に見えた。
その日から、瑞貴は逃げなくなった。
窪は卒業するまで瑞貴のそばにいたけれど、卒業した後のことまではわからない。
ただ、瑞貴はまた、窪の家に来るようになった。窪がいなくても、和室でレコードを聞いていく。
だから、もう大丈夫なんだと思いたかった。
あの頃、窪には何もできなかった。
もっと何かできたんじゃないかと、今でも苦く思うのだけれど、何もできないまま年齢だけを重ねていった。
窪は、祖父が創業して、祖母が守って来たジャズバーを継いだ。
瑞貴を誘ったら、専属ピアニストになった。
瑞貴は、ピアノを弾いているとき以外は、相変わらずつまらなさそうな顔をしている。
危なっかしいところは変わらないままだけれど、瑞貴も窪も、もう大人だ。窪は瑞貴の保護者にはなれないし、瑞貴だってそんなことを望んでいるわけじゃない。
このままずっと、変わらずにいくのだと、そう思っていたのに。
ここ最近、変わりつつある。
それが良いことなのかどうかは、まだ確信が持てないのだけれど。
「あ」
短い感嘆符が聞こえる。
先を歩いていた瑞貴が立ち止まって、窪は追いつくことができた。
瑞貴は、両手でスマホを握りしめて動かずにいる。LINEの画面に見入っている。
「星野くん?」
窪が尋ねると、こくり、と首が縦に揺れる。
その素直な仕草が、何とも言えず懐かしかった。
去年、瑞貴は星野という青年と出会った。
ダンサーだというこの青年は、ジャズの勉強がしたいという理由で、瑞貴に近づいたらしい。それだけ聞くと、使い古されたナンパの常套句に思えて、どうにも胡散臭かったのだけれど。珍しく瑞貴が気に入った様子だった。
「王子様みたいな子なんだ」
と、言って瑞貴は何かを思い出すような顔で笑って、窪は、心臓が軋む音を聞いたような気がした。
なんでこんなに心臓が痛むのか。
嫉妬ではない。
窪が瑞貴にそういう恋情を抱いたことはなかった。
いっそ恋愛対象にできたら、どんなに簡単だっただろう、と思ったことならある。言葉にしたことはなかったけれど。
もしそうなら、窪が瑞貴を心配する気持ちも、瑞貴を守れたらと願うことも、もっとずっと単純なもので済んだ。
窪がそう思っていることは、瑞貴には伝わっていただろう。
時折、迷惑そうな顔を向けられていたから。
初めてバーに星野が現れたのを見た時、窪はやっぱり心臓が痛んだ。
星野が光って見えて、瑞貴が「王子様」と言った理由がわかるような気がした。
錆び付いた扉が動こうとしている。
窪の時間は、あの日、瑞貴の首についた痣と、ワルツ・フォー・デビィのハミングを聞いたときに止まっていた。
その時間が、動き出す気配がする。
心臓が痛いのは、これが変化の兆しだとわかっているからだ、なんて。
手前勝手な勘でしかない。
気難しい女王のような顔を崩さないまま、隠しきれない嬉しさを顔に浮かべて出迎える瑞貴に、窪は、どうか、と思った。
どうか、これが、動き出してしまったものが行き着く先が、酷いものではないようにと。
具体的に、二人がどんな関係になったのかを窪は知らない。
ただ、星野が当たり前のように瑞貴を迎えに来るようになった。
星野は、窪を恋敵か何かのように警戒をしていて、それが面白くてつい揶揄ってしまう。
「奏介、あれ、さっきのマルチーズ」
瑞貴の声に顔を上げる。
指さした先にふわふわの白い小型犬がいる。風に煽られ、しかめ面になって見える小さな丸い毛玉。
「可愛いよなあ」
すっかり機嫌が、戻った声だった。
ご挨拶
お読みいただきましてありがとうございました、四四田です。
今回の短編は、noteでBL企画にて現在解放されている、過去のお題に挑戦させていただいたものとなります。
第5弾
「一年の振り返り」「マルチーズ」「ハミング」
四四田がnoteでBL企画に参加させていただくようになったのは、第6段から。
第5段は「一年の振り返り」という項目があったので、1月の今のうちにやらせていただきたい!
と選ばせていただきました。
まあ、作中人物である窪の振り返り方が、年の瀬的な振り返り方じゃなかったので、焦って今出さなくてもよかった気がしなくもない。
今回の登場人物は、
これと、
これに出てきている人たちです。
あと、12月のアドベントカレンダー企画でもたまに登場しています。今年は彼らにフォーカスした長編を書いて完成させられたらいいな……。
noteでBL企画、もうすぐ次回のお題が発表されます。
こちらも楽しみです。
※見出し画像はみんなのフォトギャラリーからお借りしました。
