【成瀬 日本語・英語・翻訳講座】日本語編(35)日本語の語彙構造(3)和語は理知的認識を表現するのは不得手
(↑のつづき)
日本人の心情をきめこまやかに表現できる和語だが、その一方で和語は大きな欠点をかかえている。
和語だけでは理知的な表現がほとんどできない
のだ。

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日本人は理知的な表現については1500年ほど前に漢語(中国語)に全面的に依存することに決めた。
したがって和語はその方面の発達をその時点でやめてしまった。
その後の1500年で人類の知的認識は大きく進歩したので、和語だけではもはや現代の知性を表現することはできない。
学問やビジネスの世界では、和語は使えないということだ。

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この点について国語学者の渡辺実は次のように述べている。
生々しい評価副詞の愛用と生産、体系的とさえいえる待遇表現の網の目、相手と場とにあわせた人称代名詞の使い分け、これらはすべて日本語において主体的意義がいかに大切に扱われているかを示すものであろう。
空間の割付けにあたって聞き手の占有空間を認めることも、相手に顔を立てようとする心の反映と解せるであろう。相手への心遣いや自分の心情の動きに敏感に反応する日本語は、話し手の姿をありありと伝えるという長所を英語やフランス語や中国語に対して誇ってよいと思われる。
だが長所は同時に短所でもあるという。この場合も例外ではなく、主体的意義を伝えるのに勝れているという長所が、それの引き替えともいうべき大きな短所を日本語に与える結果となっている。
人間が言語に託した重要な機能の一つが、人と人とのあいだの「伝達」であることは疑う余地がない。
自分が考えたこと感じたこと、ひっくるめていえば頭や心のなかに息づく経験が、言語のおかげでまったく別の個性に伝わっていく。完全な理解というものがあり得ないということについては前言したが、誤差が問題にならないほどに近似した線で、相互の伝達が成り立っていく。
だが人間が言語に託した機能は、伝達ばかりではない。少なくとももう一つ、言語の重要な機能として「認識」があるだろう。
聞き手などという別個性は存在せず、従って聞き手への配慮などの入り込む場所はなく、対象へのいちずな沈潜があるばかり、というのが認識の典型的なあり方である。
そして、こと認識に関するかぎり、対象的意義にエネルギーを集中しようとする言語、すなわち英語やフランス語や中国語のほうが、はるかに勝れているといわざるを得ない。
日本語において温かくはぐくみ育てられてきた主体的意義が、認識には余分のものとしてマイナスに作用するからである。
日本語は伝達の言語としてはまことによくできた言語だが、認識の言語としては残念ながら出来がよくないのである。
(『日本語概説』 渡辺実 岩波書店 p142-3)
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この渡辺の文体こそが、日本語における学問文体そのものだ。
「人間が言語に託した重要な機能」「誤差が問題にならないほどに近似した線で相互の伝達が成り立っていく」。
これらの表現を和語におきかえてしまうと、いわゆる学問にはならない。
「人間が言語に託した重要な機能」
→ 「ひとがことばにまかせたたいせつなはたらき」
(つづきは↓)
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